サンダカン八番娼館 望郷 [DVD]

監督 : 熊井啓 
出演 : 栗原小巻  高橋洋子  田中絹代  田中健  水の江滝子  小沢栄太郎 
  • 東宝
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感想 : 8
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  • / ISBN・EAN: 4988104022868

感想・レビュー・書評

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  • 原作は、山崎朋子「サンダカン八番娼館ー底辺女性史序章」。未読。
    私はからゆきさんを森崎和江の文脈で知ったが、むしろ世間にインパクトを与えたのは山崎の本のほうが先なのだろう。
    もちろん山崎が森崎に話を聞きに行ったとかあるので同時多発的なのだろうけれど。

    ほとんど原作者を思わせる女性史研究者の三谷圭子が、ボルネオを訪れたのは、少し前に天草でお世話になったおサキさんに話を聞いた、おキクさんが作った共同墓地を訪れるためで、現在→少し前→おサキさんが語るかなり昔、と時制が入れ子構造になる。
    121分にしては入り組んでいるが、決して混乱するほどではないのは、演出が確かだからだろう。
    監督の熊井啓は、1968「黒部の太陽」、1972「忍ぶ川」、1974本作、1980「天平の甍」、1986「海と毒薬」、1992「ひかりごけ」、1995「深い河」、1997「愛する」、2002「海は見ていた」など、文豪原作を題材に重めの作品を作っているが、重厚な原作を重厚なままにテンポよく映画サイズに語りなおせるのだろう。
    ちなみに本作映画より前に今村昌平「女衒 ZEGEN」が、売る側を描いているらしいので、関連作。

    ボルネオはサンダカン八番娼館の、なかば悲惨なかばコミカルな感じとか、想像の補助になってくれた。
    個人的には、男性陣の演技がアチアチで臭いなーもっと淡泊でいいのになと感じたが、これは好みの問題。
    本作のような題材で女優の顔や身体を云々するのは危ういかもしれないが、覚え書きなので……。

    現在時制の作家の分身たる三谷圭子を演じる栗原小巻は、細い腰つきや眼の大きさ、顔つきが如何にもシティ、という感じで、東南アジアや天草やにおける取材相手と対照的。
    取材相手になる、というか天草でああいうふうに本当に生活しているんだろうなと思える、おサキさん=田中絹代の実在感。
    都会人に対する田舎民の不気味さ、若輩者に対する老婆の理解の及びきらない奇妙さ、を感じた。
    三谷圭子に対して妙に打ち解けているような、媚びてくるような、義娘のような存在に積極的に見做そうとするときに自分自身すら欺こうとしているような、危うい感じ。
    休日に遊びに行くと、いつまでもいればいいのにもう帰るのかと嘆く祖父母を思い出したりもした。
    このおサキさんの少女時代を演じる高橋洋子は、ブックオフで「雨が好き」文庫を見かけるたび、「新世紀エヴァンゲリオン」OP「残酷な天使のテーゼ」の歌手と同姓同名だなーと思っていた人だが、俳優にして作家なのね。
    山出しの(天草だから海出しのと言うべきか)娘から、たつきを得るための酷い日々を経て「それらしい」顔つきになるまでを、演じ切っている。
    また登場場面は決して多くはないが、おキクさんを演じる水の江滝子の貫禄は、凄い。

    個人的には、三谷圭子がおサキさんに行ったこっそり取材は、後に打ち明けて赦しを得たとはいえ、取材倫理的にアウトだとモヤモヤするが、50年以上前なので取材倫理はもっとモヤモヤしているんだろう。
    その上おサキさんが語る50年前は、人命の価値や意識もモヤモヤしているはず。
    50年経てばひとつのメディアも決定的に変容するし世代間ギャップも埋めるのは困難だと思う自説があるが、
    その2倍のおよそ100年前を想像する杖に、この映画はなってくれた。

  •  国に利用され、棄てられ、歴史からも抹殺されてきた女たちの足跡を追った山崎朋子による女性史研究の本を、その本質をまったく損ねることなく映画化してみせた傑作だ。
    男の監督が売春女性を扱って、これほどきっぱりと美化やロマン化の誘惑を退け得た例はほとんど見たことがない。はじめて客をとらされたときの恐怖や、ただ一度の恋のエピソードにしても、美しくはあっても甘さはない。帰港した兵士たちが娼館に押し寄せてくるシーンにも、お菊さんが男たちからとったたくさんの指輪が転がり出るシーンにも、男の側の視点ではなく、売春を生業にせざるを得なかった女性たちの視点が感じられる。原作を深く読み込み、最底辺の女性の目から国家や社会を問い返すという女性史の理念に忠実に寄り添った熊井啓監督、そして晩年のお咲さんを演じた田中絹代の真摯な情熱には、感服せずにいられない。
    見ず知らずの女を粗末な家に上げておいて、ころりと横になったり、真新しい畳に「美しか!」と飛び跳ねて喜んだり。無邪気であったり無頓着であったりする一挙手一投足が、それまで彼女が生きてきた人生を思わせて、まさに田中絹代がお咲さんそのひとであるような錯覚まで起こさせる。年老いて極貧生活を送るお咲さんと、東京から来た研究者である「わたし」との共同生活の中にある親近感と距離感の描き方もみごとだ。
    そして、異郷で死んだ「からゆきさん」たちが日本に背をむけて眠っているという、静かだが衝撃的なラストシーン。今の日本でこのような映画が撮られうるだろうかと、思わず考えてしまった。

  • ※成人・高校生以上向け

    山崎朋子原作の同名小説の映像化

    大正から昭和まで、インドネシア、ボルネオへ渡った女とその周辺を描く。
    今村昌平監督『女衒』とは反対の「売られた」側の作品。
    (時系列としては『女衒』→今作品、公開年は今作品の方が10年古い)

    ここでぜひ確認してほしいのは、
    ・「家族」という温かみを得ようともがき、南洋、日本、満州を歩いた主人公の目線
    ・主人公が得たいと望んでいた「家族」そのものの変貌


    先ほどの『女衒』を含め、彼らが(彼らを知らなかった私たちも含めて)無意識に人との「普通の関わり」を要求する事の痛々しさがわかる。

    ただ、沖縄以外の「離島作品」で全国的に手に出来る作品としてはこの作品以外あまり無いためか、ここで出てくる主人公サキの故郷、天草のイメージの出発点はこの作品からとなるため、本来着目すべきところに目がいかず、天草の人々の主人公とこれに付き添う女性史研究家、あるいはからゆきさんとなり海を渡った人間への侮蔑の視線と発言に、「やっぱり田舎だ」「閉鎖的だ」で終わらせる人も多いかもしれない。

    だがここで「閉鎖的なシマ社会から抜け出したにも関わらず、その先でも人を人とも思わぬ(⇒あくまで「平成的」な考えで)生活を強いられ、やっとこさ見返してやろうとしたらさらに現状が悪化していて、やっぱりこの島も国も酷いなあ」で終わってはナントカの持ち腐れもいいところ。
    ここでぜひ「移民史」や「海外発展史」などの関連資料にあたってほしい。

    教科書に捨てられた歴史は決して「敗北」「底辺」「忘却」の記録ではなく、日本国内外の「都市発展」の重大な一部であることに変わりないことに気付いて欲しい。

    個人的には高校生あたりから上であれば、見てほしい。

  • 栗原小巻 田中絹代 高橋洋子

  • 栗原小巻は、中野良子とともに中国では、人気女優。
    山崎朋子が、からゆきさん「サキ」さんのところに、
    寝泊まりして、取材したのが原作。
    山崎朋子役を栗原小巻がやる。
    ボルネオ島 マレーシア コタキナバル空港に、
    栗原小巻はおりたった。
    農業試験場の山本氏の案内で、サンダカンへいく。
    からゆきさん サキさんの取材内容を確かめに来た。
    島原・天草で、サキに食堂でであう。
    サキの家まで、一緒について行く。
    サキの家は、実にあばらや、障子も破れていて、
    猫たちが沢山いた。
    そこで、近所の人たちに息子の嫁として紹介された。
    サキは、一緒に休む小巻を、喜んでくれた。

    1ヶ月後、サキと共同生活をはじめた。
    麦ご飯と芋の煮物。1ヶ月を4000円で暮らす。
    風雨がとてもつよい時、小巻が、蛾二郎に襲われる。
    それをキッカケにサキは、
    サンダカンのことをはなしはじめた。
    サキが、田中絹代。
    はっきりしていて、雰囲気がとてもいい。

    島原 天草は、畑は石だらけで、魚も捕れない。
    お父さんが、はやく死に、貧しい生活をしていた。
    サキは、12歳の時 サンダカンで娼館を経営する
    小沢栄太郎に、すすめられる。
    「白いご飯が、いくらでも食べられる」という理由だった。
    その時のお金を兄に、渡し、畑を買い戻すことをいう。
    ボルネオに行く時に、母親は、苦労して、
    服を作ってくれた。
    それが、いまもある式蒲団になっていた。
    石炭と一緒に積み込まれ、基隆、香港、サンダカンへ。
    サンダカンは、人口2万人。日本人 約100人。
    娼館が9軒あった。
    サンダカンでは、
    結局は、サキは、客を取ることを強要される。
    借金は、2000円 だという。
    お兄ちゃんのために辛抱して働くことを決意する。
    サキにも、好きな人ができる。
    その男は、別の女の人と結婚する。
    男を信じることができないという。
    日本軍が来たりして、隆盛を極める時期もある。
    からゆきさんは、煙たがられる存在となっていく。’
    キクという女性が、手をさしのべ、共同墓地なども作る。
    キクは、自由になっても、日本にはもどってはならぬ。
    と言い残す。サキは、天草にもどる。
    お兄さん家族から、歓迎されないことを知る。
    その悲しみの深さ。
    また、満州に行き、結婚し、子供が生まれるも
    命からがら、日本に舞い戻る。
    そして、子供からも別れて住みたいといわれる。
    小巻は、サンダカンの共同墓地を探し当てる。
    墓は、港の見える森の中にあった。
    日本に背を向けて、たっていた。小巻は、悄然とする。
    小巻は、サキに質問する。
    「なぜ、3週間もとめてくれて、
    なぜこの女がここにいるのか?
    知りたくなかったのか?」と聞く。

    サキはいう
    「私は、村の誰よりも知りたかった。
    人には、人の都合がある。
    その人が、いいたくなかったら、
    なんで聞けるか?
    自分のやってきたことを聞きたかったからだ
    と見当をつけた。
    だから、充分に書くがいい。」という。
    小巻が、お金を渡そうとすると、拒絶されて、
    「手ぬぐいがほしい」という。

    サキの苦い個人的な体験は、
    こうやって、一つの歴史となった。
    サキの泰然たる姿に、涙がこぼれた。

  • 16歳の時に、劇場で観ました。当時の私には、あまりに刺激が強かったように記憶しています。そんなことが、会ったのかと信じられない気持ちでした。今、見直してみると、また違った感じです。高橋洋子さん、いい役者さんです。田中健さん、初々しいです。ちょっと腹立たしいけど。

  • かつて海外の娼館で働く日本人女性たちを"からゆきさん"と呼んだ。彼女たちの多くは貧しい農村から女衒によって渡航させられたのであったが、彼女たちの存在こそ日本人の海外進出の先鞭となって"娘子軍"などとも呼ばれた。とはいえ、やがて日本の国勢盛んになって、彼女たちの「日本の恥」として疎んじられるようになるのにも、そう時間はかからなかった。歴史は、いかにして語られないのか。遠く海を隔てたその墓標は、日本に背を向けたまま、なお鎮座している。(それにしても、映画として演出でとても損をしている。なまじっか田中絹代の演技が素晴らしいだけにもったいない。★−2)

  • 1975年(昭和50年)
    第48回アカデミー賞/
    この作品は受賞には届きませんでしたが、日本の作品という事で紹介します。外国語映画賞にノミネートされました。/ 出演:栗原小巻、高橋洋子、田中絹代、水の江滝子、水原英子、藤堂陽子、柳川由紀子、中川陽子、梅沢昌代、・田中健 他 / 原作:山崎朋子 / 脚本: 広沢栄 / 監督・脚本:熊井啓 /

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