一昨年、ジョエル・シューマカー監督によるリメイク版が公開されて記憶に新しい『オペラ座の怪人』。そのオリジナルが1925年製作の本作です。主演は先日アップした『ノートルダムのせむし男』と同じく名優ロン・チェイニー。上の写真の怪人は有名ですね。このメイクはロン・チェイニー自身が考案し、彼の代表作となったことはもちろん、クラシックモンスターフィルムを象徴するキャラクターにもなりました。
パリのオペラ座”ガルニエ宮”の特集TV番組を昨年だったか見たことがありますが、広大な建物内には今でも誰も知らないエリアがあり、怪人の存在も信じられているそうです。
”世界最高の愛の歌を奏でる一方に、中世の拷問部屋が存在する”。作品中でもそう語られるオペラ座には、誰も姿を見たことがない怪人が棲むという噂が絶えませんでした。しかし、それは噂ではなく怪人ファントムは本当に地下深くに潜んでいます。彼は見初めた若手女優クリスティーヌ(メアリー・フィルビン)のために、プリマドンナ/カルロッタを(有名な)シャンデリア落下のアクシデントで葬り去ります。クリスティーヌはファントムの声に導かれてオペラ座地下の彼の棲家に誘われますが、怪人の醜い容貌を知り逃げ出そうとします。ファントムはついに本性を現し、彼女に自分への愛を強要し、背くと殺すと脅します。
1920年代のモンスターホラーは、三本目の鑑賞になります。『狂へる悪魔』では意思に逆らって引き裂かれていく人間の悪性と善性、『ノートルダムのせむし男』では、醜いがゆえに屈折してしまった純情の哀れさが印象に残りました。悪しき怪物の心と正しき人間の心の葛藤が感動につながったわけですが、この『オペラ座の怪人』のファントムは真性悪ですね。人間がもつ悪の部分「嫉妬」「独占欲」「狡猾」「残忍」などがデフォルメされて怪人になっており、それにふさわしい末路を迎えます。そういう意味では前二作のような、善悪の葛藤の結果の残酷なシチュエーションと怪人の哀れさへの同調のような入り込み方はしませんでした。
また、主人公がそういう純粋な悪の化身ですから、ストーリーとしては「正体不明の怪物の恐怖」⇒「怪物の正体の発覚」⇒「怪物の猛威と主人公の危機」⇒「主人公対怪物の闘いと勝利」というわかりやすいストーリー運びになっていて、極めてオーソドックス。ちなみにこういう筋立ては今も多く作られており、そういう意味ではホラー映画のストーリーは80年前からそんなに大きく変化していないと言うことができるかもしれませんね。
さて、そうすると、この作品魅力が無かったかと言うと決してそんなことはありませんでした。この作品の魅力は実は”ビジュアル面”なんですね。怪人の造形と言う意味でももちろん秀逸です。冒頭にも書いたとおり、ロン・チェイニー自身が考案したメイクは数年前の『ノートルダムのせむし男』などと比較しても格段にレベルアップしています。また、怪人を演じるチェイニーの演技もその素晴らしさは言わずもがなです。
それだけではなくて、この作品ではなんて言うんでしょう、背景があってその前で動く人があって、その全体を写す画面が、観客にどういう雰囲気を感じさせるのかを明確に意識しているような気がします。例えば、始まってすぐに怪人の噂におびえたバレリーナたちがその真偽を確かめにみんなで地下に降りていく場面があります。スクリーンの右側にらせん階段があり、そこをバレリーナたちが降りてきます。フロアにつくと、らせん階段の出口から左側に向けた画面を横切って走ってくるんです。白黒映画の暗い地下のセットで、真っ白な衣装のバレリーナたちが花でも舞うようにくるくる降りてきて、階段出口からフワーッと噴き出すように画面を横切る。その画面全体に写っているものが、なんとも言えずに不思議な美しさなんですよね。映像美って言うんですかね。こういう美しさは、オペラ座地下の建造物のデザインを巧く利用して随所に工夫が見られます。怪人が初めてクリスティーヌを地下の居所に誘うシーンも本当に美しい。
サイレント映画を何本か見てきて、やはりというか当然というか映像の説得力については格段なものを感じます。神業のような役者の演技(『裁かるゝジャンヌ』、壮大なスペクタクルシーン(『國民の創生』)、映画の中に吸い込まれてしまいそうな臨場感(『戦艦ポチョムキン』)など、これまでも素晴らしい発見がたくさんありました。今回この作品で、こういう繊細な映像美の工夫を発見することが出来たのは、また一つの収穫。こういう収穫があるとホントに映画って楽しいなぁと思いますね。まだまだ興味深いサイレント映画の探求は続きます。★★★★☆