- Amazon.co.jp ・本 (338ページ)
- / ISBN・EAN: 9784879843562
作品紹介・あらすじ
現代アイルランドを代表する作家コルム・トビーンの長編小説翻訳。
小説の舞台は作家トビーンの故郷でもある北アイルランド・ウェクスフォード。夫や子供たちと穏やかな生活を送っている主人公ヘレンのもとに、弟デクランが死に瀕しているとの知らせが飛び込んでくる。弟の願いをかなえるため、一度は棄てたはずの故郷に戻るヘレン。関係が途絶えていた母親と、そしてこれまで振り返らないようにしてきた過去と向き合う中で、彼女が見出したものとは──
感想・レビュー・書評
-
感想はたった一言。「栩木さんに訳してほしかった!!!」
『ブルックリン』で大好きになったトビーンの新しい本を書店で見つけたので迷わず買ったのだった。
しかし読み始めてすぐに「あれ?」と思うほどこなれていない、変な訳。新作ではなく、旧作が初めて翻訳されたもので、エイズがまだ男性同性愛者のかかる死の病だった頃の話だから、今から見ればちょっと昔という感じはするが、問題はそこじゃない。
トビーンという作家は人間関係の機微(特にマイナスの面を)を、心理描写は少ないのに、会話や情景で鮮やかに描く才能の持ち主で、この作品も主人公である娘と母、母と祖母という二組の親子に、エイズで死の床にある弟と弟の同性愛者の友人が絡むという物語なのだから、かなり深く微妙な味わいがあるはずなのだが、訳がおかしいので、その文章の精妙なところが、10分の1くらいしか伝わらない。
読みながらキーッとなってしまった。
翻訳家としても素晴らしい研究者という人もいる(生きてる人で言えば栩木さんとか、柴田さんとか、野崎さんとかいろいろ)けれど、そうではない研究者もいるんだから、出版社は研究者というだけで翻訳を頼むのはやめてほしい。日本語が良くないと、本の良さも半減するんだよ。
例を一か所だけ。(ほかにも変な箇所はたくさんあるのだが)
主人公の母は教員だったが、先見の明があり、夫が死んだあと一人でコンピュータービジネスを立ち上げてかなりの会社にしたという、教養もあり、ビジネスセンスもあるやり手の女性だし、主人公も母とはそりが合わないものの同じ教職を選び校長になった女性なわけだけど、この訳で、そういう女性像が浮かんできますか?
「あんたが入ってきたとき、あんただと思ったよ。コンピュータを習うためにわざわざここまでやってきたのかしらと思ったのだけど」母がそういった。
「あ、コンピュータは結構です。ここ、すてきねえ」
「全部新しいからね」母が言った。
「お母さんちょっと話があるのだけど。プライベートな場所はある?」
「時間があまりないの」と彼女の母が言った。でもそう言ってすぐ、彼女はヘレンの顔を覗きこんだ。(p115)
いきなりの「あんた」ではじまる会話の口調の不自然さ。そして、「彼女の母」。そこの場面には彼女の母しかいないんだから「母」でいいじゃない。はじめの「彼女」はヘレンなんだから、次の「彼女」は「母」でいいのよ。
訳者の重要性を改めて実感できる本ではあったが、2000円+税は惜しかったと心から思う。
でも、トビーンは嫌いになれないから、「栩木伸明さん、次回はよろしくお願いします」。詳細をみるコメント0件をすべて表示