- Amazon.co.jp ・電子書籍 (365ページ)
感想・レビュー・書評
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科学系の、特に翻訳本を読んでいると、この本手際よくまとめれば10ページくらいで足りるんじゃないか、だったらけっこう面白かったのに、と思うことが頻繁にある。話が回りくどく、周辺情報も多すぎて、その結果一番おもしろいところが薄まって、印象に残らない。もちろん10ページじゃ本にならないので、著者や出版社はわかってやっているのかもしれないけど。
池谷先生の本はその逆だ。本書も週刊誌等の連載をまとめたものだそうだが、結果として手際よくまとめた10ページ×100トピックという感じ。この分野に興味があるのなら、ほかの本を数十冊読むより、本書を1冊読んだほうがいい。えっ、マジか、そうだったのか、なるほど!の連続だ。欠点があるとすれば、続けて読むとびっくりしすぎて疲れてしまうこと。良い意味で、週刊誌的にちょっとずつ読んだほうがいいかもしれない。
池谷先生の純粋な脳科学者としての功績はよくわからないが(そういう話はほとんど出てこない)、脳の不思議と脳科学の最前線をぼくのような素人にわかりやすく伝える、という点においては右に出る人はいない。不思議だなあ、という先生の立ち位置が読み手に似てて、だから刺さるのかもしれない。そういう意味では福岡伸一先生に似ている気がする。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【本書の概要】
人間は、本来は脳内だけで思考を完結しない生き物である。身体が脳に信号を送り、脳が信号を返し、身体活動を生み出していた。
それは現代においても変化していないため、自分の身体で実体験することは、脳を鍛えるよりも大きな意義があるのではないか。
【詳細】
①人間に意思はあるのか?
人間は、意識上では極めて自由に行動しているつもりでも、現実では本人でさえ自覚できないような行動のクセがあり、活動パターンが常同化している。
例えば物を食べるとき、「昨日食べたものと違うものを食べたい」「今日はサッパリしたものがいい」と考えることがあると思う。しかし、それは今までに食べた物の種類や自分の身体感覚に左右されている。これを自分の意志100%による決定と言い切れるだろうか?
意思は周囲の環境と身体の状況で決まる。「自由な感覚」とは本人の錯覚にすぎず、実際の行動の大部分は普段の習慣や環境によって決まっている。思考癖や反射により、無意識のうちに行動にバイアスがかかっているのだ。
これを聞いて、「自分はそんなことはない、自由な意思がある」と感じた人もいるだろう。しかし、「自由な意思がある」と考えるに至ったのは、たった今「人間の行動は習慣や環境で決まる」ということを聞いたからであり、これはまさに外的環境によって自分の思考を限定された結果ではないだろうか。
②人は自分の意志も事実も正確に捉えられない
実験によると、決断する本人よりも先にその人の無意識下で起こる反射を調べれば、その人がどちらに決断するかを知ることができる。
「自分の好きなタイミング」でボタンを押す実験がある。被験者はモニターを見ながら、自分が押したいと決断したらすぐボタンを押す。
実験の間被験者の脳波を測定することで、「被験者がいつボタンを押そうと考えたか」を測るのが目的である。
実験の結果、驚くべきことに、ボタンを押そうとした10秒ほど前には、既に脳の一部分が活性化していた。本人が「押したい」と思って行動するはるか前から、本人の脳は決断を下していた。
つまり、人間が取る行動は、本人の意思とは別に潜在意識の中で既に決まっているのだ。
また、脳のある部分を電気で刺激すると、実際は身体が動いてないのに動いたように感じたり、「動きたい」という気持ちが突然生まれることも分かった。
人間は行動の原因だけでなく、起こった事実についても正しく自覚できていない。ヒトという生き物は、自分のことを正しく自己認識できない生き物であるのだ。
③「考える」という営みは身体感覚とともにあった
人間の脳は、本来徹頭徹尾身体作用を司る器官であった。外界からの危険を目や耳で察知し、脳に信号を送り、危険を回避するために脳が思考して返す、それが身体反応となって現れる。
しかし、脳は得てして身体を省略したがる。現代になって「考える」ことに重きを置くようになった人間は、実際の物理反応なしでも脳の中だけで信号を完結できるようになった。
しかし、現代社会においても、脳と身体反応は不可分の存在として残っている。
乳幼児が指を折りながら数を数えたりするように、人間の思考はそれと対を成す身体活動とニコイチになっている。また、勉強をする際には頭の中だけで考えるのではなく、実際に問題を解く(手を動かす)ことでより理解が深まることは、もはや周知の事実だろう。精神と身体は切り離して考えるべきではなく、身体は脳の上位に置かれるべき存在である。
であれば、自然や他人と触れ合い、自分の身体で実体験することは、脳を鍛えるよりも大きな意義があるのではないか。
身体性が希薄になる現代社会だからこそ、「実体験」の大切さは見過ごされるべきではないのかもしれない。
【感想】
人間の行動すべてがニューロンとシナプスの生化学的な振る舞いによるものであれば、全てをビッグデータの収集とAIの分析により再現可能となるのかもしれない。
とはいっても、我々はその説につい反発してしまう。人間というのは「魂」が宿る高貴な存在であると直感しているからだ。人とは石や草や家畜といった生物以上の何かであるということの証明は、究極的には「人とは何か」という哲学的問いに行きつく。
また、意思決定を切り分けていったら、その先にも「自由な主体とは何か」という哲学的な問いが待っているに違いないと思う。人間の意思決定はその人が属する経験や環境によって左右されるため、自由意志など本当は有り得ない。いや、左右されるのはその人が取る「行動の内容」であり、「これをやろう」と思い立つに至るプロセスは自由意志なのではないか。いやいや、そのきっかけさえも外界からの刺激と習慣づけにより、自分のあずかり知らぬところでタイミングが左右されているんだよ。……これに素直に応えるのは難しいだろう。
ただし、脳科学について知ることで、人間の活動のうちどこまでが生物の特性によるもので、どこからが個人の特性によるものか、を線引きすることができるようになる。これは前述の問いに直接答えるものではないが、人間という漠然とした括りではなく、「自分が」どう考えているかを理解できれば、少しは気持ちが楽になるように感じる。 -
脳の研究を解りやすく解説。
面白かったけど、ちょっと幅広くて記憶に残らない。 -
題名にとても共感。
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面白かった。ためになった。
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勉強になりました。
・主体的とも思える決断が実は脳の習性により起こっているものだった。
・決断=脳の反射である
・なので深く考えずに直感にしたがう
・運動と脳は大きく関わる、運動があって、その後に脳の判断
良いと思った点3つ
①読みやすい、わかりやすい
②人間の行動や思考の本質を知った気がする
③運動はやはり大事だなと実感 -
- 感情と行動が矛盾するとき、脳は感情の方を変える。
- 入力(学習する)より出力(使ってみる)を繰り返す方が脳回路に定着する。
- 問題解決には議論し合うほうが良い。話し合いは本質的な理解や解釈をもたらす。
- 身体性
- 笑顔を作ると、良い気持ちが作られる。
- 背筋を伸ばすと、自信が出る。
- 人に対する印象は思いのほか環境要因から影響を受ける。
- 心地よい香りを嗅ぐと、相手に良い印象を抱く。
- 赤色は相手を無意識のうちに威嚇する。
- 健全な精神は健康な胃腸に宿る。
- 人は年齢を重ねると一般に心は平穏になり幸福を感じるようになる。悪感情が減っていくようになるのは好ましい反面、リスク管理能力が低下するとも言える。
- 無意識に形成された「わけがわからないけど」や「ただなんとなく」と感じる生理的な好悪癖こそが、人格や性格の圧倒的な部分を占めている。
- プレッシャーの掛かる場面では自分の不安の気持ちを素直に吐き出すことが重要。
- 持っている 語彙 が、ヒトの意志や思考や行動に独特のパターンをもたらす。新しい語彙は人の社会観・生活感そのものを変化させる。
- 意志は脳から生まれるのではなく、周囲の環境と身体の状況で決まる。自由意志は錯覚。
- 自分が自覚する前に決断している。
- 意識と無意識は乖離していて真逆なことも良くある。
- 自動判定装置が 正しい反射をしてくれるか否かは、本人が 過去にどれほどよい経験をしてきているかに依存する。だから「よく生きる」には「よい経験をする」ことで「よい癖」を作るのが重要。人の成長は反射力を鍛えるという一点に尽きる。人は自分のことを知り得ない作りになっているからこそ、良い反射をするように良い経験を積むことに注力するのが良い。
- 寝ることで熟成し成長する。寝ている間には、記憶の「整理」と「定着」が交互に行われている。
- 「観念運動」何かを強く思い浮かべると、自然と体が動くこと。イメトレをすることで夢に向かって自然に体や脳が向かうようにする。
- 大脳新皮質が拡大したことで、脳は身体を省略したがる癖が生じた。だが、脳と身体はつながっている。身体感覚(入力)と身体運動(出力)の二点こそが、脳にとって外部接点のすべて。 -
p.2021/6/22
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