- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784904676011
感想・レビュー・書評
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裁判の傍聴を続けるライターが、裁判員制度の開始にあたって改めて「自分が裁判員だったら」の視点で裁判(の傍聴)に臨んだ本。
この著者は初読で、何でここまで裁判に入れ込んでいるのかは知らないので、著者の切迫感がやや過ぎる感も否めなかったが、刑事事件の裁判を著者の目から解釈した読み物として面白かった(著者の目論見とは違うと思うけど)。
あ、もし著者の意に沿うとしたら、最後のケース(杉並親子強殺事件)を読んで思ったのは、「(経験のない一般市民のような)素人が手を出す領域ではないな」ということ(沿ってないか (^^;))。著者の言いようを真似て「裁判員制度反対!」と声高に主張するつもりはないけど、こういう事件に「市民感覚が必要」という理由の裏は、専門家が専門性を投げているように思えるところがあるなぁ。
それから、思いの外(失礼)文章が流麗で大変読みやすかったんだけど、表紙はじめ所々挿入されてる著者のポーズ写真はちょっと興覚め。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これは全国民が読んでおくべき…
TVのニュース等で残忍な殺人犯を見ると条件反射的に死刑を求める自分がいる。でもそれは所詮安全地帯からの判決であって、実際に他者もいる中で、しかも被告、原告、検察、弁護士が各社各様の言い分をアピールしてきた時に果たして自分はいとも簡単に判決を下すことができるのか。少なくとも論理的に筋道立てて判決を下すこともその理由を他者に説明するなんてことも出来る気がしない。
将来、裁判員に任命される可能性もある。
その前に今この本を読めて良かった。コイツは人殺し、反省してないから死刑!なんて判決は下せない。その後の裁判での判決の基準になりうることも考えないといけないし、冤罪の可能性だって考えないといけない。
一度裁判傍聴しにいってみようかな… -
以前「裁判長!ここは懲役4年でどうすか」で、裁判の傍聴マニアぶりを充分に発揮してくれた著書が、裁判員制度を目前に、「自分が裁判員に選ばれたら?」を前提に裁判員制度について考えた。
有罪・無罪
有罪の場合、刑期も決める。
どんな凶悪な事件の被告人だとしても、「死刑」と言うことができるのだろうか?
この本の後半は、実際の裁判2件を、「この裁判の裁判員だったら」という視点で傍聴して、迷いに迷う様が詳しく書かれている。
1件は、もしかしたら冤罪の可能性のある事件。
もう1件は、本人も自白し、「死刑でもかまわない」と開き直っている(?)事件。
誰もが裁判員に選ばれる可能性がある。
その時、私に「死刑」と言えるのだろうか…。 -
裁判員制度が始まる前に書かれた本。実際の事件を取り上げて、わかりやすく制度と現在の量刑の決め方などに触れている。
制度が始まって7~8年経つけど周りに裁判員した人聞かないな、いつかやってみたい。その前に裁判傍聴行ってみよう。 -
(2013.09.10読了)(2013.09.04借入)
副題「-もし裁判員に選ばれたら-」
著者は、裁判の傍聴マニアであるらしい。たくさんの裁判の傍聴をして、それをネタに、いくつかの本を書いてきているらしい。
この本も、裁判員裁判が間近に迫る時期に裁判員裁判が行われるようになったら、自分が裁判員として参加した場合どのように判断するだろうかを実際の裁判を傍聴しながら、シミュレーションしてみたものです。
裁判員として選ばれると、検察官および弁護人の話を聞きながら、提示された証拠や証人の発言を頼りに被告人は、有罪なのか無罪なのか、と、有罪だとしたら、どれくらいの量刑が打倒なのか決めなければなりません。
裁判官3人と裁判員6人の意見が一致すれば、それで決まりですが、一致しなければ、多数決になります。ただし、多数の方に裁判官が1名も含まれなければ、裁判官が含まれる方の意見で決まりになります。(もうちょっと複雑かも?)
被告人が、罪を犯したことを認めていれば、気持ち的に楽かもしれませんが、自分はやっていない、という場合は、判断が難しそうです。
(テレビドラマでは、自分がやったわけでもないのに、誰かをかばうために、自分がやったと主張するのがあったりするので、罪を認めているからと言って、安心はできないかもしれません。)
よく争点になるのは、責任能力というのもあります。精神鑑定をするとか、しないとかの問題が生じます。この本の事例では、最初の精神鑑定では、責任能力なしという鑑定結果が出ています。その後、再度、別の先生に精神鑑定をお願いしたら、責任能力はあると判定されています。(責任能力がない場合は、無罪となります)
有罪の場合は、量刑を決める際に、殺意があったかとか、計画性があったかとか、反省しているかとか、いくつかポイントがあるようです。被告人が、殺意はなかったと主張する場合も、そのまま認めるのか、証拠等の状況判断で、殺意があったと判定するのか、結構難しそうです。
裁判員裁判の実施から、数年経過しているので、裁判員裁判の傍聴記も読んでみたいと思うのですが、出ているのでしょうか?
【目次】
はじめに
第1章 どう裁く?
後悔だけはしたくない
ケース① 施設入り寸前の惨劇
ケース② 未成年強盗強姦事件
ケース③ 妻が夫を葬るとき
第2章 罪と罰の意味を考えてみた
いちど裁判員になってみたかった
元裁判官に聞く死刑と無期の境界線
対談 森達也×北尾トロ 死刑についてちょっと真面目に話してみよう
第3章 彼は殺ったのか 殺ってないのか 元韓国エステ嬢殺害事件
その① 否認
その② 動機
その③ 判決
第4章 2人を殺した元大学生に死刑を言い渡せるか 杉並親子強殺事件
その① 隣人を刺殺した後、犯人は眠りについた
その② 殺意の否認
その③ 死刑でもかまわないと思ってます
その④ 北尾裁判員、判決を下す
その⑤ 果たして司法の裁きは……
おわりに
●波風立てずに(88頁)
なるべく波風を立てないように生活しているのは、意見を戦わせながら暮らすより、そのほうがラクだからである。でも評議で同席するのは見ず知らずのメンバーたち。後腐れのない人間関係が保障されている。少々波風が立ったって、どうということもないのだ。
●殺意(187頁)
殺意があれば、この事件は押しも押されぬ強盗事件となるが、殺意がなければ強盗+傷害致死+証拠隠滅あたりで、犯罪としてのランクがぐんと軽くなるのだ。前者なら死刑か無期。後者なら懲役刑。この差は大きい。
●シミュレーション(201頁)
これまでにも実行に移さなかっただけで、頭の中ではさまざまなシミュレーションをしていた可能性がある。そして、その中には最悪の事態、侵入がバレて住民ともみあうことが想定されていたとしてもヘンではない。
殺意がなかったはずの被告人が、いざそのときになって迷いの感じられない、冷静と言ってもいい行動をとることができたのは、そのせいではないのか。シミュレーションを積んでいたから、死亡を確認してみたり、そばに死体がある中で家捜ししたりできたんじゃないか。
●神の目線(231頁)
もしかしたら、被告人は長期にわたる拘留期間中に、〝神の目線〟を獲得しつつあるのでは。自分自身の感情、考えを押し殺すメリットは何か。自己保身。それしかない。
では何のために? 恐怖を克服するためではないか。
☆関連図書(既読)
「犯罪と刑罰」ベッカリーア著・風早八十二訳、岩波文庫、1938.11.01
「裁判員法」船山泰範・平野節子著、ナツメ社、2008.06.09
「裁判員のための刑事法入門」前田雅英著、東京大学出版会、2009.05.15
「裁判長!おもいっきり悩んでもいいすか」北尾トロ・村木一郎著、文藝春秋、2009.05.15
「きみが選んだ死刑のスイッチ」森達也著、理論社、2009.05.21
「殺人者たちの午後」トニー・パーカー著・沢木耕太郎訳、飛鳥新社、2009.10.20
「あなたが裁く!「罪と罰」から「1Q84」まで」森炎著、日本経済新聞出版社、2010.11.05
(2013年9月10日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
正解はない。でも簡単には殺せない。 -
327.6
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裁判員になったとしたら、どういう心構えが必要で、どんな状況が待っているのかについて、実際の裁判の進行を例に考えさせてくれる。そういう準備も、必要だよなぁ。
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著者が吐露しているように、ここまで追/負える裁判員はあまりいないと思う。
が、挑戦したことは高く評価したい。
著者と同じ水準で判断できる裁判員ばかりなら、プロの裁判官さえ要らないくらいだ。
裁判員に選ばれた人は、この著者程度の知識と判断力で公判に望んでほしいと願う。 -
恥ずかしながら、本書の著者北尾トロ氏のことをよく知らなかった。タイトルに魅かれて、しかしその一方で表紙の風采のあがらない男性の写真に気持ち悪い思いをしながら(失礼)、本書を読むこととした(表紙の男性とは著者その人であることも当時は知るよしもなかった)。
で、内容だが、なかなか面白い。
著者は、いわゆる法律の専門家ではなく、裁判傍聴マニアという立場から本書は記述されているが、難しい法廷でのやりとりや訴訟の内容などについても、非常に分かりやすく説明されている。
ここまで明快に訴訟について説明できるということは、相当の知識をお持ちなのだと思われる。
つまり、著者は表向き一般人目線で裁判を見つめているように見えるが、非常に深い洞察および表現力で、裁判の現場を描写し(ここまでは法律知識の有無とは必ずしも関連性がないが・・・)、また、法的にも死刑の要件(いわゆる永山基準)などにも触れながら、当該事件が死刑にあたるかどうかなどにつき考察しており、読み応えがある。
タイトルからは死刑の是非論が中心になるのかと思われたが、やや趣が違った。
ただ、著者は立場を明確にはしていないが、全体の論調から死刑反対の立場と思われる。
本書は裁判員制度の開始を目前に控えた時期に著されたもので、国民が裁判員に選任され、死刑の当否が争われるような事案において、どのような判断ができるかという問いを読者にしているが、裁判員といういわば裁判の当事者に巻き込まれた場合に、安易に感情論から死刑にしてしまえというようなことが人は言えるのか、という素朴ながらも重い問いを著者は投げかけている。 -
2009.12.10