2013.04.16
本書で言う「回り道」とは、目的に直接的に向かうのではなく、無意識のうちに取り組み、やがて達成してしまうというプロセスを指すことになる。
われわれを取り巻く環境は単純とは言えず、むしろ、非常に複雑であり、われわれの環境に関する知識は断片的で不完全と言わざるを得ない。したがって、われわれは目標に向かって一直線に進むことは不可能で、現実としては回り道をたどってそこに向かう以外に方法はない。目標達成の可能性もそのほうが高いことになるはずだ。
幸福が単に幸福な瞬間の集合ではないということである。
富と幸福の関係が不明瞭であることが人間を鍛え上げている。知恵に関わる課題とは本来そういうものだ。
心理学者のダニエル・ネトル(人間の行動に関する研究で知られる人類学者、心理学者。英国のニューカッスル大学に在籍)は、「幸福」には三つの階層があるとしている。 まず、最も低位にある基礎レベルは、セックスの快楽や綺麗な夕日を観たときの感動といった刹那的な気持ちである。 中位のレベルは、こうした肉体的反応ではなく精神の状態だ。満足感や達成感がこれに当たるだろう。精神の状態とは感情に関する判定を含むものであり、当然ながら感情自体とは別のものになる。 最後に「ユーダイモニア」だが、これが最も上位の概念であり、生活の質、経済的な繁栄度合い、自己実現のレベルの基準とされる。
アリストテレスは、その著書の中で「ユーダイモニア」という言葉を紹介しているが、この「ユーダイモニア」は「幸福」というより、むしろ「繁栄」とか「豊かさ」と訳すべきだろう。この考え方とそこから来る倫理観は、2000年以上もの間、われわれの思想に影響を与えたが、哲学者や心理学者にしても「ユーダイモニア」と通常の「幸福」は別のものである。
複雑な問題を回り道的なやり方で解決するには、「未来に横たわる目的の解釈」 「達成途上に置く目標の実現」「基礎となる行動の実践」の三つをうまくつなげる必要がる。実はこのことが単純な問題の解決にも必要なのだ。
芸術家、詩人、教師、ビジネスパーソンの仕事は、人が観たい絵を描いたり、読みたい詩を書いたり、学びたいことを教えたり、ほしいものを作るだけではない。真の役割は、芸術、教育、製品やサービスに求められる高い次元の目的を、常人の能力を超えたレベルで目標や行動に置き換えることである。
進化が痛みへの反応をわれわれ人類に与えた。なぜなら進化はわれわれ自身よりも「人間にとって何が有益か」をよく知っているからだ。「何が有益か」は計算しようにも複雑過ぎてわれわれの手に負えない。さらに、われわれが身体に関して持つ知識もたかが知れている。つまり、計算に必要な情報に限りがあるのだ。
身のすくむような仕事や困難が伴うプロジェクトに出くわしたら、とにかく何かに手をつけてみることだ。目的や目標に関わる小さな課題を選んでみればよい。 「取りかかる前に計画を作る」という言葉は順当に聞こえるが、そんなことはまずできないだろう。目的が定義されてはいないし、問題の内容も変化する。事態は複雑極まりないし、情報も不充分というのが実情ではないだろうか。
優れた意思決定は、それが試行錯誤の結果であるという意味で、回り道的にならざるを得ないのである。新たな情報を取り入れ、環境への適応をくり返す。さらに、そうした情報も、意思決定をくり返す過程から得られるものであるはずだ。