雨に唄えば 50周年記念版 スペシャル・エディション [DVD]

監督 : ジーン・ケリー  スタンリー・ドーネン 
出演 : ジーン・ケリー  デビー・レイノルズ  ドナルド・オコーナー 
  • ワーナー・ホーム・ビデオ
4.24
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本棚登録 : 539
感想 : 103
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4988135538383

感想・レビュー・書評

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  • タップダンスがとにかく素晴らしい。人間業とは思えないくらい。壁をけ上がってくるりと一回り、すごい。

    無声映画からトーキーに変わる時、セリフ回しのうまくない人は消えていったと読んだことがある。まさにそれが描かれている。ひどい声の高慢な女優は確かに性格もひどいのだが、最後の場面で幕の後ろのキャシーが現れるところ、すこしかわいそうになってしまった。あそこまで行く前に分からせることはできなかったのか。

    1952アメリカ
    2020.7.21BSプレミアム

  • 雨なのに湿度0%

  • これが有名で評価されているのがよくわかる。
    ハリウッド黄金期に生まれたかった。
    さいごのThe End made in Hollywood.
    まで心ぶち抜かれた

  • 「ラ・ラ・ランド」の公開が近いので鑑賞しました。

    映画がサイレントからトーキーに移行する時代で、サイレント映画俳優で名を馳せたスターである主人公が、ある女性に出会うことで自分の存在意義を見つめ直す作品です。

    今更この映画を語るのもおこがましいですが、すごく面白かったです!

    冷静に考えれば主人公たちは食い扶持を無くすかもしれないすごく切実な状況なのに、ミュージカルシーンの一つ一つがすごく多幸感に満ちていて、すごく楽しかったです。

    初めて挑戦したトーキー映画のあまりのヒドい出来に落ち込むジーン・ケリーが仲間と一緒に打開策を思いつき、「これならいけるかもしれない!」という期待感と共に雨の中一人唄うシーンの素晴らしさは全く古さを感じさせません。

    苦しいときほど楽しく過ごす。
    周りの状況は変わろうとも、自分の感情は自分で決めることが出来るんだ!という明るいメッセージを肌で感じることができます。

    ただ少しだけ気になる点はジーン・ヘイゲン演じるリナの扱いですね。
    彼女は容姿は完璧だけど声が甲高くトーキー映画では生き残れない女優で、主人公たちからは厄介者扱いされているのですが、彼女がすごく可哀想でw

    自分の演技が勝手に吹き替えされてたらそりゃ怒ると思うし、主人公が最後に言う「リナの声を演じていたのはキャシーだったんです!真のスターは彼女だったんです!」っていうのは今の時代の感覚だと色々問題があるなとw

    その手前で吹き替えの仕事(今で言う声優)を「日の当たらない影の仕事」と言っているのは、日本人の感覚だとイラっとくる人がいるかもしれないですね。

    でもそういうところも含めて楽しいし、何度も観たい素敵な作品でした。

  • この映画は、個人的に非常にツボにはまっていて、DVDを買ったときは3回連続で見ました。歌もダンスもストーリーも素晴らしいですよね。2年ぶりくらいの鑑賞になりますが、今回はストーリーも大変興味深く見直しました。

    『雨に唄えば』は、第一級のミュージカル作品ですが、同時にトーキー誕生時のハリウッドの様子を垣間見ることができる貴重な映画でもあります。

    この作品は初のトーキー作品『ジャズ・シンガー』が公開された年の話ですから1927年ということになります。冒頭、サイレント映画のスター、ドン・ロックウッド(ジーン・ケリー)が、聴衆に嘘八百の経歴を披露する場面がありますが、当時の映画作りはスターの人気に依存していたため(現在でも変わりませんが)、スターのイメージは映画スタジオの収入に直結。映画スタジオは大事なスターを専属化し公私に渡ってイメージコントロールしていたそうです(本格的なスター・システムはもう少し後からになりますが。。)。ドンの演説も映画スタジオの宣伝部がすべてシナリオを考え、作り上げられたイメージを世の中に伝えていたわけですね。

    ドンは、その演説で語られる華々しいエリートイメージとは正反対で、もともとは貧しい家に育ったボードヴィリアン。しかし、子供のころから鍛え上げられて歌も踊りも抜群です。それに対して、モニュメンタル映画社の二枚看板のもう一人女優リナ・ラモント(ジーン・ヘイゲン)はサイレントの大仰な芝居と見た目の美しさ以外は、演技も台詞も歌もだめな "Triple Thread"。

    映画がトーキーになった時に、”しゃべれない、歌えない”ためにイメージが崩れて姿を消した俳優はたくさんいました。中には、ジョン・ギルバートやクララ・ボウ、ポーラ・ネグり、ナタリー・タルマッジなど、サイレントのビッグネームも含まれていました。劇中、”ハリウッドでしゃべり方教室が大流行”というくだりがありますが、役者たちはキャリアをかけて必死に特訓したのでしょう。おかしいのと同時に当時の彼らの苦労がしのばれて大変興味深いシーンです。

    物語の核になる”吹き替え”は、リナの悪声とひどいなまりを隠すために考えついた苦肉の策ということになっています。

    実際のケースでも、イギリス初のトーキー映画「恐喝(ゆすり)」(ヒッチコック)では、主役のドイツ人女優アニー・オンドラが英語を全く話せなかったために、英語吹き替えが行われています。アフレコ技術がなかったため、アニーの演技と当時にイギリス女優に台詞をしゃべらせていたそうです。本作のリナの場合とは事情が違いますが、吹き替えが用いられるようになった経緯には、こういう”トーキーに出せない俳優をどうするんだ?”という問題が深く関わっていたのかもしれません。

    モニュメンタル映画社のパーティー席上でトーキーの宣伝フィルムが披露された時の関係者の反応は冷ややかなもので、”子供だましの悪趣味なおもちゃだ”とバッサリ。ところが、”ジャズ・シンガー”が大ヒットすると映画界はなだれのようにトーキー化にまっしぐら。製作途中のサイレント映画までトーキーに変更となり、トーキー化が予想外の急激な変化だったために関係者が右往左往した様子が良くわかり、ここも大変面白いシーンです。

    さらに興味深いのは、映画に音声が入ったことでサイレントの演技が全く通用しなくなってしまったことです。プレミア試写でドン&リナの『闘う騎士』が大コケした理由は。。。

    ・サイレントの大仰な演技に音声がついたときに、あまりに日常的な動作からかけ離れた芝居になってしまったこと。
    ・セリフ自体にも自然さがなく、大時代でこっけいな台詞回しになってしまったこと。
    ・録音機材や技術が未熟で、均質な録音が出来なかったこと。
    ・映写機と蓄音機の同期が取れず、映像と音がずれてしまったこと。

    などなど。映画ですからかなり誇張されているとは思いますが、実際にもこのようなことは十分起こりえたでしょう。サイレントとトーキーは完全に異なる芸術だというようなことを言っていたのは誰だか忘れてしまいましたが、演技の方法論から根本的に変わってしまったということのようです。

    とりとめなくだらだらと書いてしまいましたが、この作品、当然歌とダンスも名作ぞろい。ジーン・ケリーももちろんですが、競演のドナルド・オコナーがソロで演じる”Make'em Laugh”の神業には驚かされましたね。ミュージカルとしても記録映画としても楽しめる一粒で二度おいしい(古)素晴らしい作品でした。★★★★★

  • ハリウッドの人気スター、ドンとリーナは10本以上の作品で共演する名コンビ。世間も彼らの結婚は間近だと噂している。そんなある夜、ドンはコーラスガールのキャシーと知り合い忽ち恋に落ちる。
    やがてドンとリーナの新作の撮影が始まるが、時代はサイレント映画からトーキーへと転換期を迎え、彼らの作品も途中トーキーに変更。ミュージカル化され、リーナの吹き替えをキャシーが務めることになるが……。

  • ミュージカル部分が退屈すぎて、無声映画→トーキーまでの歴史のお勉強と、パルクール並みの異常身体能力しか印象に残りませんでした。この人達何者なの。

  • 久しぶりにミュージカル熱に火が付いた~

  • 古き良き映画史に残る映画だと実感。タップダンスや歌声がとにかく素晴らしく、知っている曲も数多い。こういった類の映画はこれまであまり得意ではなかったが、やはり残ってきた名作、楽しく最後まで見れた。最後に歌声の女優が報われてよかった。。

  • ジーン・ケリーが「雨に唄えば」で踊るシーンしか知らなかった。コミカルなミュージカルで、今の色あせない。
    ドンとコズモのタップダンスは驚異的。ドン(ジーン・ケリー)が雨の中の踊りは、心も踊る。

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