- Amazon.co.jp ・電子書籍 (297ページ)
感想・レビュー・書評
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東京下町入谷で起きた吉展ちゃん誘拐事件を題材にしたノンフィクションの傑作。
事件が起きた昭和38年は「憩(いこい)がピースに、焼酎がビールにかわるというオリンピック景気にわいていた時代」である。私事で恐縮だが、この年、私は4歳。青梅という田舎に住んでいたが、吉展ちゃんの情報を求めるポスターは、至る所に貼られていた。吉展ちゃんの遺体が発見されたのは、事件発生から4年の後だが、そのニュース番組(白黒)を見た母親が大騒ぎしたのを、覚えている。それほど、この誘拐事件は大事件だった。
本書の見せ場は大きく分けて4つある。
1)犯行現場でみすみす身代金50万円を取られてしまうという警察の大失態
2)犯人小原保および実家の人々の凄まじいまでの極貧の描写
3)身代金を手に入れた後の小原保の周辺の人々に対する態度の変化
4)平塚八兵衛部長刑事のアリバイ崩しと、取調室における小原保との対決
元読売新聞の記者である著者による関係者へのインタビューにより、事件の詳細が濃密かつ圧倒的なリアルさで描かれる。一気に読んでしまった。お勧めの★5つ。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1963年、上野駅近くで4歳の男児を誘拐殺害した犯人は警察の捜査をかいくぐり身代金を奪取。戦後史に残る「吉展ちゃん事件」である。いったんは迷宮入りかと思われた事件が、刑事による緻密な再捜査により解決に至る顛末を語る本書は、一見、刑事ドラマのようにも見える。
だが著者があとがきで述べるように、本書の主眼はむしろ、犯人を狩の獲物であるかのように追い詰め裁くような、警察と一体化したメディア報道への批判に置かれている。被害者の家族と犯人・小原保、そして彼らをとりまく人々は、みな戦後の貧しさの中で生き抜こうともがく者たちだった。事件では脇枠だが、小原と関係をもっていた小料理屋の女将が重ねてきた苦労のエピソードは深く印象に刻まれる。
だが借金に追い詰められ、福島の山間に戻っても実家に顔を出すことさえできない小原は、吉展ちゃんの赤いセーターが「いい家の子に見えたから」手にかけてしまう。彼らの運命を分けたものはなんだったろう。それが、エンターテイメント報道がしばしば暗に指し示す加害者の性悪さでないことはたしかだ。罪悪感を抱えていた小原が刑事に問い詰められて自供に至る、その心はすがすがしくさえあった。だからこそ死刑による断罪のむごい壁が圧倒的な絶望感で立ち塞がってくる。ずっと問われてきた問いに、この社会はいつになったら向き合うのだろう。