されどわれらが日々── (文春文庫 し 4-1) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • “ 私はその頃、アルバイトの帰りなど、よく古本屋に寄った。そして、漠然と目についた本を手にとって時間を過ごした。”
    このあらすじから想像していた物語とは違う展開でした。本好きの人の生活をえがいているのかと思いきや、人生の転換期をえがいていました。

    生き方・考え方が違う者同士が結婚してもうまくいかないので、それぞれが正しいと思う道を歩んだほうが良いと思います。わたしが言えるのはそれだけです。


    (読みながら書いていた記録がすべて消えてしまいました……悲しい……)

    「されど われらが日々──」 2024/03/28 読了


    2024/03/30 p.196-254 読了
    「ロクタル管の話」

    p.196
    “ねえ、君。君はロクタル管を知っているかい。”
    まったく知らないのですけれど、知らない人を相手に説明してくださっているので、時代が違ってもわからないなりに想像できます。

    p.198
    “例えば、「この7F7、いくら?」というふうに訊く。親爺は「八百五十円」とか、なんとか言う。”
    (中略)
    “元々ぼくら中学生の小遣ではロクタル管は到底買えないことは知りぬいていたのだった。”
    (中略)
    “何かもののはずみということもあるのだから、二百円、あるいは精々三百円ということもあるかも知れないと、つい、かすかな希望を何辺でも持ってしまうからだったし、”
    当時の物の値段もわからないですけれど……当時の彼が出せる範囲の値段を言ってくれるので、ありがたいです。そりゃ、何倍もする物は買えないですよねえ……。

    p.204
    “あの頃ぼくらはよくしゃべり、そのおしゃべりは大抵他愛もないものばかりだったけれども、そういうおしゃべりは、いわばさざ波なので、そのさざ波の下にはぼくらだけが互に判り合う、深く、広く拡がる青い水の透明な厚みというようなものがあることを信じていた。”
    さざなみのおしゃべり。良いですね。好きです、この文章。

    p.218
    “何しろ7N7はひどく高価な球なのだ。新品なら九百円することだってある。普通で七百五十円、ここがいくら安いにしたって、五百円以下ということはある訳がない。”
    これ、本物ですか……? あるいは盗品?
    本当に大丈夫なのか、気になってしまいます……。

    「解説」
    p.229
    “はじめて読んでから十年以上の時が経った。その十年余の間、最初私がそれを眼にしたのと変わらないままにこの作品は存在しつづけていたわけである。活字に付された小説である以上、そのことは当然なのではあるけれども、”
    本はずっと変わらずに本である。それは優しいと感じます。
    本はずっと待っていてくれます。わたしが変わるまで。理解できるまで、何度だって付き合ってくれます。

  •  
    ── 柴田 翔《されどわれらが日々 1964‥‥ 19740625 文春文庫》[Kindle]
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B009DECQTC
     
     
    (20231128)
     

  • 若い時分に読んでおく本だったと思う。題名は知っていたが、ようやく読み終わった。「韓国文学の中心にあるもの」を読んで、この本のことが出ていたので読んでみた。この本の時代には朝鮮戦争が起きていたのだった。「私」は東大に入学し、それなりに勉強して大学院に進学する。英文学専攻だ。そして大学院を出たら地方の学校の教師をするのだろうと考えていた。佐伯節子は遠い親戚の娘で、東京女子大学を出て、商事会社に勤めている。佐伯の家から「私」との結婚の話が出る。二人とも小さいころから知っていたので従妹同士のような関係だった。そのため熱い感情があって結婚を決めたわけではない。「私」と節子。そして二人を取り巻く人たちが出てくる。そして共産党の活動で挫折した話も。今となっては昔の一時期の匂いを感じる小説だ。

  • 金大生のための読書案内で展示していた図書です。
    ▼先生の推薦文はこちら
    https://library.kanazawa-u.ac.jp/?page_id=18447

    ▼金沢大学附属図書館の所蔵情報
    http://www1.lib.kanazawa-u.ac.jp/recordID/catalog.bib/BN05106412

  • 世代、というものを描こうとした作品と感じた。著者及び作中人物たちは皆、戦争を子供時代に経験した者達である。恐らく、ここで使われる「世代」という言葉には、現代に於いての「世代」という言葉とは比べものにならない程の重みが込められている。 
    作中、様々なタイプの若者が現れる。当時の若者たちはそれぞれ自分とよく似た人物を作品の中に見つけ出し、共感して慰めを得たり焚きつけられたりしていたのかもしれない。

    戦争経験の有無が、いかにその後の思考や行動に違いをもたらすかについて考えさせられた。当時の学生運動は、自分達も戦争に参加させられるかもしれない、という身にせまる恐怖から生まれた面もあるのかな。佐野のように。

    短編『ロクタル菅の話』 真空管ラジオのことなんかこれっぽっちも分からないけど、何かに我を忘れるほど夢中になる嬉しさは十分伝わってきた。これも世代に関する物語かと思う。どうせなら全ての人称を「ぼくら」で統一すれば良かったのに❗

    表題作は別名「書きおき小説」と呼んでみたい。何しろ作品の中で主人公は合計3通もの書き置きを手にするのだ。皆切々と書き置きの内で心情を吐露している。
    しかしたった数年間で何通も書き置きを貰うなんて事態が、そうそう起こりうるものだろうか?主人公の人徳?時節柄?流行? …ちょっと書き置きに頼りすぎではないかという感じがする。

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著者プロフィール

作家、ドイツ文学研究者。
1935(昭和10)年1月 東京生まれ。
武蔵高校から東京大学へ進学、工学部から転じて独文科卒。
1960(昭和35)年 東京大学大学院独文科修士修了、同大文学部助手。
1961(昭和36)年「親和力研究」で日本ゲーテ協会ゲーテ賞。
 翌年より2年間、西ドイツ・フランクフルト大より奨学金を得て、留学。
1964(昭和39)年『されどわれらが日々─』で第51回芥川賞。
 東大助手を辞し、西ベルリンなどに滞在。帰国後、都立大講師、助教授を経て
1969(昭和44)年4月 東京大学文学部助教授、のち教授。文学部長を務める。
1994(平成6)年3月 定年退官、名誉教授。4月、共立女子大学文芸学部教授。
2004(平成16)年3月 同上定年退職。

「2019年 『〈改訂増補版〉詩に映るゲーテの生涯』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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