その時歴史が動いた 3

制作 : NHK取材班 
  • 中央出版
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感想 : 4
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  • Amazon.co.jp ・本 (253ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784877581893

感想・レビュー・書評

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  • 逆説の日本史シリーズでおなじみの井沢氏が言われているように、歴史は勝者が記す(ことを許可する)ものなので、真実の姿はなかなか記録書から見出すのは難しいと思います。

    このシリーズでは大化改新の真の姿に迫った取り組みがされていて、特に興味深かったです。勝者が真実を隠さなければならなかった事情も理解できますが、歴史ファンとしては”何かおかしい?”と思っていた歴史的事件が、真実が明らかになるのもまた楽しいことです。

    蘇我入鹿暗殺事件/実録・大化改新のクーデター

    ・日本最古の仏教寺院である飛鳥寺は、588年に仏教導入の拠点として建立された、現在は敷地も狭くなっていて本堂も1つのみだが、創建当時は壮大な大伽藍であった(P27)

    ・蘇我氏は当時、開明的な政策を持っていたことが分かってきたのは、文献のみで判断するのではなく、考古学の発掘が進んできたため(P33)

    ・587年の蘇我氏と物部氏の戦いは、仏教導入の是非をめぐる争いを底流にしたもの(P37)

    ・中臣鎌足は中国の兵法書である六韜の3つの教えに従った、1)相手の利益になるように持ちかければ相手は信用する、2)敵国の有能な臣下に協力させ、内部分裂をおこさせる、3)相手を惑わせる(P47)

    ・大化改新で良かったのは、氏という集団単位で政治運営をしていたものを、個人の能力も重視するようになったこと(P57)

    ・壬申の乱に勝利した大海人皇子は、飛鳥に戻って天武天皇として即位、飛鳥浄御原宮に都を移して、奈良時代の律令制度に繋がる最古の法律を制定した、次の持統天皇は、唐の長安を手本として藤原京を開始した(P61)


    大阪の陣・豊臣家滅亡す/徳川家康・非情の天下取り

    ・豊臣家にとって不幸な出来事として、加藤清正の死、続いて浅野幸長、池田輝政らの豊臣家ゆかりの大名が亡くなったこと(P78)

    ・夏の陣において真田隊の捨て身の攻撃に、家康は3度にわたって本陣を脅かされたが、旗本の数に物を言わせて押し返した(P101)


    西郷隆盛、明治に挑む/西南戦争勃発の時

    ・新政府には倒幕軍として戦った一部の人たちが新政府の高官になっている、なかには贅沢、汚職、腐敗があり、不平不満もあった(P123)

    ・西郷隆盛は、南九州を北海道で進められていた屯田兵による立国と同じように考えていた(P131)

    ・薩摩藩の特色は、藩主が土地を支配し、その土地を農民が耕すの
    ではなく、武士一人ひとりが土地を管理し、自ら耕したり農民に耕せていた(P135)

    ・明治9年(1876)3月に廃刀令が出され、多くの士族にとっては耐え難いことであった、同年8月の秩禄処分(家禄支払い中止、期限付き債権付与、債権のわずかな利息のみ)により、士族の反乱が相次いだ(p136)

    ・明治10年9月に西郷死す、西南戦争の死傷者は政府軍:1.6万、薩摩郡:1.5万、以後は士族の反乱は途絶え、中央集権体制が築かれることになる(p148)


    吾輩は小説家である/夏目漱石・東大辞表提出の時

    ・漱石に与えられたロンドン留学の課題(明治33年、1900年)は、2年間の英語研究、研究費として1年間:1800円(1400万円相当)が支給された(p173)

    ・東京朝日新聞は現代的新聞の先駆者で、大学卒の記者を採用、社会部を重視して新人キャリアは警察署周りから(p194)

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