銀のしずく: 知里幸恵遺稿

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  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784883230525

作品紹介・あらすじ

アイヌ女性の青春遺稿。「とこしえの宝玉」(『アイヌ神謡集』)をたった一粒残して短すぎる生涯を逝ったアイヌ女性の美しい魂の記録。
本書の著者は1922年(大正11)19歳の若さで心臓病のため亡くなったアイヌの天才少女で、著名な言語学者知里真志保氏の姉に当たる。同書は彼女の手紙と日記を編集したもので、キリスト者としての魂の成長が美しい文章につづられ、胸をゆさぶられる。金田一京助氏から上京を勧められ、19歳で金田一氏宅に寄寓。4カ月後に死亡するが、金田一氏は、著者が同氏宅に滞在中に記していた日記を死ぬまで秘蔵していた。金田一氏が記した次の文は、著者の信仰をよく表している。「幸恵さんの短い生涯は実に露にぬれた真紅の花びらのように見えます。あらゆる不幸な人々を心の底から傷んで、祈り続け、自らは始終涙に濡れながら、ただ人の幸福のために生きて行かれたその半生、本当に感謝と祈りとの殉教的生活であったのです」(キリスト新聞 1984.5.5)より

著者プロフィール

1879(明治12)年
6月25日、幸恵の母ノカアンテ(ナミ)、北海道幌別村のカンナリ・ハエリリ(金成恵里雄)とモナシノウク(茂奈之)の娘として生まれる。ナミは姉のイメカナ(1875年生まれ。マツ)とともに早くから函館に出て、英国人宣教師ジョン・バチラーの創立した愛隣学校に修学。日本語・英語を習い、敬虔なクリスチャンであった。
1884(明治17)年
4月15日、幸恵の父の高吉、北海道登別村のチリパ・ハエプト(知里波ヱ登)と加之の息子として生まれる。
1902(明治35)年
4月、知里高吉と金成ナミ結婚する。
1903(明治36)年 0歳
6月8日、幸恵生まれる。
1904(明治37)年 1歳
幸恵の祖父ハエプト、熊狩りの仕掛矢(アマッポ)に誤あたり死亡。その時、父高吉は日露戦争に出征中であった。
1909(明治42)年 6歳
2月24日、弟真志保生まれる(旧制一高、東京帝大出身、アイヌ語を研究する言語学者となる。『分類アイヌ語辞典』など著作集六巻がある)。この秋、幸恵は旭川近文の聖公会伝道所にいる金成マツのもとに領けられる。伯母マツ(金田一京助『アイヌ叙事詩ユーカラ集』の伝承者)とナミやマツの母であり、金田一京助をして”私が逢ったアイヌの最後の最大の叙事詩人ユーカラクル〃

「1992年 『銀のしずく』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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