戦争と世界 (マヤコフスキー叢書)

制作 : 町田 康 
  • 土曜社
4.25
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本棚登録 : 68
感想 : 5
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  • Amazon.co.jp ・本 (112ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784907511104

感想・レビュー・書評

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  • 読了
    海外のペーパーバック的な造本がいい
    「死人に恥なし」ってはじまりからかっこいい
    あんまりそういうつもりなかったけど、今と重ねるのは過激かね

  • 全体的に長いかなぁ・・・という印象と、戦争というとてつもない不条理って、マヤコフスキーの詩とはあまり相性がよくないのかも。惹きつけられる瞬間はあったけど、戦争を描写するほど、言葉が空を切る感じもしたかなぁ。

  • 読了。シリーズの中で一番面白かった。第一次世界大戦の悲惨がテーマだけど、連射される比喩使いが凄く良いっ!
    解説は町田康氏。二十代に見た美術手帖掲載の写真がマヤコフスキーを知るきっかけって自分と同じやん、嬉しいっ!w

  • マヤコフスキーのサド・マゾ性に溢れる。

  • マヤコフスキー叢書4冊目にして、翻訳家・小笠原豊樹氏の生前最後に刊行された訳詩集。

    全部で5部に分かれた長篇詩で、内容はタイトルのとおり「戦争と世界」について。詩人マヤコフスキーの頭の中で繰り広げられる第一次世界大戦と、世界の和解。詩を書いた当時、この強気な若者はまだ22歳。才気溢れ熱滾る詩人は、自分自身の大きさを世界と同じ位に捉えていたようだ。太陽、地球、俺、ぐらいに。だから彼は、戦争の痛みを自分一人で背負っている。

    “ 大きな目で地球を見はるかす/男が一人。/男は成長し、/頭は山の高さに達した。/男の子は/新しい衣装を、/自分の自由という衣装を身にまとい/勿体ぶって、/プライドの高さは少々滑稽なくらい。 ”

    全篇に渡って素晴らしい比喩が踊り、暗く悲惨な戦争の場面は、まるでスペクタキュラーな舞台のようでもある。詩の断片を舞台の台詞を諳んじる様に口ずさんでみると、その言葉の力の強さに恍惚となる。この詩人に、この本に魅了されてしまうのは、まるでマヤコフスキーが最初から日本語で書いたのではないかと思ってしまうほどの翻訳をされた小笠原氏の力なのかもしれない。氏のご冥福を心よりお祈りするとともに、シリーズの続刊を熱望している。

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著者プロフィール

ロシア未来派の詩人。1893年、グルジアのバグダジ村に生まれる。1906年、父親が急死し、母親・姉2人とモスクワへ引っ越す。非合法のロシア社会民主労働党(RSDRP)に入党し逮捕3回、のべ11か月間の獄中で詩作を始める。10年釈放、モスクワの美術学校に入学。12年、上級生ダヴィド・ブルリュックらと未来派アンソロジー『社会の趣味を殴る』のマニフェストに参加。14年、第一次世界大戦が勃発し、義勇兵に志願するも、結局ペトログラード陸軍自動車学校の設計士として徴用。戦中に長篇詩『ズボンをはいた雲』『背骨のフルート』を完成させる。17年の十月革命を熱狂的に支持し、内戦の戦況を伝えるプラカードを多数制作する。24年、レーニン死去をうけ、長編哀歌『ヴラジーミル・イリイチ・レーニン』を捧ぐ。25年、世界一周の旅に出るも、パリのホテルで旅費を失い、北米を旅し帰国。スターリン政権に失望を深め、『南京虫』『風呂』で全体主義体制を風刺する。30年4月14日、モスクワ市内の仕事部屋で謎の死を遂げる。翌日プラウダ紙が「これでいわゆる《一巻の終り》/愛のボートは粉々だ、くらしと正面衝突して」との「遺書」を掲載した。

「2014年 『ズボンをはいた雲』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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