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- / ISBN・EAN: 4988126206925
感想・レビュー・書評
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フォロウィーさんに教えてもらって鑑賞。
もー超楽しみで、久々にわくわくしました。
だってスカヨハが15歳ですよ!?
17歳と勘違いしてたけど15歳か!!!って。
いや別にスカヨハ好きじゃなかったんです。
『ロスト・イン・トランスレーション』もあまり好きじゃない。
映画の内容云々というよりもあれはあの時代が、個人的に痛くて。
ただスカヨハのケツは認めます。おしゃれだもん。
『ダージリン急行』の短編『ホテル・シュヴァリエ』の
ナタリー・ポートマンのケツもおしゃれだったけど。
エロさとはちょっと違う。
で、最近なぜかBSではスカヨハの映画ばっかりやってるし、
ナターシャ・ロマノフもスカヨハだし、で・・・。
そんだけ観てたらけっこう好きになるわ!!!
でもこの映画はスカヨハじゃなくて、ソーラ・バーチの魅力なんですよね・・・。
あのなんというか、いなたい感じというか、
サブカル二の腕ぽっちゃりブサメガネ感がたまらん!
てめえブシェミからかってる場合じゃねえだろ!鏡見ろブス!!
という、あのギリギリの感じが・・・すばらしい。
1周も2周も回ってしまうと、ああいう娘が異常にキュートに見える。
次に我らがブシェミなんですけど、マトモな役やってるの初めて観た(笑)。
いやブシェミって歯並び悪いけどイケメンですよね。
クリストファー・ウォーケンとかデップ、から半歩ずれた感じの(笑)。
この映画でも一番最後でイジられてるのが面白かった。
あとブラッド・レンフロがこの時19歳ぐらい?
他のキャストが強烈なせいか、全然存在感の無い顔になってる・・・
インタビューも言ってることがなんだか・・・
亡くなったけど、色々考えてたらすごくずーんとくる。
ここからやっと本題です。長かった。
90年代のリミックス文化、タランティーノ、エヴァ、渋谷系とオリーブ少女、オルタネイティヴ・・・
というのがあって、まあその前には岡崎京子とかがあるんだけど。
その連綿と続く系譜。
これをもっと伸ばすと、2000年代中盤のパラダイムシフトに行き着く。
『ジュノ』より全然早いし、方向性が全く違う。
アメコミにもこういうのあったのか、やるじゃん!
その世代が大人になると、『ヤング≒アダルト』や『500日のサマー』
『ブルー・バレンタイン』『テイク・ディス・ワルツ』になるのかな、と・・・。
なので、痛いほど気持ちがわかるんです。
つかイタい(笑)。
「あんな奴らみたいになるのは絶対に嫌」
「あれじゃなくてこれ、第3の道」
「特別な何者かになりたい」
「ここではないどこかへ」っていうね。
「大人になるなんてつまらない」中で、
大人だけど細々と面白い生き方、自分らしい生き方をしてるのがブシェミ。
(もちろん恋愛面では充実していない)
だから魅力的に見える。
けど、女の子のズルさもしっかりあるわけです(笑)。
まあ、女子に限らないというか、これは男のヤリ逃げなんですけどね。
ここらへんの世代から男女逆転だけど、今で言うと草食系だし。
そして「ここではないどこかへ」というのがラストにつながっていく。
ラストシーン、ふわ~っとした感じだけど色んな解釈ができます。
あれがまさに『ゴーストワールド』を表してた。
個人的にはあのラストシーンは"Quadrophenia"、『さらば青春の光』だなあと思います。
『ゴーストワールド』の解釈も出演者や監督で、皆バラバラなのが面白い。
ひとつは砂上の楼閣のような、地方の大量消費社会。
田我流で言うと「ドンキにTSUTAYAがホットスポット」ってやつ。
もうひとつは、このモラトリアムな年代だと解釈できる。
これはねー、観た人同士で色々と話すと面白いと思う。
とっても良い映画。
2001年という時代にしか作れなかったんじゃないかなぁ。
まあとりあえずこれですね。
http://www.route58.net/blog/books/1590.html
『電車男』も『モテキ』も『桐島』も全部つながるんだけど、
この文章は読んで欲しいです。 -
ダメに生きる イニード(ゾーラ・バーチ)とレベッカ(スカーレット・ヨハンソン)は幼なじみで親友。高校を卒業したものの、進路も決めずに好きなことをして楽しんでいる。
そんなある日、二人はモテないレコード・マニアの中年男、シーモア(スティーブ・ブシェミ)と出会う。
ダサいけど独特な世界を持つシーモアにイニードは興味を持ち、二人の間には奇妙な友情が芽生える。
一方、レベッカは独立を目指してカフェで働き始め、イニードとレベッカはお互いに距離を感じ始める。
イニードは、ブルース・マニアのシーモアと出逢い自分の才能を発揮出来る分野を探し求めるが、可能性の扉はどんどん閉じられていく。
もし自分が特別だと思っていて何の得意分野も持たず平凡な人間だったら、どうする?
全米の若者の間でカリスマ的人気を誇るダニエル・クロウズの新感覚コミックを「アメリカン・ビューティー」のゾーラ・バーチ主演で映画化したおしゃれでキッチュでとびきり切ない青春ストーリー。
思春期にありがちな周りの人間を馬鹿にして、ありのままの自分から目を背けて自分が特別だと思い込んでいる主人公2人に、自分の思春期の頃を重ねて身につまされます。
美術の補習授業のシーンの中で、自分の才能を思い知らされるところやオタクのパーティーのシーンや来るはずのないバスを待っている老人などの味のあるキャラクターなど、癖になる面白さです。
ラストで、イニードが現実を打破するためにした決断した行動とは?現実に腐っている文系女子に、勇気を与えてくれる映画です。 -
激しく共感してる私はきっと、中二病。
でも、中二病なんて言葉で、片付けられたくないこのきもち -
ネタバレあり。
ブラックコメディというにはちょっとキツイ、というか痛かった(自らの経験を顧みて。)ただの中二病罹患者よりはずっと行動力もあり賢いイーニド。イーニドのようなティーンエイジャーだった人は多いのではないか。彼女ほどとがりきれてはなかったけど、私もそのひとりだ。十代の頃の不安定さがありありと蘇るのはシーモアとの邂逅と関係の変化だ。友人たちとの遊びで「ダサい大人」であるシーモアをバカにすることで晴らす。それはもはやティーンエイジャーではない私には、若さから来る傲慢さに映る。その一方でイーニドがシーモアに急接近するのは、彼がアウトサイダーであるということよりも「イーニドは大人に走った」というメイキングでの表現が適切と思う。”ここではないどこかで、誰かが私を特別に理解し、認めて、愛してくれる。"そんな幻想を持っていた人は多いのではないだろうか。しかし現実にはそんな場所は存在しない。シーモアを手に入れれば寂しさを埋められると思っていたイーニドは、彼と寝た後それを感じ、そうして全てが色あせてしまったように感じたのだろう。ラストシーンでイーニドはバスに乗って去ってしまった。それは彼女がネバーランドで暮らすことを選択したというよりも、ただ場所を変えたのだというふうに私は受け取った。「ここではないどこか」を探し、いつか見つからないことを悟るくらい年を重ねるまで。
シーモアはそうして大人になった人物だが、イーニドがシーモアのようになるのか、「地に足をつけた退屈な大人」になるのか、どういうふうになるかはわからない。彼女はまだ数回くらいバスを乗り換えないといけないんじゃないかと思う。
それで、ラストシーンのシーモアはいったい何?笑
ソーラ・バーチのペプシのペットボトルみたいな撫で肩グラマーな体系が好きだ。スタイルいいとはいえないのかもしんないけど。顔のパーツが小さいのも、目の色も綺麗で好き。
演技がクールだし、クレバーさを感じる。もっと彼女が観たい。
スカーレット・ヨハンソンのほうが今やすっかり有名だが、この映画に出てるとは知らなかった。当時15歳か、あどけない。15歳とは思えないしっかりした受け答えだった。 -
1990年代のはじめ、ロサンゼルス郊外のどこにでもありそうな町を舞台に、親友同士であるイーニドとレベッカ2人のサブカル系少女の日々の生活を、ありのままな感じで描く。仲良しだった二人の変化の映し方は、あくまで相対してフラットだ。
黒歴史って通過儀礼だよねー、なのか。来ないはずのバスが本当に来ちゃったら、乗るよねー、なのか。で、じゃあバスはどこに行くんだよ行先なんであるのかよ、とか。答えは出ないんだけどとりあえずこの作品の作り手は、誠実なんだなあと思った。 -
優れているわけでもないのに上から目線で世間を馬鹿にしているイーニド達に自分の若い頃の姿を見て、いたたまれない気分になる。私も学生時代イケてなかったのに卒業したとたん過激なカッコしてたりしたな…
私自身は結局レベッカ寄りの人生を歩めたけれど、会わなくなった友人の中にはイーニドのように何者にもなれずにもがいていた人もいた。今はどうしているんだろう。
思い当たる人には刺さる映画なので、くすぶっていた当時に観ていたら自分を重ね過ぎてヤバかったかも。
今はただただ大好きなスティーヴ・ブシェミがいっぱい観られる映画として楽しかったです。 -
自分が何者になりたいのか、いつまでも子どもでいれない感じとか泣き出したくなった
原作のスカした女子2人の感じが気に入って映画観てみたけども、予想外のかわいさに絶句
イーニドと彼女をとりまく全てのものがかわいすぎて…正気かよ…
かわいい女の子じゃなきゃ売れないと思ったのか、ダニエル・クロウズの画力のせいなのか知らないけど
こんなおしゃれ映画だなんて聞いてない!勘弁してくれ!
ソーラ・バーチのムチムチ感けしからん -
公開当時も見たけど、あのときは若気の至りでちょっと痛い主人公の気持ちが分かる反面、いい部屋があって、いろんなもの持ってて、アートの才能もあっていい感じじゃん!って単純に主人公がうらやましかったとこもあった。
今見たら、自分がもっとシンプルになってるし、なんか胸のおくがツンって痛くなる箇所がいっぱいあって、染みた。
大人になってから見ると、違う角度でとらえる
最後のシーンは切なかったな。
あのバス乗ってどこ行くんだろうな。
誰も知らないところへ行ってもう帰ってこないのかな。
世の中って、普通にするのが楽にできる人じゃないと楽に生きていけないよな。
大好きなスティーブ・ブシェミが、若くてかっこよかった
ダニエル・クロウズが原作 -
このタイトルにアメコミ原作という事前情報に良くも悪くも騙されましたね。こういうユルいオフビートな映画は苦手。
社会不適応を起こすサブカル女子の物語はあまり珍しいとも思えないし、かといって共感できるわけでもない。どちらかというとなんとなく社会に適応していってしまうスカーレト・ヨハンソン(当時15歳だって!)のほうが共感しやすいかも。
揺れる十代。勝手に揺れればいいと思うんですが、大人がそれに振り回されちゃいかんのです。最初は気の毒に思えたスティーヴ・ブシェミですが、少女の心の揺れを冷静に観察できなかった彼にも悪いところがあったんじゃないかと。
この映画も全然知りませんでした!
なのでこれは教えてもらえてありがたか...
この映画も全然知りませんでした!
なのでこれは教えてもらえてありがたかったです!
イーニドの気持ち、すごくよくわかります。
上にも書きましたが、『さらば青春の光』同様、青春映画の昔からある血脈プラス
女の子ってことと現代的視点になってて。
シーモアのこと、どう考えても好きだろ!!って観てる側は全員わかってるんだけど(笑)、
はっきりさせてなくて最後のスケッチブックで出すとこが良かったです。
「あなたのモテない世の中が不満なの」ってセリフ、
シーモアじゃなくてモノや作品に置き換えるとわかりやすくて。
「これ、すごく面白い映画や音楽なのになんでわかってくれないの!?」
って、ありますよね(笑)。
結局止まっちゃって映画はまだ観てないんです。
好きなとこもけっこう...
結局止まっちゃって映画はまだ観てないんです。
好きなとこもけっこうあります。
で、町山さんの言ってることもどっちもわかるんですよね。
もしかしたら世代差なのかもしれない。
「童貞コンプレックス」ってのがテーマとしてあるんですけど、
作者の方は女性だからそこがよくわかってないんじゃないの?とも思うし、
いやいや自分が童貞だったころはまさにこうだったよ、とも思うしで
なんか複雑なんですよね。
ここらへんは個人差が大きいと思います(笑)。
TV版だと、森山君のお父さん、でんでんのセリフで
町山さんが言ってることに関係する、すごい良いセリフがあるんですよ。
そこがけっこうグッとくるところで。
その続きとして映画版があるので、TV版と映画版は
切り離さない方がいいんじゃないかなあ、と思いますね~。
町山さんは切り離して考えてるんで。
原作の方、僕の感想としては「ビッチばっかりじゃねーか!!」と
最終的にムカついて終わりました(笑)。