- Amazon.co.jp ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784908110122
作品紹介・あらすじ
幕末明治の激動期に歌舞伎界を支え続けた河竹黙阿弥の天晴な作者人生を描く感動の歴史巨編!<br>
役者の無理難題に応え<br>お客の誹謗中傷に耐え<br>座元の海千山千に弄ばれ<br>
お上の無理無体に憤りながらも<br>六分の矜持と四分の熱を焔に、
立作者・河竹新七(後年、黙阿弥に改名)は黙々と新作を世に送り出し続け、
ついに“我国のシェークスピア”と坪内逍遥に称された巨人の生涯――<br>
歌舞伎史にその名を刻む千両役者たちと、
華麗な舞台の裏側で流した<br>血と汗と涙と、
夢と現実の芝居世界のものがたり。<br>
いよいよ開幕――。<br>
感想・レビュー・書評
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近松半二、鶴屋南北に続く歌舞伎界を牽引した大歌舞伎作家の生涯。彼の作品は、セリフの七五調がリズミカルで美しく、小悪党を煌びやかにダークヒーローに仕立て上げる「白浪もの」が有名。全体に叙事詩のように、彼と時代を共にした数々の歌舞伎役者たちが列伝のように登場し、また、彼が生き抜いた時代背景が描かれます。そのため、時代に翻弄される歌舞伎の歩みがわかりました。でも、肝心の黙阿弥が躍動しません。むしろ、田之助の人生が壮絶で、取り憑かれたように歌舞伎に打ち込む役者魂が鮮烈でした。であるなら、黙阿弥と田之助のタッグにフォーカスして、歌舞伎の一時代を築いたドラマを描く道もあったように思いました。
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歌舞伎をあまり知らない人でも、「知らざぁ言って聞かせやしょう」「こいつぁ春から縁起がいいわえ」といった七五調のセリフなら聞いたことがあるかもしれない。これらは、幕末から明治初期にかけて活躍した歌舞伎狂言作者、河竹黙阿弥(1816~1893)によるもの。激動期の歌舞伎界を支えた影の立役者ならぬ立作者である。黙阿弥は隠居名で、作者としては新七の名を名乗った時期が長い。
新七は、七五調の流麗なセリフだけでなく、音楽を積極的に取り入れ、持ち前の絵心で絵画的な舞台構成を考案するなど、創意工夫にあふれた作者だった。盗賊物を得意としたが、大悪人というよりもどこか庶民的で因果に翻弄される小悪党が主。その姿は当時、社会の不条理にあえぐ観客たちの心に響いた。
明治維新後は、新政府の要求にこたえつつ、新時代の風俗なども取り入れ、散切物(散切頭の登場人物が特徴)や活歴物(なるべく史実に沿った時代物)、松羽目物(能・狂言に題を取る演目。背景に能舞台を真似た松を描く)にも取り組んだ。
本作は、新七を軸に、幕末から明治期の芝居小屋を描く。
章ごとに、新七から見た、当時の人気役者、海老蔵、小團次、左團次、田之助、團菊(團十郎と菊五郎)を追う。つまり、新七は主人公でもあるのだが、狂言回しの役目も果たす。
千両役者が現れては消え、そして時代も流れていく。新七は筆一本でその世界を渡っていく。
華やかに見える芝居の世界も裏は厳しい。興行主は資金をやりくりして役者を集め、観客の喜びそうな演目を組み合わせ、作者に執筆を依頼する。役者は役者同志、馬が合う合わないがあり、つばぜり合いもあり、妬み嫉みもある。作者は芝居の世界では比較的立場が低く、役者で客を呼ぶことはあっても、作者の名前で客が呼べるわけではない。
そんな中で新七は複数の芝居小屋に作品を書き、弟子に教え、時には助(スケ、助筆)もする。さて、己の望みは何だろうか、と時に考えながら。
圧巻はやはり、第四章の「田之助」だろうか。澤村田之助は、芝居中の怪我から脱疽を患い、両脚を切断しながらも舞台に出続けた伝説的な女形である。実力も美貌も備えながら、身体は不自由に。けれどもいざり車に乗ってでも舞台に出たいのだ。そしてまた田之助が出れば客も入るのだ。田之助は新七に「師匠、よう、書いておくれよ」という。ホンや道具に工夫があれば、脚がなくても自分は演じられる、と。師匠ならそんな話が書けるだろ、と。新七はそれに応えて芝居を書いてやるのだが、しかし、本当にそれでよかったのだろうか。
役者の「業」を感じさせる章。
著者は文学博士で、高校教諭や大学講師を経て創作に転じた。巻末の参考文献の多さも目を引く。
背景に膨大な資料があってこその作品世界。幕末から明治にかけて、芝居に身を投じたさまざまな人々が鮮やかに浮かび上がる。 -
日本のシェイクスピアと言われた歌舞伎作者、河竹新七の一生を描く。七代目団十郎(五代目海老蔵)、市川小團次、市川左団次、三代目澤村田之助、九代目市川團十郎・五代目尾上菊五郎等時代を共にした役者、座元達との確執を語る。幕末から明治中期までを代表する文人、河竹黙阿弥を知る絶好時代の小説。歌舞伎フアンは当然ながら、幕末、明治維新更に明治中期の日本文化史を知りたい歴史愛好家には必読の一冊。