NOヘイト! 出版の製造者責任を考える

制作 : ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会 
  • ころから
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  • Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907239107

感想・レビュー・書評

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  • 本屋さんのある町に住みたいから、本屋がつぶれないように本は本屋で買う。
    でも正直なところ、応援したい本屋があんまりない。
    個人の小さい本屋さんは軒並みつぶれてしまって、生き残っているのは新刊とベストセラーがほぼすべての、行く前から品ぞろえが想像できてしまうチェーン店ばかりが目立つ。
    入ってすぐのいい場所にヘイトコーナーがあるともう買う気が失せてきびすを返す。
    本がいっぱいある場所が大好きなはずなのに、本屋に行くと不快になるなんて悲しい。

    という気持ちを共有できる人たちがこんなにいた!
    この本は、本を作る人・送り出す人たちが、世にはびこる嫌韓嫌中日本礼賛本を憂えて集まって話しあった本。
    本屋をめぐる議論はあるのに本を送りだす出版社からの発言はなかったので自ら立ち上がったとのこと。

    この本を読むのはこわい世の中を再確認する作業だけど、これはダメだと危機を感じて声を上げる人たちに勇気づけられる。
    作る人や売る人がそれぞれの立場で「表現の自由」を守ろうとしているのだから、私は買い手としてのありかたを考えよう。

    特定の存在を貶め、価値のないものとして扱う風潮はジェノサイドのへカウントダウン。
    だからそこを煽るのは社会的な責任を果たしていないってことになる。
    うちは売ってるだけで別に賛同してるわけじゃないんですよなんて言い訳にならない。
    で、そういう政治的倫理を別にしても、そもそも間違った内容をチェックせずに売るのは出版社の職業倫理に反する。
    思想は自由だけど根拠をいつわってはいけない。きちんと事実確認をするのは出版社の責任。
    国の政治を批判するのと、その国に関係する人たちを誹謗するのはまったく別の話。
    なるほど。明快。

    私はヘイト本がでかでかと飾ってある本屋で買うのはやめよう、と単純に考えていた。(そしたら行ける本屋がほぼなくなった)
    でも、この本は(本屋は本屋の立場で本屋の倫理を考えている人が多いけど)出版する側の責任を考えている。
    出版する側も賛同しているわけではないけど売れるからつくる、本屋も売れるから置く。
    こんな本を売らなきゃいけない店員の葛藤なんて考えたことなかった。

    書店員へのアンケートの質問項目に、ヘイト本について客からなにか言われたことがあるか、というものがあった。
    びっくりした。そうか、必殺「お客様の声」で、これはおかしいと伝える手があったか。
    全然思いつかなかったから目から鱗が落ちた。
    「客」が嫌だと言えば、内心は売りたくない店員がやめようと言いだしやすくなるかもしれない。
    そうか、できることって探せばあるんだ。目が覚めた。


    ジェノサイドの段階『一冊で知る虐殺』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/456204523X
    報道者の倫理『38人の沈黙する目撃者』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4791766083

    これはたぶん、最近気になっていた「ナチスと企業の責任」と関連するテーマだ。
    焼却炉の販売元が使用目的に気づかないなんてことがあるか?とか、自分が普通に使っていたインクはユダヤ人の腕に番号を刺したのと同じ会社のものだった、とか。そういうの。


    関連
    『「本が売れない」と言うけれど』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/459114223X

  • 「ヘイト本」を放置できないと感じた出版社・書店の関係者たちによるシンポジウムの記録。講演会のテープ起こしがほとんどなので、内容はそれほど濃くはない。

  • 野間易通の発言、嫌韓嫌中本ブームは「15年くらいかけて築き上げたカルチャー」、このことをしっかり認識しなくてはならない。これだけの隆盛に至った「保守」のしたたかさを甘くみるべきではない。

    まず何が倫理的か探ることはもちろん重要だ。でもそれだけでは結局仲間内で確認するだけで終わってしまう。次にすべきはどうやったら変えられるかを考えること。リベラルの人間は本当に苦手だ。「金儲け」という意味じゃなく、消費者にいかにウケて、商品を通じたコミュニケーションができるかという意味でもっとビジネス思考を持たねば。この本では、ほんの芽が出ただけだ。

  •  書店にあふれる「ヘイト本」。侮蔑的な暴言が躍る週刊誌の中吊り広告。これらの現状を憂う出版関係者が、あえて「製造者責任」を自らに問うた。編集したのは、さまざまな出版社の編集・営業・校閲、フリーの編集者やライター、書店員など約20名が集い、2014年に結成された会。

     折しも「特定宗教への冒涜」か「表現の自由」かが問われる情勢。会の趣旨文には、「出版を生業とする私たち自身が、ヘイト出版に異議を唱える上では葛藤もあります。しかし、だからこそ、『自分は加担しない』という個々人の表明に期待します。……『私たちの愛する書店という空間を、憎しみの言葉で溢れさせたくない』私たちはそう表明し、本を愛する多くの方々とともに、この問題と向き合いたいと願います」とある。

     「思考停止しないための一冊」として読みたい。(松ちゃん)

  • 出た頃から気になっていた本。入手してみると、思っていたより小さい本だった。李信恵さんの『#鶴橋安寧―アンチ・ヘイト・クロニクル』を読んだあと、続けて読む。

    「出版業界の製造者責任」についてのシンポをまとめた三章でとくに印象に残ったのは、1995年のオウム事件のときに、何を書いてもオウムからの反論がなく、書き放題の風潮のなかで「記事の裏をとるという最低限のタガが外れてしまった」という、かつて週刊誌記者をしていた人の話。

    ▼これが日本のマスメディア、特に週刊誌の質を落とすきっかけになったと思います。最近の週刊誌にも、すさまじい見出し文句が毎週並び、韓国や中国側の反論をあえて無視して、裏取りのない記事を書き連ねている。ヘイト本もこの流れのなかにあります。マスメディアが記事の作り方の基本に立ち返り、ジャーナリズムとしての体制をもう一度作りなおさないと、この現象はなくならないのではないか。…(略)… マスメディアが立ち止まって、きちんとした記事づくりに立ち返ることをわれわれが応援しなければ、この国の未来は厳しいと思います。(p.90)

    この「タガがはずれた」ことは、四章の「ヘイトスピーチと法規制」のなかで、弁護士の神原元さんが述べている"知る権利の危機"につながっていると思える。

    20世紀、マスメディアの発達により、それらメディアから大量に一方的に情報を流す「送り手」と、その情報の「受け手」である一般国民との分離が著しくなったために、表現の自由を捉えなおして、「表現の受け手の自由(聞く自由、読む自由、視る自由)を保障するためそれを「知る権利」と捉えることが必要になってきた」(『憲法 第三版』163頁)と、かつて憲法学の巨人・芦部信喜は述べた。

    この「知る権利」に対して、メディアには正しい情報を提供する「責任」があると芦部は考えたのだ。だが、インターネットの普及が、「情報の受け手と送り手の分離」という状況を一変させた。そのことを神原さんは、「現代における「知る権利」の危機と出版関係者の責任」としてこう語る。

    ▼ネットに流通している情報は、その多くが発信元も分からないものであるという意味で、「情報」というよりは、「噂話」であり、都市伝説であり、フォークロアだといえる。しかるに、人々の活字離れが進み、アクセスが容易なインターネットに頼るようになると、人々の認識は、活字で得た「情報」より、インターネットで得た「噂話」に支配されるようになる。極端な人々は、「ネットで真実を知った」と考えはじめ、「メディアは真実を伝えていない」と憤り始める。(pp.115-116)

    そして、戦前の状況と現代を比較して、煽る主体が「新聞」「ラジオ」から、「インターネット」に変わった点と、その新旧のメディアの関係をこう述べる。半藤一利と保阪正康の『そして、メディアは日本を戦争に導いた』を思い出させる。

    ▼第二次大戦当時、ラジオは、今のインターネットと同じく「新しいメディア」であり、新聞は「ラジオに負けじとばかり」競って号外を流し、戦争を煽ったことも忘れてはならない。当時の「新聞」と「ラジオ」の関係は、新出の後者が前者を圧迫しつつあったという意味で、今の「出版物」と「インターネット」と同じ関係にある。(p.117)

    こうした批判に対して、リベラル派も売れる本を出すべき、それが言論には言論でという意味だろうと出版関係者からは言われるが、売れる本が正しい本ではない(それは市場原理を思想の世界に持ち込んだ仮説にすぎない)し、20世紀の現実から学んだことは「嘘もくり返せば人々は信じる」という事実なのだと神原さんはいう。さらに、「「思想」は左右いろいろあってよいが、自己の思想を支えるために、「虚偽の事実」を本に書くなと言っているのだ」(p.118)と神原さんは強調する。

    この本の一章「現代の「八月三一日」に生きる私たち」は、『九月、東京の路上で』の著者、加藤直樹さんの講演をもとにまとめられている。加藤さんは、関東大震災の起こったあの九月一日の前日にいるのと同じ状況ではないかと問いかける。

    ▼関東大震災が起きたのは一九二三年九月一日でした。そして震災の混乱のなかで、朝鮮人虐殺が引き起こされた。なぜそんなことが起きてしまったのかについて、研究者たちがさまざまに分析しています。しかしそれは、起きてしまった後だから言える結果論にすぎません。つまり、一九二三年八月三一日に、明日、大地震が起きて、そのとき「朝鮮人が暴動を起こしている」との流言が広がって罪のない人たちが殺されるだろうと予測していた人は、一人もいないわけです。
     だとすると、私たちもまた、現代の「八月三一日」に生きていると考えなくてはいけない。それは地震ではなく、戦争がきっかけになるかもしれない。あるいは、われわれがいま思いもつかない別の何かかもしれない。…(略)…
     関東大震災の研究者たちは。震災時の流言と虐殺の背景に、それまでに朝鮮人への別紙や恐怖を煽ってきたメディアの問題があったことを指摘しています。私たちの生きる「八月三一日」のメディアの状況はどうでしょうか。(pp.36-37)

    二章は、書店員へのアンケートをもとにした「書店員は「ヘイト本」をどう見ているのか?」で、本を仕入れ、読者に手渡す現場である書店で働く人たちの見た現状がおおよそうかがえる。私が日々うろうろする最寄りの本屋にも"ヘイト本"の類はそれなりに並んでいて、これを棚に並べる人はどんなことを感じているのだろうと思っていただけに、興味ぶかく読んだ。

    裏取りをしないテキストがあふれ、虚偽の事実が書かれた本が出ている、それが現状。そのなかで自分にできることは…と、この小さい本を読みながら考える。

    (2/9了)

  • ああいうのは脅迫でしかない。お前を殺すと手紙を出せば逮捕されてあたりまえで、在特会がそうならないのはどうしてなのかいまいちわからない。言論の自由がどうこういう次元の話ではない。

    ヘイト本を流布してはならない、という主張には一理あると思う。いじめっ子は必ず群れる。言ってはいけないこと、やってはならないことも、みんなでやると怖くない。なんかやっていいことのように思えてくる。人間はそうやって何度となく世界をぶち壊してきたのだ。
    ヘイト本の流布をとめても、差別や偏見はなくならないだろう。レイシストは胸をはって堂々といじめをするだろう。だがそれは世間の目から見て、痛々しく、後ろめたく、後ろ指を刺されるものであり続けなければならない。もしそうでない時代がやってきたら、この国は再び崖に近づくことになる。

  • 僕はヘイト・スピーチを憎む。実は,それほどヘイトの論者とそうでない人の議論をフォローしていない。しかし,僕がヘイトを憎むのは,その論拠の当否ではない(こう書くとヘイトの人からは無知と言われるのでしょうが)。ところがヘイトを売り物にせざるを得ない(確かに売れるようだし,とてもよく見かける)書店・出版社にとってはそうとばかりも言ってられないのだろう。その有志が集って作った本書は小さい本だけど,個々人の言葉から本の販売まで一つの大きな勇気を示していて,敬意を払わずにいられない。

  •  ヘイトスピーチをやる側、反対する側いったいどっちに分があるのだろうか。問題のある行為を批判するのに何ら抵抗がないとしたらまたそれはそれで新しい争いの種になる。

     確かに今の韓国、中国の日本に対する攻撃はひどいものであると同時にそれを受けるこの国のあり方もひどいと言われれば否定はできない。

     しかし、各々歴史的考えを主張するだけならばいつまでたっても先は見えない。かと言って過去の様に相手の言動を無条件に受け入れるのもどうだろうか。

     さあ、そうなればいったい何をどうやって解決していくことが正しいのか自分には判断が付きかねる。

     今現在の出版界での本の扱い方も平等ではなさそうだそして出版界伝家の宝刀の表現の自由のあり方も考え直すところに来ているのだろうか。

     難しい論点が多く複雑に絡んでいるのがこの問題でありそれを一つ一つ丁寧にほどく人がいないのもこの問題に拍車をかける要因なのだろう。

     問題は簡単ではない、しかし人類は常に難しい問題を抱えながら解決の糸口を見つけてきた。そして見つけようと努力している人たちも少なくはないという事もまた大切なことである。

  • これが第一歩だ。
    ここから始めなければ。
    出版関係者、書店関係者だけでなくみんなで考えないと、本当に日本は後戻りできないとこに行ってしまう。

  • ヘイトスピーチと排外主義に加担しない出版関係者の会
    https://www.facebook.com/antifapublishing

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著者プロフィール

1967年東京生まれ。おもな著書に『九月、東京の路上で』『TRICK 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』(ともにころから)、『謀叛の児』(河出書房新社)など。

「2023年 『それは丘の上から始まった』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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