- Amazon.co.jp ・電子書籍 (201ページ)
感想・レビュー・書評
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技術開発の経験談としても秀逸。
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イノベーションは制限から生まれる、という本だった。戦中の人が書いた本なのに、読みやすく、イメージを持って理解しやすい。技術者のプレゼンテーションはこうあってほしい。
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リアル「風立ちぬ」。
独創的な技術を生み出すために
何が必要か、考えさせられた。 -
遅ればせながら映画に影響されて電子版購入。
作っている技術者達は皆で一丸となって、悩み苦しみ作り上げる事に夢中で、製作中もしくは完成直後には、それが兵器であることを知りつつも、それがどんな結末をもたらすかについては目が行かないものなのだなと感じました。
それだけに零戦の栄光と結末は、発注してそれを運用する側の思慮と責任は重大なものであると考えさせられるものだと思います。 -
宮崎駿監督の「風立ちぬ」のモデルで零戦設計者として知られる堀越二郎氏の回顧録。
日本海軍が出した、ハイレベルな注文をひとつひとつクリアしながら、不眠不休で開発に勤しむ。航空機後進国だった日本の技術者が零戦を開発する話は、簡単にいえば、NHKの「プロジェクトX」。当方の知識不足のため、やや駆け足で読んだところもあるが、航空機に詳しい人なら、もっと面白く読めるのだろう。
私が一番気になったのは、堀越二郎氏がどのような心境で兵器たる戦闘機の開発に臨み、戦争をどう見ていたのか、ということだ。技術者として、英米との闘いは無謀と考えながらも、開戦直後の日本軍の快進撃には、国民感情として喜んでいたようだ。
零戦の活躍は関係者を通じて知ったという。日本国民に「零戦」の名前が広く知られるようになったのは敗戦濃厚の昭和19年末。朝日新聞から、特攻隊をたたえる短文を依頼されたが、微笑みながら乗っていった若者を思って、涙がこぼれて仕方なかった、という。
戦争に翻弄された航空機設計者の苦悩が浮かび上がってくる。 -
映画の影響もあってこの本を電子書籍で買ってみた。
零戦の話というとどうしても戦争の関連の話になり、私はそこに何重ものフィルターをいわば自動的にかけてしまうのである。どんなにそれがすばらしいものであるにしても、結局それは兵器であり、人殺しの道具であると。
この本を読むにあたって私はまずこの兵器嫌悪フィルターをはずしてみた。するとそこには悪条件の中で、過重な要求に果敢に取り組もうとする技術者の姿が残ったのである。筆者は飛行機設計に際してしばしば「美しい」という言葉を用いている。美しさという情緒的感情的な表現と最新技術の開発とのミスマッチが印象的だったのである。美しさはもちろん戦闘機のフォルムに対して使われているのだが、意味することはそれだけではないだろう。
筆者にとって小さな馬力の零戦が戦場で最大の戦果をあげるという事実は、それ自体が美しいものであったのだ。そして、その無敵さは自らの精神を傾けた作品の目に見える評価として心震わすものであったことが分かる。ものづくりをする者として、それが想定どおり、もしくはそれ以上の成果を発揮することは最大の喜びなのであろう。私はそういう仕事に就いてはいないが、その気持ちは容易に想像することができる。
何かを作り出すということには、人生のある部分がつぎ込まれる。それが優秀なものであれば、その分量は大きなものになり、場合によっては人生の大半がそれに投入されることさえもある。だから、それをいとわず、人生を投じることができる人物だけが新たな局面を切り開いていくのだろう。
例のフィルターを持ち出すことになるが、兵器以外の面でもこういう挑戦をしている人は多数いるのだろう。昨今、日本の技術力に関して危惧する意見が多数出ているが、それは自分の造るものへの強い情熱をもった人が必要になっているということなのだろう。戦争のような極限状態ではないにしても、技術立国の大黒柱が揺らいでいるいま、筆者のような情熱をもつ人の登場が待望されているのは確かだ。 -
太平洋戦争序盤では抜群の性能を誇ったゼロ戦の開発者による記録.
ジブリ映画の主人公のようなぼんやりとしたおっさんではなく,熱い心意気と多くの知識,そして少なくない犠牲によって戦闘機が作られていたということが分かる.そして,まとめとして開発者として世界一のものを作るというプライドが痛いほど伝わってくる.
ただ開発者の手記であって,実績といった記録ではないためこれがゼロ戦の全てではないことは肝に銘じて置く必要があるだろう. -
零戦開発の技術者魂がすばらしいが、戦争の賜と思うとむなしいです。
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ジブリの映画「風立ちぬ」を観ようとおもい、映画のモデルとなった
堀越二郎さんが著した零戦関連の本をKindle版で購入、読みました。
読評はどれも高くて、「零戦」という日本の名機を生み出した
日本の技術と完成者の努力を称賛するものばかりです。
でも実際は、零戦は兵器です。異論はあるかもしれませんが、
戦いに使う道具です。それによってなくなった人たちもいるわけです。
(ご存知のように、特攻隊を含めて)
そのような道具を、開発者自身が両手を上げて絶賛していいのか
という気持が、読んでいる間に沸き起こってきました。
原著は昭和30年代、高度成長まっただ中の時期に書かれたので
著者の「戦争に負けても、日本はここまで復活したんだぞ!」
という気持があったことは、行間から十分に伺えます。
それならなおさら、零戦の開発及び戦闘中になくなった人たちへの
鎮魂の念が表されてもよかったのではないかと思います。
ちなみに戦争末期にロケット特攻機桜花を設計した三木忠直さんは
のちに新幹線開発設計に携わっていますが、その理由を
以下の様な言葉で残したそうです。
とにかくもう、戦争はこりごりだった。
だけど、自動車関係にいけば戦車になる。
船舶関係にいけば軍艦になる。
それでいろいろ考えて、平和利用しかできない
鉄道の世界に入ることにしたんですよ。