- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784867310052
作品紹介・あらすじ
近田春夫氏激賞!
1970年、東京・六本木──
堀内誠一が、編集長以上の権限を持つ、
「日本初のアートディレクター制」の雑誌として、アンアンは生まれた──
「オリーブ」「Hanako」など11誌の創刊編集長を務めた著者が、
若き日の自身が関わった「アンアン」創刊当初の「特別な二年間」を語った雑誌論。
感想・レビュー・書評
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NHKのサブカル史という番組があり、そこで70年代サブカルの時代背景として"anan創刊"が紹介された。正直な印象は、今私が持つananのイメージとかなり異なるなということだった。
その後、テレビを一緒に視聴していた人から本を紹介される。anan像がなぜこうも変わったのかを知ることができた。もちろん時代の変化が大きいのだろうが、当時アートディレクターを務めた堀内誠一の表現というのが、その差異を際立たせているようだ。デザインを勉強する身ながら、彼の名前は初見であった。なんでも14歳で伊勢丹の宣伝課に入社したらしい。恐るべし。
堀内が制作に関わった創刊から49号までの掲載内容を、同じく当時編集部の椎根和が裏話を交えて紹介、批評する形。読みたい部分をさらって読むのが良いと感じた。
横尾忠則、篠山紀信、三島由紀夫など知っている名前が出てきて、脳内の相関図に新しい繋がりができる。21号の篠山による三島の追悼企画、47号の立木義浩の『萩——時間旅行のように 純情画帖』は文章を読むに写真を見てみたいと感じさせた。今、当時のananにアクセスするにはどこを探せば良いのだろうか。
最後に写真に関する本文からの引用。
"いい写真、悪い写真の評価・判断、好まれる写真、嫌われる写真が、時の経過につれて、つまり写真機の進歩につれて変わってきたという現象が起こっている。これは写真が変わるのではなく、わたしたちの視線・まなざしが変わったのだといえる。——椎根和" -
日本初の欧米風ファッション誌を構想し発刊したのは平凡出版副社長の清水達夫。ananという誌名も彼が決め、内容のイメージも彼の中にあったけど、彼は創刊の編集長を務めず、別の人にやらせ、でも彼に「こんどの雑誌ではキミは編集長だが、編集長以上の権限を持ったアートディレクター制を採用するから」とブリーフィングしました。そう、ananは編集長よりアートディレクターの世界観で生まれた雑誌なのでした。清水がすべてを託したアートディレクター堀内誠一がいたananが「49冊のアンアン」なのでした。それは1970年から72年のわずか2年。高度経済成長の終わりの始まりのシンボルである大阪万博の年からパンダ(ananのシンボルでもある!)が日本にやって来た年まで。今考えるとその2年は日本が変質するつなぎ目の時代だったのかもしれません。anan以前のファッション誌(?)が型紙が必須で自分でつくるための雑誌だったのがanan以降はブランドから買うための雑誌になったことは、「生産」から「消費」への時代のシフトの象徴に思えます。また文字という「情報」から写真という「情動」へのシフトとか、もっと乱暴に言うと「男性」から「女性」のシフトも起こっていたのだと思います。このタイミングで世の中に顕在化された職業としてのアートディレクター、フォトグラファー、スチリスト(スタイリスト)、モデル、わすれちゃいけないデザイナー…の「はじめの物語」でもあります。著者はバキバキの堀内誠一信者(だってウォーホルよりセンスとシャレが勝っている、って…)であり、ずぶずぶの立木善浩シンパ(だってウィリアム・クラインの方に不足感感じる、なんて…)なので彼らが作り出す世界を熱烈に冷静に分析していきます。口絵のカラー写真を参照しながら読む解説と批評は、なかったものが生まれていく時代の興奮を感じさせてくれます。逆に堀内誠一と距離のある木滑路線とか、その後の淀川路線に対する冷めた論評も著者の視点をはっきりさせてくれます。そういう意味ではこの本は著者・椎名和のビルディングス・ロマンなのかもしれません。堀内誠一の「視覚の記憶の強い人は王者である」という言葉、言葉からビジュアルへ、をさらに超えて動画ファースト時代にもう一回、噛みしめたいと思いました。と、いうことですぐ文庫で買って置いた「父の時代、私の時代」読みます!
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雑誌を見る目が変わる一冊。編集長よりも権限の持つアートディレクター、堀内誠一。『アンアン』創刊から49冊に関わり、多くの才能あるアーチストたちが誌面を飾ったことがわかる。ちょっとアブナイことも本気でやった49冊。堀内と共に『アンアン』を作った一人、椎根大が描いた本。