戦艦ポチョムキン [DVD]

監督 : セルゲイ・エイゼンシュテイン 
出演 : アレクサンドル・アントーノフ  グレゴリー・アレクサンドロフ  ウラジーミル・バルスキー  ミハイル・ゴモロフ 
  • アイ・ヴィー・シー
3.63
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感想 : 24
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4933672228020

感想・レビュー・書評

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  • 反乱や物語終盤のカット割りは古臭さを全く感じさせず、今尚観客の感情を揺さぶれる。
    いつか見ようと思っていた、かの有名なオデッサの階段シーンを見れたのは何よりも幸せ。ここでもカット割りが効果を発揮し、緊張や恐怖、悲しみの感情が押し寄せてきた。

  • 1905年のロシア、戦艦ポチョムキンで劣悪な環境の中、働かされていた水兵が反乱を起こす。オデッサの港では民衆がポチョムキンを歓迎するが、鎮圧のため軍が向かってくるのだった。

    川越スカラ座にて、弁士・伴奏付きの無声映画上映会で観る。
    活動弁士はハルキさん、ピアノ生演奏は新垣隆さんでした。
    同時上映はチャップリンの放浪者。
    上映後にはハルキさんの素晴らしい歌もあり、満席になった会場が聞き惚れていました。
    弁士がいるのは日本だけで、海外ではない文化だそうです。

    神父役が監督さんなんだそうです。

  • BGMがショスタコーヴィチのやつが好き。
    一回目は画面からのものすごいエネルギーに圧倒された。落ち着いて見てみると、虐殺シーンで撃たれて倒れてるはずの人が腕枕してゆっくり寝転んでたり、エキストラが多いせいか細かいところで面白い。
    なんにせよすごい映画である。

  • 圧政、うじ虫、虐殺、足の無い人、パニクる群集に踏まれ死ぬ少年……。
    神も仏もあるものか!革命だ!っていうプロバガンダ映画。
    白黒&サイレントなれど叫びが聞こえそうな"オデッサの階段"シーンは必見。

    ポチョムキンという響きだけで楽しい映画と信じ込みTVで見た子供時分。      さっぱり意味は判りませんでしたが、群集が階段を駆け下りるシーンのただ事でない雰囲気は強く印象に残りました。
    やはり名シーン、名曲、名画ってのは理屈でなく、感覚に訴えかけます。
    つまり本作の凄い処は、新しい手法でそれを形にしちゃった処です。
    アドリブもあるでしょうが、編集という必然の作業でしかも27歳でやっちゃったエイゼンシュテイン監督って凄い。

    あと群集の人数が異常に多くて凄いです。
    〔080324鑑賞〕

  • 2013年8月18日観賞。モンタージュ手法を駆使した、無声映画の古典と言われる作品。ソ連の戦艦ポチョムキン号にて厳しい労働・劣悪な環境にさらされる水夫たち、彼らを革命へと駆り立てたのは腐った肉を使ったスープだった・・・。白黒の映像・時折挟み込まれる台詞と情景説明・壮烈な音楽で構成される映画だが、何しろ映像の迫力がすごい。またそのすごい映像が、関係ない静物のドアップや遠景からの撮り下ろし・目まぐるしく動き回る人物へのズームなどの編集技法を駆使して表現されるものだから圧倒されてしまった。有名な「オデッサの階段」シーンの緊張感と絶望感には涙が出た。死体が折り重なる長い階段を乳母車が駆け下りていく、こんな構図をよく思いついたものだ・・・。

  • 赤く染まった旗がカッコいいんです。

  • 授業で観た。初のサイレント映画だったけど、退屈することもなく、十分面白かった。
    私はサイレント映画=音が全く無いものだと勝手に思っていたので、音楽が付いていることに驚いた。(苦笑)
    尾とは音楽のみで台詞はなく、字幕だけなのに虐殺シーンとか最後のシーンとかの緊迫感が凄い!
    もっとちゃんと勉強してから観直したい。

  • ストライキの話

  • 1925年。セルゲイ・エイゼンシュテイン。

    モンタージュ手法(視点の異なる複数のカットを組み合わせて用いる技法)の確立。台本の言語的要素を映像に置き換えて編集していくのがエイゼンシュテイン流。俳優たちの状況を複数のカメラを用いて同時撮影し、その時間尺をかえることなく多面的な視点を取り入れたものがグリフィス流(ex.黒澤明の「七人の侍」)。エイゼンシュテイン流は小津安二郎で見られる。ハリウッド標準はグリフィス流。

    共産主義映画。有名な「オデッサの階段」というシーンがある。
    全体的に緊張感がある。映像と音楽がうまく結びついていて、カメラを動かさなくても躍動感がある。ロングショット(被写体とカメラの距離が非常に遠く全体が見えて、被写体全体が周辺環境で小規模に見えるようなショット)とアップショット(その逆)の緩急がある。

  • さて、とにもかくにもサイレント映画を観ようという気分になり、最初に取り上げるのはやはりこの作品『戦艦ポチョムキン』。不朽の名作にして映画の教科書ですねぇ。「映画って何?」という探究心を持った人は必ず一度は観ている名作ではないでしょうか。(って私は今回はじめてですけど・o・)。

    いまさら解説なんかする余地ありません。★★★★★です。モンタージュがどうのとか、オデッサの階段のシークェンスがどうのとか、私ごときの受け売りよりも、巷に優れた記事がたくさんありますのでご参考にしてください。以上。。。。

    とはいえ、それだけでは終われないので、まだ観ていない方向けにちょっとだけご紹介すると、、、、

    革命前夜のロシア、戦艦ポチョムキン号の乗組員たちは劣悪な食事をきっかけに不満が爆発。暴動を起こし士官を制圧して艦を占拠する。しかし、暴動の主導者ワクリンチュクは銃撃にあって死亡。その亡骸はオデッサの港に安置され、その志と勇気をたたえる市民たちの長い列が出来る。やがて、ワクリンチュクの勇気は葬送にやってきた市民たちにも伝播。市民たちは革命に立ち上がり、艦と街は固い絆で結ばれる。集まったオデッサ市民が艦を歓迎する中、突然政府軍兵士の一団が群衆の鎮圧に乗り出し、オデッサの階段は阿鼻叫喚の地獄と化す。それに対し、ポチョムキンの主砲が轟然と火を噴き政府施設を崩壊させる・・・。

    この作品はロシア革命の宣伝のために作られた映画なんですねぇ。1905年の第一次ロシア革命20周年記念映画。実際の歴史では、1905年に起きたポチョムキン号の反乱は政府艦隊によって制圧され成功しませんでした。しかし、作られたのが1917年の革命の後と言うことで、大々的なプロパガンダのために史実とは正反対のストーリーが作られたようです。

    そういうことなので、水兵と市民たちの雄姿、押さえつけようとする政府軍の悪逆非道ぶりを徹底的に印象付けることが重要らしく、そのためにエイゼンシュテインは”モンタージュ”という技法を駆使した。そういうことでいいのかな。

    で、問題はこの大傑作を前にして私は何を感じたのかということですが、とにかく映像の力というものを感じましたよ。テッテー的に感じました。

    作品は全5章立てですが、ウジの湧いた肉をめぐって膨らんでいく乗組員たちの不満と怒りが爆発する”瞬間”を詳細に見せる第二章と、革命のお祭りムードから一転して政府軍兵士による大虐殺が起きる第4章(オデッサの階段)の映像は、特に腹に響いてくるものがあります。

    艦上の士官と水兵たちの対立は、現実の政府と民衆の対立を模しているわけですが、尊大な表情のクローズアップが多い士官たちに対して、水兵たちはほとんどの場面で”群れ”で写されています。白い水兵帽をかぶっていますが、これが群れて動き回る姿が妙に印象的なんですよね。なんか、肉にたかって蠢いていた白い蛆虫にも重なるものがあって、いかにも”地を這う群衆”という感じ。

    蛆の湧いた肉でつくったスープを拒否した水兵たちは甲板に集められて、司令官ゴリコフの登場。支配階級の権化がスープに満足したものは前に出ろと言います。すかさず前に出る士官たち、拒否する水兵たち。怒りを増していく司令官。にやにや笑う士官のアップ。業を煮やした司令官が衛兵を呼ぶ。武力を前にしてうなだれ言うことを聞くしかない水兵たち。それでも一部の者は頑なに拒否。このあたりどんどんカットが短くなっていきますよね。士官たち・水兵の群れ・甲板の全景がどんどん切り替わって、キリキリと緊張が高まってちょっと胸が苦しくなってきます・・・そして、ついに銃殺命令を発するゴリコフ。帆布を頭からかぶせられた反乱水兵たち。

    余談ですけど、”頭から布をかぶせられた複数の人間”の画って、妙にビザールなものがありませんか。その存在は間違いなく人間なのに、その人間性を完全に無視されて単なる肉の塊のように扱われてる、そんな感じ。布から出てる足がまたそう感じさせるんですかね。この前に見たジョニー・トー監督の『ブレイキング・ニュース』でもアパートから逃がされてくる人質たちが5~6人まとめてシーツかなんかかぶせられていて、それを観たときもおんなじような奇妙な見え方がしたんですよね・・・余談終わり。

    射殺命令を出す士官のアップ、うなだれる水兵たち、恐怖のあまりひざから崩れる反乱水兵、そのとき神父が現れますが、これがまたいかにも俗悪な風貌で水兵たちの見方になど金輪際なりそうにない。神父役はエイゼンシュテイン監督本人らしいですね。神父の俗な顔のアップと手に持っている俗な十字架がギラギラ光るカットも追加、さらにサーベルをコツコツたたく士官の手、船首に彫られたライオンのレリーフ、、、そんな映像がどんどん切り替わって一触即発の雰囲気の中、徐々に顔を上げるワクリンチュクが叫びます「兄弟!誰を撃つ気だ!!!」

    サイレントなんで音楽と字幕だけなんですけど、ここまでドキドキしましたねぇ。思わず姿勢が前のめりになりました。どんな画をどうつなぐと観客にどんなイメージをもたらすことが出来るのか。エイゼンシュテインは当然計算してやってるんでしょ?すごいですよね。驚きですよね。映画監督というのは本当にすごい人たちだ。

    第4章のオデッサの階段はもっとすごい。もう、あんまり長々書きません(エッ?十分長いって?もうちょっと・・・^^;)。ものすごく有名なシーンなので(映画史上もっとも有名な6分間!)カットの内容には詳しく触れませんけど、この第4章って前半は艦と街が友好を築くシーンが実に平和的に描かれてるんですよね。市民が小さなヨットでポチョムキンの周りに集まって。手を振る姿、笑いかける姿。岸にいる市民もみんな楽しそうで、天気も良くて、手を振って。。。メガネをかけた教師風のおばさんとか、マルコメ君みたいな男の子と一緒に手を振るお母さんとか・・・。

    「すると突然」・・・。字幕。

    次の瞬間、あたりは地獄となります。何の前触れも予感もなしにいきなり。この落差で観客はまず何がなんだかわからなくなりますよね。その後も、説明が与えられるような画は一つもありません。襲い掛かる兵士は決して顔が映ることがない。個人なんてどうでもいいんですね。非人間的な圧倒的暴力。襲撃する兵士たちと撃たれ逃げ惑う市民たちが同じカットに映る事もありません。唯一の例外は死にかけた子どもを抱えて抗議する母親だけ。みんなが逃げ降りる階段を逆行し、兵士たちの前にたどり着いた次の瞬間に射殺されてしまいます。倒れる彼女の上に兵士たちの影が映ってます。倒れる人、逃げる人、隠れる人、血だらけの男の子、乳母車、撃ち抜かれたメガネ。さらに整然と横一列で前進する兵士たち。。。。臨場感ですねぇ。臨場感。まるでその場にいるみたいな臨場感。映画館で観たいよ。

    さすがに映画の歴史を作った作品だけのことはありました。前に見た『裁かるるジャンヌ』もクローズアップを駆使した心理描写が良かったけど、戦艦ポチョムキンも良かった。確かに見えないモノが見えた。映像だけでここまで出来るんだなぁ。ちょっとだけ書こうと思ったらえらい書いてしまいました。未見の方ぜひどうぞ。

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