若者のすべて【HDニューマスター版】 [DVD]

監督 : ルキーノ・ヴィスコンティ 
出演 : アラン・ドロン  レナート・サルヴァトーリ  アニー・ジラルド  カティーナ・パクシヌー  クラウディア・カルディナーレ 
  • 紀伊國屋書店 (2010年9月24日発売)
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  • Amazon.co.jp ・映画
  • / ISBN・EAN: 4523215054386

感想・レビュー・書評

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  • 鑑賞中の感想は、ひたすら、つらいわ〜、つらいわ〜、つらいわ〜、のオンパレード。ここまで報われない献身もない…。まあ、ヴィスコンティ作品なのだから、どう考えてもハッピーエンドであるはずはないのですが…。

    舞台は1950年頃と思しきイタリア北部の大都市ミラノ。
    一家の大黒柱である父親を亡くしたパロンディ家(年老いた母ロザリア、次男のシモーネ、三男のロッコ、四男のチーロ、五男のルーカ)は、先にミラノに暮らしていた長男ヴィンチェンツォを頼って南部の貧しい土地から移住してきます。

    しかし、長男であるはずのヴィンチェンツォは自分たち夫婦の生活しか考えず、移住して来た家族の面倒はみない。
    次男シモーネは一時はボクシングの才能を開花させますが、娼婦ナディアに溺れて身を持ち崩し、借金をし、しまいには問題を起こして警察のお尋ね者になる始末。
    四男のチーロは苦学して自動車工場に就職しますが、次兄の問題には対処できない。
    五男のルーカはまだまだ子供。

    そんな中、三男のロッコ(アラン・ドロン)は、家族を守るためにも、また、次兄への変わらぬ愛情からも、次兄のシモーネに何度ひどい目に遭わされても、彼を許し、助けようとしますが、その盲目的な献身は、ロッコ自身の境遇すら追い詰めるとともに、結果的には、彼が守りたかった家族に、ある大不幸をもたらしてしまいます…。

    イタリアの南北問題を背景に、逃れられない家族の業に絡め取られて、本人は望まなかった境遇に身を置き、縛り付けられながら、傷つき、孤独に喘ぎ続ける献身的な美青年役を、若き日のアラン・ドロンが好演しています。

    望まなかった道を極め、国民的英雄になった直後の舞台裏で、色々な感情をないまぜにして号泣し続けるロッコの姿は特に哀しく、胸に迫るものがあります。
    アラン・ドロンは、知性は感じさせないけど、孤独に堕ちていく青年を演じさせたら、なんだかんだで似合う気がします。

    物語の最後、四男チーロが末っ子ルーカに向けて語る、「ロッコは聖人だよ。…だけど、シモーネのことは許しちゃいけなかったんだ」という台詞が胸に刺さります。

    ヴィスコンティのネオリアリズム時代の作品なので、後年の作品に見るような豪華な美しさはありませんが、見る価値ありの作品です。

  • ヴィスコンティ監督の作品の中では最も質素でありながら最も親近感を引き寄せ最も暖かみのある煌めきを感じる事の出来る映画だと思います。

    ヴィスコンティ映画のイメージとは違って豪華絢爛な美術装飾、舞台ではないし貧乏な庶民の生活住まいがテーマというのが逆に新鮮。ヴィスコンティもこんなフェリーニみたいにネオリアリズモを撮ってたのですね。
    それでもその後の彼の作品にはずっと引き継がれてゆく圧倒されるような壮大感はしっかりとあります。質素でありながらもまるで聖書をなぞっているかのような重厚感。この頃辺りからこの作風があるのかな。
    同時期に作られた「甘い生活」と見比べても面白いと思います。この時代ならではの作風ですね。

    豪華な芸術装飾はなくとも演じる俳優自体をそのものをとりわけ男優を芸術装飾そのものに見立ててしまうのがヴィスコンティ。
    男まみれの5人兄弟が出てくる本作はヴィスコンティの技量の発揮どころと言っても良いかもしれない。5人の男の5つの個性と道とを見事に描き分けながら家族の絆という一本を同時に描いている。
    とくにアラン・ドロンとそれに対する存在であるレナート・サルヴァトーリ演じた兄弟の関係と対比が良い。まるで白と黒。それに入り組むアニー・ジラルド演じる1人の娼婦の存在が面白かった。
    役者の個性の出し方は監督ならではでありとくにレナート・サルヴァトーリはヴィスコンティ映画にしては珍しい顔ぶれでありながら強烈な印象を残す。
    彼が演じる駄目次男シモーネのイタリア系にしてはあまり見ないような個性的な表情を持つ俳優は彼以上に適役はないだろうと思う。
    それに美しいとは言いがたいのだけどもだからと言ってヴィスコンティ映画の男優レパートリーの中から除外することの出来ない魅力を兼ね備えている。珍しいけれど例外ではない。

    アラン・ドロンのあまりにもピュアな感じも新鮮というかなんというか。男性に向ける言葉ではないのだけども可憐で美しいです。
    そしてアラン・ドロンってただカッコいいだけのアイドル俳優でなかったのだなと見せつける演技力に驚かされます。
    とくにラストシーンでクズ兄貴にしがみついて号泣のシーンはなかなか出来るもんじゃない。

    娼婦ナディアを演じるアニー・ジラルドは本作がきっかけでサルヴァドーリと結婚したみたいですが良いエピソードですよね。
    実際映画の中でもクズ男とクズ女としてお似合いすぎるでしょ。いっそくっついてしまえばどれだけ良いかと思ってました。笑
    酒場でナディアと縁を戻そうと迫るシーン。ナディアが「嫌い、大嫌いよ」と言いながらも強引にシモーネが唇を奪うシーン。弟の前でナディアを強引に奪うシーン。
    最後の果てにナディアを刺し殺すシーン(いろんな人が言ってるように十字に見たて手を広げるところは鳥肌!)などこのクズ男女には印象的なシーンが多数でもありました。

    ヴィスコンティ映画に抵抗が有る人にこそおすすめしたい作品。
    素朴の中に煌めきを感じる事の出来るこの時代のイタリアならではの映画です。

  • 大好きな映画だけど、数十年ぶりに見た。
    前見たときも二回見たので(劇場で)、ストーリーは覚えていた通りだった。が、アラン・ドロンの美しさに衝撃を受けすぎて、細部を見ていなかった気がする。

    ナディアについて。彼女は13歳の頃に近所の男から性的虐待を受け、その後も(おそらく)違う男たちから同じような虐待を受け、自尊心が育たず娼婦になった。最初にパロンディ家に飛び込んでくるシーンで父親と喧嘩したと言っているが、父親は彼女が世間に顔向けできないような仕事をしていることをなじったのである。しかし、最初に虐待されたとき父親が不在で母親も気づいていたはずなのに、気づかないふりをした(貧しかったから)ことがそもそもの発端だった。そしてそのことに対する反発や怒りを彼女は抱えており、しかし自分の身に起きたことを言うこともできなかった。
    このあたりの、彼女の人間形成に関わる複雑な事情もきちんと描いていた。ナディアはシモーネには旅に出ると言って去るが、実は犯罪行為で(前科があったため執行猶予がつかず)服役していた。

    母親について。彼女が子どもを4人も連れて田舎からはるばるミラノに出てきたのは、夫が亡くなり長男がミラノにいたから、というのが表面的な理由だが、実際には彼女は結婚してからずっと田舎を出たいと願っていた。しかし夫は同意しなかったため我慢していた。夫が亡くなって軛が無くなりやっと決行したのだ。ロッコは田舎にいたがったが、ロッコより年長のシモーネは一家が奴隷のように働かされていて、田舎にいる限りそこから抜け出せないことを理解していた。母親は最初のシーンでは貧しい上に身なりも地味で粗末で老婆に見えるが、ミラノで地下の部屋から引っ越してからは、見違えるように若がえっている。私のことを皆が「奥さん(シニョーレ)と呼んでくれる」と喜んでいることからすると、やはり田舎ではひどい扱いを受けていたのだろう。

    母親が貧しい中子どもたちに愛情を注ぎ、肝っ玉おっ母みたいな時もあれば、おろおろして息子に頼ったりするあたりも、ヴィスコンティは貴族の家柄なのに庶民の母親をよく見てるなあと感心した。

    若い頃はシモーネってただの卑劣なクズだと思っていたが、今見るとルカのことは可愛がってるし、ロッコやチーロが言うように、根っからのクズではなく、田舎から急に派手な都会に出てきて、ボクシングで好成績をあげてお金も持てるようになって、調子に乗ってしまったのが発端。やったことは許されないが。
    実はロッコとシモーネは一人の人間なのかもしれないな、とも思った。ロッコはピュアで善良で疑うことを知らない。シモーネは見栄っ張りで怠け者ですぐカッとなり見境がなくなる。普通は一人の人間のなかにどちらの要素もあり、バランスを取って生きていくものなのに、この二人は偏り過ぎていた。だから悲劇を生んだ。

    音楽がニーノ・ロータで結構ずっと鳴っている。テーマ曲がゴッドファーザーのテーマ(愛の、ではなく三拍子の結婚式で流れる曲)ににている。
    アニー・ジラルドをこの映画で初めて見たとき「あだな姐さんとはこういう人を言うのだな」と思ったが今回もそう思った。
    そして、アラン・ドロンはやっぱり美し過ぎて、(モノクロでも、アップになったときのその瞳の青さがわかる)こんなに美しいとどこかに埋もれるというのは考えられないし、ボクシングもさせちゃいかん!と思った。
    田舎の底辺の家族を描きながら、ギリシャ悲劇のように重厚に作り上げるのはさすがヴィスコンティ。
    ドゥオーモで別れを告げるシーン、本当に切なく美しかった。
    いい映画だった。

  • <自分的青春映画祭⑤>
     終盤、アニージラルがレナートサヴァトーリを両手を広げて迎えるシーン、これは表情は見えないのだが、明らかに十字のクロスになっていて、これはもう本当にヨダレものです。

    レナートが弟であるアランドロンの前でジラルを犯す場面は鬼気迫るものがあり、めをみはる。

    こんなにドロドロした人生の深い溝を見せる青春映画は怖い。この映画で、アランドロンは磨かれた。

    とにもかくにも、アニージラルの美しさが胸を打ちます。

    【ストーリー】
     南部で貧窮にあえいでいたパロンディ家は、先に北部の大都市ミラノに出稼ぎに来ていた長兄ヴィンチェを頼って、老いた母と兄弟4人でやって来る。
     長兄には同郷出身の婚約者ジネッタ(カルディナーレ)がいたが、田舎出の彼らに対する風当たりは厳しいものだった。次兄シモーネ(サルヴァトーリ)は三男のロッコ(ドロン)と共にプロ・ボクサーを目指しジムに入ったが、娼婦ナディア(ジラルド)に夢中になり、自らその可能性を潰して、自虐の一途を辿り(バカンス旅行の豪華な園遊会を開くホテルを前にたたずむ二人が妙に寒々しかったのが記憶に残る)、ナディアは突然彼の前から姿を消す。
     一方ロッコは、クリーニング店で地道に働くが徴兵され、寄宿舎へと赴くのだった。その後ロッコは寄宿地で偶然にナディアと出会い、ロッコの優しさに触れた彼女は急速に彼と愛し合うようになる。
     しかし、それに嫉妬したシモーネは仲間を引き連れ、ロッコの目の前で彼女を犯してしまう(まさに圧巻の場面!)。ナディアは愛するロッコの前での辱めに心深く傷つき、再び街娼へと逆戻りし、結局シモーネと退廃的な生活を送っていく。
     巨匠ヴィスコンティが悠揚迫らぬタッチでつづる、兄弟愛の大ロマンである。このネオ・レアリズモの総集編のような壮大な叙事詩を放ってのち、ヴィスコンティは、より典雅で耽美的かつ様式的な、貴族階級を描く独自の世界に没入していくことになる。

  • これは名作ですね、素晴らしい。
    男ばっかり5人兄弟の物語。とにかくアラン・ドロン扮する三男ロッコが家族のために自ら犠牲になっていく姿が痛々しくて、「ロッコ~!!あんたいい人過ぎるよ~!!」と心の中で何度も叫んでしまいました。

    末っ子の幼いルーカが、ロッコのポスターを指でなぞるシーンは、胸に突き刺さるようでした。

    (1960年 イタリア/フランス)

  • 夫を亡くした母が息子4人をつれて長男のいるミラノへ。喪も明けぬ内に長男は婚約し、婚約者の家でお祝いを開いていた。それに激怒した母の為、婚約は誤破産となり、母と息子5人は管内の貧困者住宅へ移る。そんな息子たちの物語。母ちゃんがあれだけ田舎者の頑固者で息子は自分のもの、家族に尽くすものという態度では息子たちのバカさ、無知さも致し方ない、といったところ。都会で洗練された娼婦に手玉にされぐちゃぐちゃにされる兄弟たち、なんかなあ、どうしてそうなっちゃうかなあ、という悲哀がありました。

  • 兄弟にダメなヤツがいて、
    廻りが振り回される。

    長い映画だけど、
    兄弟でちょっと目線が変わるから
    飽きずに観られる。

    アランドロンの格好良さが異次元。
    すげー役者だわ。

  • 1983年に名古屋星ヶ丘三越のミニシアターで鑑賞。
    https://www.imdb.com/title/tt0054248/

  • 苦手な文芸映画。180分の長丁場を我慢して、いちおー最後まで鑑賞したが、何が良いのかさっぱりわからず。皆さんのレビューを読むと、演技、映像、主題などすべてを大絶賛しておられるが、まったく同意できない。演技は大袈裟で、どの人物も声がデカ過ぎ不自然。演出も古臭く、特にブローチを盗むシークエンスの演出なんかは今観るとダサ過ぎる。兄弟それぞれの転落物語も何を伝えたいのかさっぱり。製作年を見るとそんなに古くはなく、先行する傑作映画はいくらでもあるのに、なぜ名画扱いを受けているのか。まだまだこちらの修行が足りないのか。ヴィスコンティの威を借りている評者が多いのか。☆2

  • 邦題が???(歌声喫茶とかが流行っていた頃の名残りか…)
    原題の直訳でも良いと思うのだが…

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