- Amazon.co.jp ・本 (251ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903351032
感想・レビュー・書評
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ある日、映画「おくりびと」の原作でもあるこの本を「映画もおもしろかったけど、この本はいいよ!!!」と、知人から薦められ、読んでみました。
アカデミー賞をとった映画監督とともに著者も浄土真宗王国、富山県出身。
☆納棺夫日記
日記と言うくらいだから全篇納棺の実際と経験したことが書かれているのかと思いきや、前半は、生い立ちと納棺したちょっと特異な体験を、後半は、死を仏教に基づいて解釈してある。
「影のできない光の世界」「すべてのものを貫き通す永遠の光」「親鸞が説くところの不可思議光」「臨死体験者がみる光」「悟りを開いたものがみた光」
この本は青木新門さんが実体験から学び記された重みある仏教書だと思います。
読みながら、なぜ仏教を語るとき科学を持ち出すのだろう、納得させるために科学が必要なんだろうかと不思議になりました。
思い出すのが臨済宗僧侶の玄侑宗久さんが書いた「アミターバ 無量光明」。
その中でも 一人の人間が死んだ時、軽くなる重さを熱量に換算するとそれは莫大なエネルギーとなりそのエネルギーはこの宇宙のどこかに転化されていて云々・・量子力学が書いてあった。わかったような、わからないような狐につままれたまま読み終えた。
それに比べたらこの本はとてもわかりやすい。「光の素粒子 点と波動」「極微の素粒子 ニュートリノ」
阿弥陀来迎図の中に、目からビームが発射されている絵が何点かある。そのビームが この本で説明されている光なんだなと納得。
確かに病院での最期はあわただしい。医者がかけつけ、家族を病室から放り出し、あらゆる薬剤、医療機器をつかって蘇生させようとする。45分ほど努力して廊下に佇む家族に入室をすすめ「お亡くなりになりました」と報告。
布団に寝かされ床の間の阿弥陀来迎図の掛け軸を眺め 「た~~んと生きた。さぁ そろそろむかえにきてくだされ」そんな余裕のある死をむかえたいですなぁ~。まぁ 下の世話になっている段階で 座敷に寝かしてもらえるはずもなし・・・無理やろなぁ~
☆自選詩
☆童話「つららの坊や」
☆小説「手、白い手」
新治が4歳のときに満州に渡り、8歳の時終戦をむかえる。
それから一年間、難民収容所に入れらる。入れられて間もなく、そこで1歳の弟武志が衰弱死する。
武志の屍を共同の場所で火葬する。多くの人が死に、遺体に石灰をまいて荼毘にする。初めのころは翌日骨を拾っていたが、次第に、次から次に亡くなるので骨を拾う隙もなく誰の骨かも区別できなくなってきた。
最初は難民に摂取できる食物に差があったが、やがて隠し持っていた食べ物と交換できる貴重品が底をついてきた時から全員が平等に飢餓と戦うことになる。
妹富士子と監視の目を盗んで近辺の山々を歩き一かけらの食べ物を探し求めて歩く。
厳しい冬に、まるで自然淘汰されるように弱い者は死んでいき、やがて春になり、毎日出る死体の数は下火になっていた。
引き上げ時期が決まったとの噂を耳にした日、極限までやせ細った4歳の富士子は息を引き取る。
母は虱でチフスに罹り、隔離されていたので、新治が一人で、毛布でくるんだ妹の亡骸を、以前高志を燃した場所に運び置いてきた。数日間、燃やされた形跡もなく、そこに誰もいなかったことが気にかかりその日の夕刻再度その場所を見にいくと、遺体はそのままで、毛布からはみ出て空に伸びる富士子の白い手だけが暗闇の中に浮かんで見えた。
☆小説「柿の炎」
新治が大学生となった初めての秋、東京の下宿先に、故郷富山から祖父が危篤との電報が入る。電報を読んだ新治は、祖父から昨日届いた柿の箱を見つめる。
新治が9歳の時、満洲から引き揚げてきてからずっと祖父母と三人で暮らしてきた家。
父は召集されシベリア戦線へ出兵。その後ずっと連絡がない。
1歳の弟高志と4歳の妹富士子を満州で亡くし、母と二人で父の実家に住まうが、折り合いが悪く、母だけが途中から家を出た。
祖父の家は、代々続いた大地主の本家。新治で三十代目になる。戦後、農地改革で体制は崩れ、持っている土地を切り売りして生活していた。
その家の広大な庭には祖父の趣味でいろいろな種類の柿が50本程植えてあり、剪定し、愛着を持って育てられていた。それとは別に、その庭の片隅に全く手を入れていない水島柿の老木が一本あった。
新治が、電報を受け取り帰ってきて見ると、祖父は、自宅周辺と屋敷の一部を売りに出し大学の費用にあてていた為、柿の木は一本残らずなくなっていた。片隅の老いた柿の木も、祖父が倒れた日に風で倒れたという。
新治が帰って間もなく、祖父は静かに息を引き取った。分家や村の人たちが葬儀を取り仕切ってくれる。
以前新治が風呂焚きをしている折、柿の枝をその燃やし口にいれようとしたら、祖父が言った。「柿の枝は入れるな。柿の木は、火葬の薪にするものだ」
二日後、火葬場で火がつけられ、躊躇していた新治は意を決し、持参していた老木の柿の枝を祖父の火の中へ投げ入れた。
「文学者」という同人誌に載ったこれが著者の初めての短編小説「柿の炎」です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
著者は昔日の文学青年なので、ノンフィクションもあり昔の創作(小説)ありで、映画『おくりびと』の原作というより原案。納棺夫の実務経験談より「死とは何か」という思索にページが費やされている印象です。
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映画「おくりびと」のヒントになった作品。
浄土真宗が盛んな地域にうまれた著者の青春時代の彷徨から、納棺夫として人の死に際を観る者として感じた「死生観」が綴られている。
著者が、自分は映画にヒントを与えただけ・・との謙虚な態度が、この本を読むと納得する。
これはわかりやすい「親鸞本」ではないか。 -
映画「おくりびと」の原作本です。著者が納棺夫になったいきさつや、さまざまな事例など興味深く読みましたが、途中の宗教論?のくだりは難しくてよく理解できませんでした。
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昔、文庫本で読んだことがあった。
そして今、明日のお盆・迎え火が始まる前に定本を読み終えた。
これは因果だと思おう。
生死とはなんだろう。
納棺という仕事を通じて、筆者は筆者なりの死生観を記している。
曰く、それは光なのだと。
筆者は納棺という仕事を通じて、
死者と生きた人間の間に立っている。
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図書館で借りたので、古い版(1993年刊行)。93年版には「定本」とは書いていないし、内容にももしかしたら多少の違いがあるのかも。収録作は表題の「納棺夫日記」に加えて、祖父を送る「柿の炎」(私はこれが一番心に残った)、戦後、満州からの引き上げまでを描く「少年と林檎」。表題作は、映画『おくりびと』の元になった。映画は見ていないが、本のほうは、題名の通り、日記から書き起こされたものなので、ストーリー性の強いものではない。納棺夫となった筆者が日々の雑感をまとめたもの。雑感と言っても、宗教観・死生観など、筆者の深い思索も併せて綴られている。「納棺夫日記」「柿の炎」とも、北陸を感じさせる作品である。筆者は富山の人で、私は新潟生まれだが、読んでいる間、北陸の陰鬱な冬空を思い出していた。
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おくりびとがすごくよかったから、元になった方を読んでみなきゃと思った。
原作の納棺のエピソードをおくりびとという映画にした感じで監督が素晴らしいと思った。
なんで、あのチェロの音楽を選んだのかとか。
原作の方が生死について、哲学的というのか仏教的というのか、生死の時に見える光について書かれてあった。筆者が死を受け入れた方たちを見て、仏教の本とか読んでまとめてた。
他に、満州でのできごとも別にあった。 -
小説なのか微妙ですが
0408?