対話・日本人論

  • 夏目書房
3.20
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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784931391963

作品紹介・あらすじ

死の四年前、尊敬する先輩作家林房雄と語り合った芸術、政治、文学、天皇、日本人-。死への決意が行間に溢れる遺言の書。

感想・レビュー・書評

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  • 良い本。

    三島:ジョルジュ・バタイユの「エロティシズム」の議論は、生の本質は非連続性であり、細胞分裂の結果生まれた生命は、非連続性の中にさらされているほかはないけれども、ただ、エロティスムを媒介としてのみ、連続性の姿を垣間見る。その連続性とは死だという考えです。それが祭の本質なのです。
     この論理の立て方は、人生と芸術、生活と言葉、の問題にも類推できるし、死=連続性=伝統=伝承=言葉、という等価方程式も立てることができる。一方では、生=非連続性=社会=大衆社会化=言葉、という具合にもなるわけで、言葉はその両方にかかわり合っている。そうしてバタイユのいうエロティスムとは、この二つを結ぶ接点ですから、言葉=芸術=エロティスムという方程式も成立つ。僕にはバタイユがおもしろくてなりません。

    p55/9
    林:孤独なんて少しも怖くないな。現代の孤独と絶望について不思議な愚痴をならべ立てる作家もいるが、孤独は、自ら求めるものであって、孤独になったからといって悲しむものではないでしょう。みな孤独になれないから、あせっているのではないかな。孤独になれないというのは、脆弱な精神だよ。

    p60/7
    三島:精神は、連続性へ、死へ向けていればいい。剣道なんかには、その精神主義の中に、ちょっとそういう魅力があるのです。

    p83/3
    林:未来というのは、現在のなかにある可能性でしょう。この可能性を発見して洗濯するのが政治的能力なんだが、せっかくの可能性を発しても、これはマルクス・レーニンが言ってないから、この可能性は可能性ではないというのが彼らの論理ですね。現在のなかにたくさん可能性がある。その可能性のどれが現実的であるかということを探りあてる直感、これが予言能力でしょう。マルクス屋さんはマルクス、レーニン、毛沢東の発言を予言の基礎にする。あたるはずがない。偽預言者だな。文学者の中には本物の予言者がいる。ニーチェの予言などはすごいね。

    p85/9
    三島:伊藤静雄なんかも、戦争中のものは非常にいいですよ。ほんとうにいい詩ですね。
    林:だから人間は戦争を避けて通ろうとしてはいけないのですよ。平和は結構だが、戦争は必ず起こると覚悟していなければ、一歩も進めない。平和が永久につづくなどと思っていたら、とんだ観測ちがいをおかすことになる。地球国家ができましたら、こんどは宇宙船を飛ばして・・・・・・。
    三島:ほかの遊星を攻撃する・・・・・・。
    林:人類はあと何世紀くらい戦争をやるのでしょう、人類という動物は!

    p89
    三島:文学者というのはいつでも、最先端の患者であり、最先端の医者である。

    p90/11
    三島:太宰治の小説なんかの、いまもっている青年に対する意味というものは、僕は太宰治嫌いだから、偏見もあるかも知れないけれども、やはりいまでもアピールしていることはたしかですよ。自己憐憫、それから、「生まれて、すみません」。それから、「自分はこんなに駄目な人間だけれども、駄目な人間でも一言いわせてもらいたい」。あれが埋没された青年というものに訴えるのですね。青年というのは、いかに大きなことを言っていても、やはり自分が埋没している。埋もれている。

    p91/8
    林:太宰というのはたいへんなレトリシャンで、うまいですよ、比喩や形容が。その意味の天才だ。たいへんな才能ですよ。亀井勝一郎もよく似ている。「レトリックとは大衆の無知と弱点にこびるおべっかで大衆をあざむいて大先生だと思い込ませる雄弁術だ」というプラトンの言葉を思い出します。

    p93/2
    三島:ことばは絶対に克己心を教えますね。そrでことばというものにぶつかったときに、つまり文学というのは、己の弱さをそのまま是認するものではない。文学の世界にことばがあって、われわれに克己心を要求するのだということを学んだような気がする。それは自制心の心というか、太宰でいちばん嫌いなのは、ことばをそういうふうに使ってないことです。ことばがつまり彼に対抗して、もちろん文章を作るのに苦心もしたでしょう。でもことばというものは、自分に対抗する原理だということはあまり考えていないような気がする。その自分に対抗するものをねじ伏せて自分のものにしてしまうのが、文学の仕事です。

    p93
    林:ニーチェは、人間を生きながらえさせたものは、森の中で生活していたことの原始人の用心深い臆病さではなく、不利な環境に抵抗した勇気だ――人間の条件は勇気であると、言っている。太宰治はこの意味の勇気とは関係ない。

    p95/6
    三島:しかし、どこに真実があるのか、弱さにだけ真実があるというのはほんとうだろうかというのが、僕の根本的な疑問だった。人間というのはどういうふうにつかまえたらいいだろうか。そうすると、強く見せれば、強がっていると思われる。弱く見せれば、弱がっていると思われないという、へんな心理が人間にある。

    p98/4
    林:歴史は人間の行動によってつくられるものだが、人間の行動のすべてが歴史をつくるわけではない。古代人の神話と叙事詩はすべて英雄譚だという点に、歴史の本質に対する暗示がある。

    p98
    つまり、僕が考えていたのは、文学というのは、小さい一つの花とか、小さい一つの昆虫とか、名もしれぬ庶民とか、そういうものを偉大にする仕事だというふうに考えていた。
    (中略)
    だから文学というのは、偉大な主題を小さくするより、小さな主題を大きくするのが文学だと考えていた。それはいまも変らないのですけれども、同時に僕は、文学というのは大きい主題も小さい主題もないのだと、そのなかの一つにエッセンスをつかまえればいいのだ、そのエッセンスは大きいのにも小さいのにも通ずるのではないかというふうに、考えが変ってきたのです。

    p100/11
    林:文学者は人間の偉大しか書く義務はないと思っています。ニーチェの永劫回帰は恐ろしい思想だが、人生の中でいつもくりかえされていること、だれもくりかえすことは、日記にはなるが文学にはならない。その九十九パーセントまで凡俗で俗悪な人間が、のこりの一パーセントで何か偉大なことをした、または偉大に達し得る何者かを内蔵していたら、それが歴史になり、文学になる。

    p102/10
    三島:人間というものは、一貫不惑でなければいけないという考えですね。思想には発展もなければ、思想というものが人間のなかで、人間の肉体を離れて、どんどん工場が建つように、新しい工場を増築するわけにはいかないという僕の考えです。だからある意味では一貫不惑ということは、そんなむずかしいことではないと思いますよ。

    林:人間が、自分の誠実、シンセリティーを保つためには、しばしば自分の思想を裏切ることがある。

    三島:そうそう、そうですよ。

    p104/8
    三島:人間が自然に好きなように生きるというのは、論理的一貫性をつくるいちばんのもとになると思うのです。それは『葉隠』の、どうせ短い人生だから、好きなことをして暮らせという意味はそれだと思うのですよ。自然に好きなことだけたっておれば、絶対人間は論理一貫性を保てるように、神様はつくっていると思いますよ。ところがときどき、好きではないことをやるから間違う。

    p108/5
    三島:誤解されないときは人間は死んでるのですから、誤解されているということは、生きているということだから。

    p110
    林:論理も方法も達し得ないところに愛情が作用する。愛情以外に歴史を解釈する方法はない。歴史的人物にほれることによってその人物を理解できる。

    三島:批評もそうですね。批評も絶対そうです。

    林:好きか嫌いかどっちかだ。作品批評の客観的規準なんかありませんよ。あれば便利ですがね。あると思っている批評家もいますがね。

    三島:でも根本動機は愛情でなければ、真実は・・・・・・。

    林:真実とは人間精神の創造物でしょう。事実は客観的なものです。それに生命を与えるものは、愛情という主観的で神秘的なものだとすれば、不可知論ですね。対象としての事実や事件は存在するが、その対象を究極的に理解するものは愛以外にないというのは、不可知論でしょう。私がもし三島由紀夫論を書くとすると、その方法は愛以外にない。

    p115
    三島:『源氏』を読むのは原文しかないというほうが、ほんとうだと思いますよ。

    p117
    三島:人に通じさせるということがやはり根本だからね。ことばというものは、それに抵抗しながらいつも出てくるので、たとえばある橋を渡ったという場合に、その橋という観念のなかに、どういう橋がイメージとして浮んでくるか。そのイメージだけは、どんなことをしても伝えられない。文学はそれでいいのではありませんか。ゲーテの小説を日本語で読んで、橋ということばが出てくるとき、その橋がドイツのどこの橋がゲーテの頭のなかにあったか、そんなことがわれわれにわかるわけがないですよね。

    p142/2
    三島:芸術作品というのは、一つの夢だとか、そういうものに似ているのであって、僕たちはそういうものをシステマタイズする。一つの夢をシステマタイズすることにとって作品をつくって、それが人の心を感動させることになる。

    p145/5
    三島:僕もいろいろ考えてみたけれども、それはトインビーも言っていますが、トインビーは、もう文明と文化をあまり峻別しないのですね。

    p192/4
    三島:僕は人間がどうやって神になるかという小説を書こうと思っています。

    p208/5
    三島:人間というのは不思議なものだな。ほんとうに肉体がちゃんと完成して、立派ないちばん美しいときには精神が未成熟で、見るに耐えない。それはオスカー・ワイルドが言っているように、ほんとうに精神というものは、肉体の青春だというのか、それは絶対合わないということですね。

    p218/7
    林:ヒューマニズムの名において人間の命を大事にしすぎる。交通事故で若者が何万人心でも平気なくせに、日本の特攻隊を自殺舞台といって犬死のように言う。人間には自殺の自由があってもいいね。ヘミングウェイは釣りも猟もできなくなったら、自殺した。うらやましいね。

    三島:あれの親父もやはりそうだそうですね。親父も同じ猟銃で、同じくらいの年で死んでる。

    林:自殺の能力もなくなると、ただ生き延びるらしい。つらいね。

    三島:自殺にはそれなりのチャンスがあるらしいな。

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