- Amazon.co.jp ・本 (293ページ)
- / ISBN・EAN: 9784874150481
作品紹介・あらすじ
誰にでも理解・実践できるかたちで現象学を説き、人間の可能性を探求する思想として編み直す。さらには独自の「欲望‐エロス」論へ向けて大胆な展開を示した"竹田現象学"待望の著作。
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
『現象学入門』(NHKブックス)と同じく現象学の入門書ですが、『現象学入門』がある程度までフッサール自身の議論にそくして話が進められていたのに対して、本書は著者自身の立場がよりはっきりと打ち出されています。
「主観-客観」問題は、デカルト以降の近代哲学の中心問題でありつづけてきました。しかし著者は、フッサールによってこの問題は大きく転換されることになったといいます。フッサールがめざしたのは、主観と客観との「一致」ではなく、「確信の成立の条件」を解明することでした。そのうえで著者は、フッサールによってもたらされたこうした問題の変更の意義を、次のように説明します。
ひととひとのあいだで、あるいは文化と文化のあいだで認識の齟齬が生じたとき、われわれはことばやルールによって理解しあいながら共存しうる可能性の原理を問いなおすことになります。もしそのような可能性が存在しなければ、ひととひと、文化と文化とのあいだに共通了解は成立せず、ただ力による世界解釈の押しつけだけが存在することになってしまうからです。現象学における「本質直観」とは、われわれの知覚経験のなかに含まれている普遍的な意味をつかみ出して言葉にもたらすことを意味します。このばあい、本質直観によってつかみとられる意味は、客観のなかにはじめから含まれている「真理」ではありません。むしろわれわれが現実経験の「意味」をさぐることは、確信の「共通了解」をさぐることを意味しています。著者はこのような観点から、フッサールの現象学が人びとのあいだで共通了解を築いていくための方法論としての意義をもつことを指摘しています。
われわれはさまざまな経験を通して、世界についての多くの確信を抱くようになります。その結果、人びとのあいだで「良い-悪い」「快-不快」といった感受性の違いが生じます。しかし人びとは、たがいいの感受性の違いを認めあうようになり、共通了解の新しいルールを形成していきます。著者は、このとき人は自己のエロス的な満足を追求することから、他者との関係の中で新しいエロスを追求することへと変わっていったのだと考えます。共通了解はこうした「関係のエロス」を味わおうとする人びとの努力のなかで形成されていくとされています。著者は、こうしたエロス的原理に基づいて、他者との関係性のなかでみずからの生を「よい」ものとして味わい感受することについての考察を展開しています。 -
図書館。む図。同じ事柄でも人によって、世界観によって、見え方や捉え方が違うよねってことを、あらためて考えたいなと思っていたときに図書館で偶然手に取りそのまま借りた。
りんごかもしれないの話、哲学の世界で例としてよく挙がるのかな。
正しいとは何だろね。「一致するかどうか」と問うべきではなく、「相互了解に達する可能性の原理があるか」かぁ。まさに意思決定や話し合いの中で実践していることが、それだし、課題・問題に関わる人数、背景が多種多様になり差があればあるほどそれは難解になる。もう少し竹田さんの本を読んでみたい。2024/4/6(土) -
現象学の基本的な“考え方”を、一般的な用語で具体的に解説した名著。素人が哲学を堪能するのにちょうどいい。しかも、内容は高度。とても良い。
-
2008