縁食論――孤食と共食のあいだ

著者 :
  • ミシマ社
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909394439

作品紹介・あらすじ

「縁食」とは、
コロナ禍が収まりを見せたあとに訪れる、
新たな社会の突破口――。

ベーシックインカムと食堂/食べ物に値段がなかったら/弁当と給食の暴力/死者との縁食/基本的に食べ物は「あまる」…

ひとりぼっちで食べる「孤食」とも、強いつながりを強制されて食べる「共食」とも異なる食のかたちとは? 家族や会社などの共同体に制度崩壊が起こる今、社会が希求する「ゆるやかな並存の場」を示す挑戦作。

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感想・レビュー・書評

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  • 縁食論 孤食と共食のあいだ 藤原辰史著:東京新聞 TOKYO Web
    https://www.tokyo-np.co.jp/article/81565?rct=shohyo

    株式会社ミシマ社 | 縁食論 | 原点回帰の出版社、おもしろ、楽しく!
    https://mishimasha.com/books/ensyoku.html

  • 僕がずーっと気になっていたことを藤原は指摘した。
    なんで最低限の飯にありつくだけでカネが要るのか?
    書籍購入やら映画鑑賞やらで出費する遊民の僕でさえ、毎食数百円払うのはツラい。まして、諸事情で収入が絶えていたり不安定な人々にとっては何をかいわんや。
    「厳しい社会」を生き抜くためにお前がしっかりしなさい、と自己責任論に回収されてしまい沈黙を余儀なくされてきた腹の虫。強制力が働くほどに忿懣が首をもたげる。「厳しい社会」はもうびくともしないのか。「生きやすい社会」を組み立てるよすがを模索してはいけないのか。せめて、捨てられそうな飯を配分されるシステムぐらいは十全に整備できないか。
    「あぶないよ 自分の身は 自分でね」先日、ドライブしていたら道中こんな標語が記された看板を目にした。五七五ふうの形式かつ無記名で放たれているぶん、自己責任論の極致を見た気がした。自治体がそれを許可して置いているのがなんとも恐ろしい。責任を全て一個人に帰すこと、慎まなくては。
    がんじがらめの共同体でもなく、存立危うい個人単位でもない「縁」が必要だ。

  • 最近、読み終わった「寄せ場のグルメ」の中に、中原一歩と藤原辰史の対談があり、勢いで「縁食論」にも手を伸ばしました。タイトルで掲げられている、ぼっちごはん「個食」と家族の食卓に代表される「共食」の間に「縁食」というキーワードをおいて、その概念のまわりの思いをつれづれに語る本でした。「論」というより「エッセイ」なので、著者が現代社会にどんな違和感を持っているのか?というモヤモヤに浸る読書でした。2020年までの雑誌の連載をまとめたものなのですが、まさにコロナ禍によって、このモヤモヤがイガイガとして加速しているように思います。一方、2023年の5類後、反動のように居酒屋ではすごい盛り上がりを感じます。自分かそれ以外か…仲間かそれ以外か…著者のいう「縁」という境界線の緩やかな紐帯を食によって育むこと、わかるけど、どうやって…が読了直後の感想です。

  • 本書は2014年から2020年まで『ちゃぶ台』や『みんなのミシマガジン』(ミシマ社)のほか、雑誌などに掲載されたエッセイ集。
    「縁食」とは聞き慣れない言葉だけれど、今思えば、親族旧友の来訪がなによりの楽しみだった両親の遺伝子なのか兄姉の友人知人繋がりで見ず知らずの外国からの来客も多かった実家の台所は、まさに縁食の場だったのかもしれないと懐かしくありがたく思い出した。

  • 家庭内の孤食批判、弁当は愛、手作り料理が大事、それが母の役目、的な声を聞くことがある中、それを母にかぶせるのは酷いと言ってくれる男性がいてくれることに安心する。食べ物は生命維持装置であり、食に市場経済が介入することを危ぶみ、基本、保障されるべきこと、としていることも納得。子ども食堂を例に、食を通した社交の可能性を探る。それは、強制的なものではなく、たまたま居合わせた人と気持ちよく食事をする「縁食」。本のはじめの方に、大学の学食でパーティションで区切って一人で食べられるようになっていることへの批判があった。大学側が率先して孤食を勧めていることへの批判だったように思うが、孤食に慣れた人には、人前での食事が苦痛で、彼らには大学側の配慮がありがたかったことだろう。かくいう私も、ご近所付き合いがつらかったり、PTAの人間関係が面倒だったり、あまり社交がうまくいかないほう。でもだから、人付き合いを避けるシステムに進めば、他者への想いや心配をしない、弱者に気づかず放置される社会になってしまうこともわかる。筆者は、鍛えられた自立した近代市民モデルが目指すべき模範になるのではなく、人間は不完全でお互いに依存し合いながら生きる存在であるという認識を前提とすべきとする。特定の仲の良い気が合う人とのつながりだけではなく、行きずりの、たまたま会った人同士のつながりが、食を通してできたら。無料の市場のようなものがあって、お金無くても誰でも食事ができるような場があったら。今の社会の何か大きな問題が少しいい方向に向くように思えた。

  • NDC分類 383.8

    「世界人口の9人に1人が飢餓で苦しむ地球、義務教育なのに給食無料化が進まない島国。「あたらしい食のかたち」を、歴史学の立場から探り、描く。」

    目次
    第1章 縁食とは何か―孤食と共食のあいだ(孤食の宇宙;しわ寄せ引き受け装置 ほか)
    第2章 縁食のかたち(公衆食堂の小史;食の囲い込み ほか)
    第3章 縁食のながめ(弁当と給食の弁証法;無料食堂試論 ほか)
    第4章 縁食のにぎわい(死者と食べる;食を聴く ほか)
    第5章 縁食の人文学(「もれ」について―「直耕」としての食;パンデミックの孤独―「居心地のよい空間」をめぐる人文学)

    著者等紹介
    藤原辰史[フジハラタツシ]
    1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年『ナチス・ドイツの有機農業』で日本ドイツ学会奨励賞、2013年『ナチスのキッチン』で河合隼雄学芸賞、2019年日本学術振興会賞、同年『給食の歴史』で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』でサントリー学芸賞を受賞

  • 背ラベル:383.8-フ

  • ふむ

  • 「縁とは、人間と人間の深くて重いつながり、という意味ではなく、単に、めぐりあわせ、という意味である」
    重いつながりを嫌い孤食を好むわたしですが、食を通じてだれかとめぐりあいたいという気持ちが自分の中に潜んでいることに気付かされました。
    『孤食好き』には是非手にとってほしい一冊。

  • ■一橋大学所在情報(HERMES-catalogへのリンク)
    【書籍】
    https://opac.lib.hit-u.ac.jp/opac/opac_link/bibid/1001182382

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著者プロフィール

1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。2006年、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房)で日本ドイツ学会奨励賞、2013年、『ナチスのキッチン』(水声社/決定版:共和国)で河合隼雄学芸賞、2019年、日本学術振興会賞、『給食の歴史』(岩波新書)で辻静雄食文化賞、『分解の哲学』(青土社)でサントリー学芸賞を受賞。著書に、『カブラの冬』(人文書院)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『食べること考えること』(共和国)、『トラクターの世界史』(中公新書)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会)、『縁食論』(ミシマ社)、『農の原理の史的研究』(創元社)、『歴史の屑拾い』(講談社)ほか。共著に『農学と戦争』、『言葉をもみほぐす』(共に岩波書店)、『中学生から知りたいウクライナのこと』(ミシマ社)などがある。

「2022年 『植物考』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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