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感想・レビュー・書評
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橋本治の本を何冊か読んできたが、本書は分かりにくかった。
前近代は制度社会=身分社会であり、制度の中にいれば孤独を感じることはない。全体における自分の位置が分かるからである。そして、制度から外れることを「転落」と言った。
そして、制度社会=身分社会が崩壊し、近代が始まる。それは「個人の発見」すなわち「孤独の発見」であり、孤独は許されるはずだった。
しかし、近代国家は制度社会の名残を残していた。ゆえに、孤独=転落=敗北となった。
人が「美しい」と感じるとき、それは、
①自分と同じように孤独だから美しい
②自分の孤独を癒やしてくれるから美しい
のいずれかで、両者とも孤独と関連する。
したがって、孤独=敗北を認めたくない人は「美しい」が分からないということになるが、孤独と敗北はイコールでつなげるべきものではない。孤独とは自立へのプロセスであり、自立するためには孤独を引き受ける必要がある。
個人主義の時代である。前近代は「家」が単位であった。近代に入り、家の集合体としての国を「近代国家」としたのは、「近代」としながらも「家」を単位とする自己矛盾であった。
時代は、真の近代社会=非制度社会=個人主義の時代に向かっている。詳細をみるコメント0件をすべて表示
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