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- / ISBN・EAN: 4988104022868
感想・レビュー・書評
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国に利用され、棄てられ、歴史からも抹殺されてきた女たちの足跡を追った山崎朋子による女性史研究の本を、その本質をまったく損ねることなく映画化してみせた傑作だ。
男の監督が売春女性を扱って、これほどきっぱりと美化やロマン化の誘惑を退け得た例はほとんど見たことがない。はじめて客をとらされたときの恐怖や、ただ一度の恋のエピソードにしても、美しくはあっても甘さはない。帰港した兵士たちが娼館に押し寄せてくるシーンにも、お菊さんが男たちからとったたくさんの指輪が転がり出るシーンにも、男の側の視点ではなく、売春を生業にせざるを得なかった女性たちの視点が感じられる。原作を深く読み込み、最底辺の女性の目から国家や社会を問い返すという女性史の理念に忠実に寄り添った熊井啓監督、そして晩年のお咲さんを演じた田中絹代の真摯な情熱には、感服せずにいられない。
見ず知らずの女を粗末な家に上げておいて、ころりと横になったり、真新しい畳に「美しか!」と飛び跳ねて喜んだり。無邪気であったり無頓着であったりする一挙手一投足が、それまで彼女が生きてきた人生を思わせて、まさに田中絹代がお咲さんそのひとであるような錯覚まで起こさせる。年老いて極貧生活を送るお咲さんと、東京から来た研究者である「わたし」との共同生活の中にある親近感と距離感の描き方もみごとだ。
そして、異郷で死んだ「からゆきさん」たちが日本に背をむけて眠っているという、静かだが衝撃的なラストシーン。今の日本でこのような映画が撮られうるだろうかと、思わず考えてしまった。 -
※成人・高校生以上向け
山崎朋子原作の同名小説の映像化
大正から昭和まで、インドネシア、ボルネオへ渡った女とその周辺を描く。
今村昌平監督『女衒』とは反対の「売られた」側の作品。
(時系列としては『女衒』→今作品、公開年は今作品の方が10年古い)
ここでぜひ確認してほしいのは、
・「家族」という温かみを得ようともがき、南洋、日本、満州を歩いた主人公の目線
・主人公が得たいと望んでいた「家族」そのものの変貌
先ほどの『女衒』を含め、彼らが(彼らを知らなかった私たちも含めて)無意識に人との「普通の関わり」を要求する事の痛々しさがわかる。
ただ、沖縄以外の「離島作品」で全国的に手に出来る作品としてはこの作品以外あまり無いためか、ここで出てくる主人公サキの故郷、天草のイメージの出発点はこの作品からとなるため、本来着目すべきところに目がいかず、天草の人々の主人公とこれに付き添う女性史研究家、あるいはからゆきさんとなり海を渡った人間への侮蔑の視線と発言に、「やっぱり田舎だ」「閉鎖的だ」で終わらせる人も多いかもしれない。
だがここで「閉鎖的なシマ社会から抜け出したにも関わらず、その先でも人を人とも思わぬ(⇒あくまで「平成的」な考えで)生活を強いられ、やっとこさ見返してやろうとしたらさらに現状が悪化していて、やっぱりこの島も国も酷いなあ」で終わってはナントカの持ち腐れもいいところ。
ここでぜひ「移民史」や「海外発展史」などの関連資料にあたってほしい。
教科書に捨てられた歴史は決して「敗北」「底辺」「忘却」の記録ではなく、日本国内外の「都市発展」の重大な一部であることに変わりないことに気付いて欲しい。
個人的には高校生あたりから上であれば、見てほしい。 -
栗原小巻は、中野良子とともに中国では、人気女優。
山崎朋子が、からゆきさん「サキ」さんのところに、
寝泊まりして、取材したのが原作。
山崎朋子役を栗原小巻がやる。
ボルネオ島 マレーシア コタキナバル空港に、
栗原小巻はおりたった。
農業試験場の山本氏の案内で、サンダカンへいく。
からゆきさん サキさんの取材内容を確かめに来た。
島原・天草で、サキに食堂でであう。
サキの家まで、一緒について行く。
サキの家は、実にあばらや、障子も破れていて、
猫たちが沢山いた。
そこで、近所の人たちに息子の嫁として紹介された。
サキは、一緒に休む小巻を、喜んでくれた。
1ヶ月後、サキと共同生活をはじめた。
麦ご飯と芋の煮物。1ヶ月を4000円で暮らす。
風雨がとてもつよい時、小巻が、蛾二郎に襲われる。
それをキッカケにサキは、
サンダカンのことをはなしはじめた。
サキが、田中絹代。
はっきりしていて、雰囲気がとてもいい。
島原 天草は、畑は石だらけで、魚も捕れない。
お父さんが、はやく死に、貧しい生活をしていた。
サキは、12歳の時 サンダカンで娼館を経営する
小沢栄太郎に、すすめられる。
「白いご飯が、いくらでも食べられる」という理由だった。
その時のお金を兄に、渡し、畑を買い戻すことをいう。
ボルネオに行く時に、母親は、苦労して、
服を作ってくれた。
それが、いまもある式蒲団になっていた。
石炭と一緒に積み込まれ、基隆、香港、サンダカンへ。
サンダカンは、人口2万人。日本人 約100人。
娼館が9軒あった。
サンダカンでは、
結局は、サキは、客を取ることを強要される。
借金は、2000円 だという。
お兄ちゃんのために辛抱して働くことを決意する。
サキにも、好きな人ができる。
その男は、別の女の人と結婚する。
男を信じることができないという。
日本軍が来たりして、隆盛を極める時期もある。
からゆきさんは、煙たがられる存在となっていく。’
キクという女性が、手をさしのべ、共同墓地なども作る。
キクは、自由になっても、日本にはもどってはならぬ。
と言い残す。サキは、天草にもどる。
お兄さん家族から、歓迎されないことを知る。
その悲しみの深さ。
また、満州に行き、結婚し、子供が生まれるも
命からがら、日本に舞い戻る。
そして、子供からも別れて住みたいといわれる。
小巻は、サンダカンの共同墓地を探し当てる。
墓は、港の見える森の中にあった。
日本に背を向けて、たっていた。小巻は、悄然とする。
小巻は、サキに質問する。
「なぜ、3週間もとめてくれて、
なぜこの女がここにいるのか?
知りたくなかったのか?」と聞く。
サキはいう
「私は、村の誰よりも知りたかった。
人には、人の都合がある。
その人が、いいたくなかったら、
なんで聞けるか?
自分のやってきたことを聞きたかったからだ
と見当をつけた。
だから、充分に書くがいい。」という。
小巻が、お金を渡そうとすると、拒絶されて、
「手ぬぐいがほしい」という。
サキの苦い個人的な体験は、
こうやって、一つの歴史となった。
サキの泰然たる姿に、涙がこぼれた。 -
16歳の時に、劇場で観ました。当時の私には、あまりに刺激が強かったように記憶しています。そんなことが、会ったのかと信じられない気持ちでした。今、見直してみると、また違った感じです。高橋洋子さん、いい役者さんです。田中健さん、初々しいです。ちょっと腹立たしいけど。
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かつて海外の娼館で働く日本人女性たちを"からゆきさん"と呼んだ。彼女たちの多くは貧しい農村から女衒によって渡航させられたのであったが、彼女たちの存在こそ日本人の海外進出の先鞭となって"娘子軍"などとも呼ばれた。とはいえ、やがて日本の国勢盛んになって、彼女たちの「日本の恥」として疎んじられるようになるのにも、そう時間はかからなかった。歴史は、いかにして語られないのか。遠く海を隔てたその墓標は、日本に背を向けたまま、なお鎮座している。(それにしても、映画として演出でとても損をしている。なまじっか田中絹代の演技が素晴らしいだけにもったいない。★−2)
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1975年(昭和50年)
第48回アカデミー賞/
この作品は受賞には届きませんでしたが、日本の作品という事で紹介します。外国語映画賞にノミネートされました。/ 出演:栗原小巻、高橋洋子、田中絹代、水の江滝子、水原英子、藤堂陽子、柳川由紀子、中川陽子、梅沢昌代、・田中健 他 / 原作:山崎朋子 / 脚本: 広沢栄 / 監督・脚本:熊井啓 /