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感想・レビュー・書評
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著者が毎日新聞に月一で連載していたエッセー「楽あれば苦あり」(二〇〇八年六月十日~二〇一二年三月十四日)を収録。
ある瞬間に小説の題材がふっと浮かんでくるという著者。浮かんだら、その題材(チェスであったり鳥や槍投げであったり)を調べまくり、取材しているうちに小説の姿が見えてくる。書き始めると登場人物達が勝手に動きだし、喋りだす。「一生懸命に書く、という意気込みが、一生懸命に聞く、と変わってからが、本当の小説のスタートである」とのこと。この手のスタイルの小説家、結構多いよな(確か、村上春樹もそうだったよな)。こういうのって、天性のものなのだろうか。
「本の模様替え」に、昔読んだ本を読み返すと「記憶にある姿と目の前の姿が、同じ作品とは思えないほど奇妙にすれ違っている」ことがあると書いてあった。いつの間にかストーリーを勝手に改変して再記憶しちゃうんだよな。記憶どおり(期待どおり)の筋じゃなくて、あれ、そうだったけって拍子抜けすること、あるある。
著者はたくさんの本に言及している。読んでみたい未読作品も多かった。中勘助『銀の匙』、アゴタ・クリストフ『悪童日記』、武田泰淳『目まいのする散歩』、須賀敦子『ミラノ 霧の風景』、吉田重人・岡ノ谷一夫『ハダカデバネズミ女王・兵隊・ふとん係』、アンドレア・バレットの短編『地図に仕える者たち』、レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』、星野道夫著『旅をする木』、アヴィグドル・ダガン『宮廷の道化師たち』、ジャージ・コジンスキー『庭師ただそこにいるだけの人』、平出隆『ウィリアム・ブレイクのバット』、ジョン・マグレガー著、真野泰訳『奇跡も語る者がいなければ』、高木敏子『ガラスのうさぎ』、大岡昇平『ながい旅』、岡ノ谷一夫『小鳥の歌からヒトの言葉へ』、岸本佐知子『気になる部分』と『ねにもつタイプ』、赤染晶子『乙女の密告』、ポール・オースター『トゥルー・ストーリーズ』、ジョン・アーヴィング著『オウエンのために祈りを』、村上春樹『翻訳夜話』、クレア・キップス『ある小さなスズメの記録』、坂口安吾『日本文化私観』などなど。機会があれば読んでみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ポケットの中のビスケット、ほか思い当たることがいくつも散りばめられてました。
カバヤ食品って最近聞かないなぁ。
最後になって、「とにかく散歩」が何かわかりました。
動物は死を恐れずに受け止める。ペットと一緒の時間はかけがえのないもの。 -
短編エッセイ集で気軽に読むことができた。心に残ったのは、愛する家族(親とペットの老い)と死だ。これこそが日常生活の延長線に必ずあるものだと思わされた。しかし、散歩をすることで、人は日常の煩わしたから一旦逃れることができる。私は散歩が好きだが、これからも散歩を習慣にして、良い時も悪い時にも前に進みたいと思った。
親が子を心配すること、それは親の役目であり、親はそれを止められない、ような主旨のことが書いてあり、自分の親もそうだなと思い、親を前よりも理解できた気がした。 -
エッセイ集。小川洋子は好奇心の塊だ。このエッセイ集を読むとそれがよくわかる。面白いおばちゃん(失礼)だ。そして愛犬家である。一遍一遍は短く、最後にオチを持ってくることが多い。そのあたりは関西人だなと思わせる。「機嫌よく黙る」が一番好き。全くもって同感だ。
彼女の作品を読むときにいつも感じるのは、実際はほぼ同世代なのに、自分よりずいぶん年上な印象。この本を読んでいる時に、偶然、Youtubeで彼女が朗読するのを見た。その中で、彼女も両親もある宗教の信者であり、そのコミュニティの中で育ったことを知った。作品から感じるあの落ち着きはそこから来ていると合点した。 -
ノーベル賞をもらう立派な人でも、数々の危険から身を守ってくれた誰かのおかげで命があるからこそ、授賞式にも臨めるというものであろう。
助けを求める人の手を無理に引っ張っても、ただ痛い思いをさせるだけだし、自分にできるのはせいぜい一緒にため息をつくくらいのことだ、と心得ている。 -
じんわりと沁みるエッセイ。
ハダカデバネズミってどんな??って調べてみたらインパクト大。個人的にはちょっと、恐いというか何というか。
タイトル「とにかく散歩いたしましょう」は愛犬とのエピソードから。
家族である動物との別れは、胸が痛い。 -
日常の想いと、読んだ本の世界が入り混じるエッセイ集。あとがきまで読むとタイトルの意味がすとんと心に落ちる。