- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784891765774
作品紹介・あらすじ
トロント、一九三〇年代、移民たちの夢。橋から落ちる尼僧、受けとめる命知らずの男。失踪した大金持ち、あとを追うラジオ女優…。それは、パトリックが若い娘に語って聞かせる"官能"と"労働"の物語。
感想・レビュー・書評
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作者のマイケル・オンダーチェ(1943年~スリランカ・カナダ)の『イギリス人の患者』は、映画も大ヒットして世界的に有名です。第二次世界大戦末期の荒廃したイタリアを舞台にして、時空を飛び回り、人間と都市の栄枯盛衰を描いたヘロドトスの『歴史』も綯いまぜながら美しい作品になっています。
そんなオンダーチェの本作!
私の目をとらえたのが表題――それは作者の謎かけ――に魅かれて手にし、ドキドキしながら本の扉を開いてみると……いいね♪
「よろこびにあふれる者こそ悲しみに身をかがめる
お前が大地に帰ったあとは、私はおまえのために髪を長くのばし
ライオンの皮をまとって荒野をさまようだろう」『ギルガメシュ叙事詩』
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パトリック・ルイスは、幼いハナにぽつぽつと語りだすと、あっというまに1900年代はじめのカナダへ読者を連れ去ります。
イギリス系カナダ人の父と極寒の森で暮らすパトリック少年。郷愁を誘うその少年時代は素朴で、とても静かで幻想的です。
「……凍った洗濯物。上着たちを人体のように台所に運んで椅子に座らせ、溶けてテーブルの上にだらりと垂れる前に、父に見てもらいたいと願ったことだ」
深閑とした夜の森、そこで少年が見たものは、乱舞する蛍? いや、凍てついた川で滑る男たちの影……火のついたガマの穂を手にしながら遊びに興じている木こりたち、一体どこからきた人たちなんだろう?
そんな夢のような少年時代からはじまって、橋梁建設の橋渡しを軽やかにやってのける蜘蛛のような男、オンタリオ湖の湖底トンネルを命がけで掘削する坑夫たち、そこに発破をしかける男……。
1930年代から都市の建設ラッシュにわきたつカナダ・トロント。その底辺を岩盤のように支えてきた彼らの大半は、東欧やバルカン半島から渡ってきた男や女たち。ナチスの台頭、人種差別や迫害、戦争、貧窮から逃れてきた移民たちです。そんな寄る辺ない彼らを、強欲な社会は容赦なく呑みこみます。彼らはよそ者と蔑まれ、人種や民族の差別をうけ、持てる者と持てない者との格差は底なしの深淵のよう。オンダーチェがよろこびとしての労働を緻密に美しく描写すればするほど、しくしくと胸がしめつけられます。
彼の作品は決して美しい耽美な世界だけではありません。それと表裏一体になったあまたの哀しみが静かな筆致で描かれます。その筆は、混沌とした事象や煩わしい喧噪を決して表層でとらえることはありません。掘り下げていき、深い深いところでとらえて収斂していきます。オンダーチェの世界は、まるで神話の世界に浸るような静寂さを湛えています。
そういえば、先日カナダの若い大統領がニュース番組に出ていました。
アメリカのトランプ大統領がメキシコ国境に新たに巨大な「壁」を築いて移民を排除したり、中東の内戦から逃れてくる難民の流入を阻止しようとする欧州の排斥運動に対して、大統領はひどく憂いていました。カナダは移民でできた国、多国籍で多種多様な人々や文化を受け入れながら発展してきたことに誇りをもっています。排外主義や移民排斥の潮流に断固反対する、その率直な姿がとても印象的でした。
日本は移民や難民をほとんど受け入れていません。本国へ帰れば命を落としかねない政治的な難民でさえ受け入れようとしない、しかも入管施設は前時代的な状態。かたや実習生や研修生といった様々な名目や名称でよぶ外国人労働者を合法的に受け入れ、その労働力をうまうま吸い上げています。そして移民として彼らが根を張らないように強固なハードルをいくつも設けています。でも彼らは人間で、安上がりの使い捨てではありません。そんな足もとの冷たい「ハードル」を思うとき、はたしてアメリカの「壁」を排外主義だ、と批判することなんてできるのか?
この作品も『イギリス人の患者』のように詩を絡めた美しい作品になっていますが、やはり一筋縄ではいきません。それでもひとたび作者の磁場に入ることができれば、時間・空間・記憶の中を自由に飛翔することができます。その映像美は東欧アルバニアの詩人/作家イスマイル・カダレのように艶めかしい、オリエンタルな雰囲気にも似て妖しい魅力にあふれています。
『イギリス人の患者』のヒロインのハナと泥棒カラヴァジョも登場して楽しいですよ♫ -
ほっほう。そういう感じか。この人って独特の地味な世界を持ってるよね。素朴、繊細、人の密集した所ぎらい。
数奇な運命でもない関係の1人の男と1人の少女のドライブ中に、男が少女に物語を聞かせる設定。
なんだかんだ言って、我々は同じお話だったら、一時的にでも強く感情移入するのは本よりも映画の方ではないだろうか?読み終わった後の余韻が映画の字幕クレジット見てるような感じ。つぎはぎに若い男女が出会い一緒に暮らした様子が描かれる。書いてみてなんと地味な話かと思うが、やっぱり彼でしか産み出せない世界なんだよな。 -
詩的すぎるのと私が細切れに集中力を欠いて読みすぎたのとで、何を読んでいるのかな?状態になってしまった。とても美しい小説だとは思うのだが。
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同じオンダーチェの「映画もまた編集である――ウォルター・マーチとの対話」があまりに素晴らしかったので、小説も読んでみたくなり、たまたま図書館の開架に1冊だけあったこれを、がしっとつかんで持って帰ってきました。
物語の最初の方のいくつかのシーンの描写に、完全に魅了されてしまった。少年パトリックの記憶の中の名もなき男たちや父親の過酷な労働の日々の姿と、ニコラスが尼僧を助ける場面。
なんて美しい。
文字なのに、まるで静謐なBGMつきの美しい映像を追いかけているかのよう。
詩人が散文を書くとこうなるのか、と感動です。
残念ながらそれ以降は、会話などが観念的過ぎて、あまりおもしろいとも思わなかったのだけれど、その最初の美しい描写の記憶のおかげで、なんだかぐいぐい読んでしまった。またああいう描写に巡り会いたい一心で。
これも、一種のプロレタリア文学なんだろうな、私の中のプロレタリア文学のイメージとはほど遠いけど、と思いながら読み終わり、続いて訳者の「あとがき」を読んだら、「これは官能プロレタリア小説とでもいうべきものだ」と書いてあって、ははっと思わず笑ってしまった。確かにそのネーミング、ぴったり。労働を描いているシーンがやけにエロティックで。
訳者はセックスシーンも含めてこの呼称を述べたのかもしれないけれど、セックスシーンなんてなくてもこの名称でいけるんじゃない?と思うくらいに働く姿が官能的です。
ちなみに、解説を読むまで、「イギリス人の患者」の前編とは知りませんでした。
ヘミングウェイとか村上春樹のように別の作品に同じキャラクター名を何度も使う作家なのかな?くらいに思っていたので、あとがきを読んで、名前だけじゃなく同一人物と知ってビックリしました。
「ウォルター・マーチとの対話」を読んで、映画「イングリッシュ・ペイシェント」をもう一度ゆっくり見直したいと思っていたところだったので、どうせだから原作もいつか読んでみようと思う。 -
新大陸の造られてゆく都市の記憶、そして労働者、資本家、移民たちの記憶、コラージュされ各編が濃密に絡み合うストーリーと文章。とても圧倒的だった。ただ美しい文章で書かれた小説という訳ではない。
この物語は、訳者があとがきで述べているように、一つひとつの文章がどこか普通ではない。'何か他のものに移り変わりゆくその瞬間を捉えた'文体と言えばよいのか…
本書がオンダーチェが詩から小説へと徐々に移行してゆくまさにその時に書かれた小説というのも頷ける。
最新作の「名もなきテーブルの人々」の寂しくも美しい冒険譚を読んだ後の本書は私にはあまりに衝撃的だった。
そして何よりこの物語は「イギリス人の患者」と地続きなのだ。あなたも、あの本を読んだ時に感じた謎や想像するしかなかった部分を、再読によって見つけ出すことができるかもしれない。 -
『恐慌と大衆の反対がすべての進行を遅らせることになるが、それにもかかわらず、半分が一年で完成する。「都市の姿は人間の心よりも速く変化するんだ」とハリスはボードレールを引用して、批判者たちに念を押すのが好きだった』-『浄化の宮殿』
人はいつでも現実の出来事を上手く捉えることができないもののような気がする。全てが過去の出来事となって初めて認識することが可能になるように思うのだ。たとえ現在進行形のその出来事が自分自身の身にに起きつつある出来事だったとしても。いやむしろ起きつつある出来事であればなおさら。自分が何かを判断し選び取っていると思っていたとしても、それが過去となりその時点で気付いていなかったことが見えてきて初めてその出来事を捉えることができる、そんなものであるような気がしてならない。
それは一つに、現実の出来事が目の前を通り過ぎてゆく時、現実はその場での対応を迫られている現実であり、「取り敢えず」の決断を下しておくしかないからであると思う。十分な情報と時間が与えられて判断を下すのではない。そんなことは不可能なのだ。往々にして下した判断に対する評価は時を経てから付いて来る。それが正しいかどうかは、判断の中に予想するという要素が含まれる限り、その場では判断の付かないことがほとんどであろう。
しかし、過去になったから全てが把握できるようになる訳でもない。時を経て過去を見つめ返す時、人はある意味で現在という一つの答えを通してそれを解釈しがちだ。更に言えば、過去は現在に定着しずらい。遺物は異物として処理され、消滅する。意図的であれ、そうでないとしても。わずかに残ったものから成り立つ現在は、過去を見遣るものにたった一つの視点しか与えたがらない。マイケル・オンダーチェの小説は、いつでも、そんな決まりきった歴史観のようなものを打ち砕いてくれる。過去を見る視点は一つではなく、人々の記憶の中にそれぞれに存在している。そこに直接、間接に参加した人々が居たら、その人の数だけ視点があるということを教えてくれる。
現在から後ろを振り向いた時、過去の出来事は、広い未知の(あるいは不可知の)海原にぽつぽつと残された島のように存在する。オンダーチェはそんな島々を自由に渡り、航跡を残して結びつける。しかしその道筋は波がくればたちまち消え失せ、どこにあったかも判らなくなる。喪失はどうしようもなく起こる。ひょっとするとそれに対するわずかばかりの抵抗として、人々は未来に残そうと石を積み上げたのかも知れない。そうだとすると、100年ももたないコンクリートや燃えてしまうような素材で何かを積み上げて文明と呼ぶようなものを作った気になっている現在の我々は、未来の人々が過去として振り返った時、海中に沈んでしまって二度と思い起こすこともできない存在になるのかも知れない。
人は刹那性を歴史を通して学び、それ故に昨日と変わらない今日を望むように志向する癖を獲得してきたのか、とも思う。留めておくことのできない記憶を何か容易には消え去らないものに写し取って残そうとするようになったのか。オンダーチェの小説は記憶の切れ端を、そんな風化寸前の遺物の中から取り出して見せて、無機質な過去を有機的に組み上げる。そこに見え隠れするのは、変化を望まない気持ち。それを善悪で判断してはならないのかも知れないという気に、読むものをさせる。 -
[ 内容 ]
トロント、一九三〇年代、移民たちの夢。
橋から落ちる尼僧、受けとめる命知らずの男。
失踪した大金持ち、あとを追うラジオ女優…。
それは、パトリックが若い娘に語って聞かせる“官能”と“労働”の物語。
[ 目次 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
イギリス人の患者へとつづく。・・・。
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帯に「<官能>と<労働>の物語」とありますが、特に素晴らしいのが<労働>の描写。1910年代から30年代にかけての次々と都市とその機能が建設されていくカナダを舞台にそこで働くさまざまな移民たちの労働が、詩的に描かれています。
いいね!有難う御座います。
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