- Amazon.co.jp ・本 (264ページ)
- / ISBN・EAN: 9784909394026
作品紹介・あらすじ
めざすべきは、正円じゃなく、楕円。
もう1つの焦点をいかにしてつくるか?
全財産を失い、右肺の3分の1も失った著者がたどり着いた、新たな贈与論。
人は必ず病み、衰え、老い、死んで土に還る。でも、その可傷性・可死性ゆえに、生きている間だけ人は暖かい。平川君が構築しようとしているのは、壊れやすく、傷つきやすいけれど、それゆえ暖かい「生身の人間の経済学」である。――内田樹氏、推薦!
文無し生活、その日暮らし、タケノコ生活、自転車操業の日々となった。とほほである。
多くの人々は、そんな生活をしたいとは思わないだろう。しかし、やってみるとこれがなかなか時代に適合した生き方のようにも思えてくる。…そのために必要なものは何か。…その答えは本書をお読みいただきたいと思う。――「まえがき」より
『小商いのすすめ』から6年、『「消費」をやめる』から3年を経た、平川哲学の集大成。
感想・レビュー・書評
-
白黒つけず、緩やかなつながりの中で生きていこう。少なくともそういう風に生きて行ける選択肢の世の中になるといい。飄々と世間話のように展開される持論はまとまりがなく、流れ流れて結論らしきものはありません。でもそれがいいんだな。先達がつらつらと語っている事を拝聴しているような気持。
縁を断ち切って強いものだけが生きて行けるように調整された社会の中では、皆が幸せを感じて生きていく為の寛容さが少ないので、お互いの心の余裕を分け与えながら緩やかに生きていきたいものであります。
論というほど大上段に構えたものではありません。楕円形に歪んだ心地よい世間話です。
誰もが産まれた時に返済しようのない負債があり、親にそれを帰すのではなく、さらに先の世代を世話する事によって結果的に返している。そうやって長期的に見た時に損得を超えた何かをお互いに受け取っているのではないでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
☆☆☆2019年8月レビュー☆☆☆
相互扶助の社会か、反対給付の社会か。
有縁か無縁か。
対照的な社会の姿を論じながら、現代の日本、世界に警鐘を鳴らす書。特に印象に残ったのは、「自己責任論」を批判する部分。ここでいう自己責任とは、「困っている人、弱っている人がそうなっているのは、自分が努力をしなかった結果である。だから助ける必要はない」といった意味での「自己責任論」。
このような考えは責任という言葉ではなく「俺には関係ない」という意味での無責任論だと筆者は指摘する。
もっともだ。
本当の責任とは「自分には本来は責任のないこと」にも真摯に取り組むことだという。『小商いのすすめ』にも似たようなことを書いていた。
「貨幣は腐らない」という面を指摘した貨幣論も面白いと思った。それが富の一極集中につながるんだと。
『エンデの遺言』にも似たようなことが書いてあったな。
僕がこの本を読んで思ったのは、大切なのは「思いやりと優しさ」なのでは?ということ。 -
2018.3.4のNHKAM著者からの手紙で語ったのに興味を持ち読んでみた。このラジオ番組、聞き手のアナウンサーも聞くツボを心得ていて、著者の世界を引き出して行く。
副題「その日暮らしの哲学」とあるように、15年続けてきた会社をたたんだ著者の平川氏が考える、金銭、モラルなどについて語った著。
memo
会社をたたむということは借金を返すということ。借金を返したら済々はしたが日々の生活にやる気が無くなった。お金とは交換を促進する道具であり、関係を断ち切る道具。モノを買えば物を受け取り金を払い、2者の関係は終わる。
ピーター・フロイヘン「エスキモーの本」の中のエスキモーの価値観。「「われわれは人間である」「そして人間だから助け合う、それに対して礼を言われるのは好まない。今日わたしが得るものを、明日あなたが得るかもしれない。この地でわれわれがよくいうのは、贈与は奴隷をつくり、鞭が犬をつくるということだ」
エスキモーから肉をもらいお礼を言ったフロイヘンに対しエスキモーは怒った。部族社会の人々にとっては、自然からの贈与は、自分たちが生きていく条件であり、感謝の気持ちはあっても、等価交換的な返礼の気持ちはない。
政治というのは、きれいごとの論理が通る場でなければならない。政治の役割は国民国家のフルメンバーが衣食足りて平和にくらせるよう、すぐには実現できないとしても、実現に向けて努力する責任がある。
「文化」は「ためらい」と「うしろめたさ」
「楕円」には焦点が二つある。「有縁」と「無縁」、お金と信用、欲得と慈愛という相反する焦点があり、それがいつも綱引きをしている。それらは反発しながら相互に依存している。
・・・面白かったのが「木綿のハンカチーフ」の考察。現代の楕円思想が現れているという。田舎と都会、情とお金、生産と消費という相矛盾する二つの項を鮮やかに対比させてみせた。そして”この歌は徹頭徹尾、男目線の、ある意味で身勝手極まりない歌なのです”という。日頃思っていたことを1950年生まれの男性の平河氏がきっぱり書いてくれて、こういう男性もいたんだ、と目をみはった。これが上野千鶴子なんかが言ったらたちどころに攻撃の嵐ですね。
解決がつかない問題の前で、逡巡する時間を経たのち、わたしたちがとるべき行動は、「やむを得ず、引き受ける」こと以外にないように思います。解決がつかないままに一身に引き受ける、というんですか。
本よりラジオの方がおもしろかった。 -
・贈与論が気になった。
・語り口調がやや読みにくい。 -
記録
-
大六天のTSUTAYAで「小商いのすすめ」という本を見かけたのが最初だった。今のところまだその本は読んでないのだけれど、そのタイトルだったり、またこの本の帯にある文無し生活とか見かけていたから、あまりパッとしない話なのかなとあまり期待しておらず、結局新刊では買わずに、池袋のブックオフで見かけて買ったのだった。
前置き長すぎたが、読み終わりたくなかった本の一つだった。この本では有縁と無縁と言い表されているが、つまりは一種の全体主義と対する資本主義の、それぞれはどういうもので、でも対立させて良いわけではなく、裏返しの関係にあるそれぞれをどこで見ているのが今の自分なのか。そして誰もが迎える死に向かって、何を見ることができるのか、ねえ皆さん、楽しみじゃないですか?と著者の平川さんは言いたかったように思えた。 -
エンデの遺言とかぶった。
-
思索
-
資本主義が成熟した社会でただ自己の利益を追求するのではなくて、一人一人がお金や他者に対する関係性を見直し、モラルを更新していかなければならないと感じた。
物事を考える時は二者択一ではなく、その程よい距離感を考えるということは今の世の中に必要だと思った。