未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録: 堀忠雄『五福堂開拓団十年記』を読む

制作 : 黒澤 勉  小松 靖彦 
  • 文学通信
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  • Amazon.co.jp ・本 (252ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784909658715

作品紹介・あらすじ

「今さら満洲開拓の是非論など何の値もしないが、その開拓者の生死とそれに関する事実を明らかにすることは、日本人として日本の歴史を動かしてしまった者として、当然明らかにしなければならないと言うことが私の責任であるのだ」……第三部・「開拓忌三十三年」(堀忠雄)より

ほとんどの開拓団が悲惨な逃避行を体験することになったが、五福堂開拓団は現地住民の襲撃にあったものの、致命的な被害を受けることはなかった。それはなぜだったのか――。

満蒙開拓団の悲惨な歴史の中にあって、異彩を放つ移民団・五福堂開拓団の団長・堀忠雄の未刊の著作『五福堂開拓団十年記』をはじめて紹介する書。
五福堂開拓団は、ほとんどが未墾の土地に入植し、一部の既墾地については、現地住民がそのまま耕作を続けることを認め、現地住民たちとの間に良好な関係を築いた。それは堀の「日本人も中国人も農民は農民同士」という方針による。敗戦後、堀団長は、団員全員が生き抜くことを指針とした。ソ連軍による女性の供出要求もはっきりと拒否した。

常に理性的行動をとった堀の内側にあった感情のゆらぎの記録として、また、敗戦以前の五福堂開拓団の暮らしの記録として極めて貴重な書。堀は本書執筆の三年後の一九七二年、すべての公務を辞し(堀は敗戦後岩手県で開拓の指導に当たった)、かつての団員の訪問を開始した。『五福堂開拓団十年記』は、満蒙開拓団の歴史の真実を明らかにするための旅に先立ち、堀自身の心の整理を試みたものであった。

悲劇的な満蒙開拓団の歴史の中に、なおも存在していた人間の「可能性」を伝える新資料。「唄う村民にしよう。歌う村を創ろう」と、宮澤賢治に通ずる理想を掲げて開拓に取り組んだ堀の考え方と行動の背後から、満蒙開拓団の歴史にもう一歩近づくことができる。

著者プロフィール

1945年、青森県十和田市生まれ。県立三本木高校を経て東北大学文学部国文学科卒。岩手県内の高校に22年間勤務した後、岩手医科大学で20年間文学、日本語表現論などを教え、2011年に定年退職。退職後、中国の大連に合わせて9か月短期留学。(定年前著書)『日本語つれづれ草』『盛岡言葉入門』『言葉と心』『東北民謡の父 武田忠一郎伝』『病者の文学 正岡子規』『子規の書簡上・下』『宮澤賢治作品選』など。(定年退職後)『大連通信』(盛岡タイムス連載)『陣中日記』(月刊俳句界連載)『マイコプラズマ肺炎日記』(詩集)『オーラルヒストリー 拓魂』『岩手山麓開拓物語』『木を植えた人・二戸のフランシスコ ゲオルク・シュトルム神父の生活と思想』『満洲開拓民の悲劇』(ツーワンライフ)など。

「2022年 『未墾地に入植した満蒙開拓団長の記録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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