- Amazon.co.jp ・本 (217ページ)
- / ISBN・EAN: 9784903619163
作品紹介・あらすじ
20世紀はじめのロシアを代表する作曲家プロコフィエフが不思議な魅力にあふれた短編小説をいくつも書いていた!エッフェル塔が突然歩き始め、キノコ狩りの子どもは地下王国に迷いこみ、ニューヨークの摩天楼に現れたエジプトの王がアメリカの石油王と奇妙な対話を繰り広げる…。今世紀になってはじめてその存在が明らかになった音楽的小説の世界を日本で初めて紹介。日本滞在中の日記もおさめた音楽家プロコフィエフの耳で読み、眼で聞く物語の世界。
感想・レビュー・書評
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ロシア文学のような重苦しさや読みにくさは一切なく、ただただ純粋に面白いと感じた作品でした。プロコフィエフが短編集を出していたとは露知らず、偶然手に取った自分を褒めてあげたい。
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読了。作曲家プロコフィエフによる小説の短編集とそれらが書かれた当時に滞在していた日本での日記。星を5つつけたけど、小説としての完成度が高いということではなくて、歴史的な価値として。それぞれの小説は作品としてはそれぞれ興味深いものではあったが、作風が一定せずゴーゴリ、カフカ、トルストイなどを彷彿とさせるような作品群であった。こっち方面で完成度を高めたとしたら、それはそれで面白かったかもしれない。日記部分は、当時日本にいた西洋人が日本についてどう思っていたのかを垣間見られてよかった。全体に日本の風景やら文化には敬意を表示してるが、国民そのものについては未開の民であって、自分の音楽は理解できないだろうと考えていたことがわかる(実際そうだっただろう)。お金に苦労していたり、なかなかビザが下りなくて苦労したエピソードも、当時の雰囲気を理解する助けになるかもしれない。
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プロコフィエフは1918年の日本滞在について、『自伝』のなかでは1ページ足らずしか記述していない。ところが2002年に彼の日記が公刊されたことで、彼が日本でどこに行き、何をし、何を考えていたかが克明に分かるようになった。本書『プロコフィエフ短編集』には、最後に日本滞在中の日記の全訳が収録されていて、これがとても面白い。プロコフィエフの目を通して、大正中期に日本人がクラシックをどう聴いていたのかが記録されている。
「日本人の反応は〔略〕、一方で非常に注意深く聞いているが、その一方で、どんなに注意を払っても分かっていないのは明らかで、彼らにベートーベンのソナタを聞かせようが演奏者の即興を聞かせようが、違いが分かりはしないのである。日本人の気をひくのは上っ面の面白さ。例えばヴァイオリンのピチカートとか、玉を転がすようなピアノの演奏など。」(1918年6月22日, p. 190)
「客の大半が日本人で、とても礼儀正しく聞いていた。拍手は少なく、例外は技巧的な曲だけ。不協和音にはあまり当惑していなかった。というのも、まったく異質な音に慣れている日本人にとって、我々の協和音と不協和音の違いなどあまり感じないのだろう。」(1918年7月6日=東京でのリサイタル初日, p. 196)
明らかに軽蔑されている日本の聴衆……。ただし大田黒元雄や徳川頼貞のような例外もいて、日記には彼らと会ったこともきちんと書かれている。
この「日本滞在日記」はネット上でもブログ形式で読める(書籍版とは言葉遣いが少し違っている箇所があるが)。 https://blog.goo.ne.jp/sprkfv -
彼の鏡のような心に、切れ味の悪いナイフをこすりつけたかのような効果をもたらした
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作曲家ですし、好きな作曲家には興味をもちますです、はい。
日記は、どんどん翻訳して欲しいです。良くも悪くもプロコフィエフの性格が出ている気がします。