NHK「100分de名著」ブックス 般若心経 [Kindle]

著者 :
  • NHK出版
3.78
  • (3)
  • (11)
  • (2)
  • (1)
  • (1)
本棚登録 : 86
感想 : 6
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・電子書籍 (134ページ)

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 「般若心経」ウィークではないが、先週に引き続いての「ぎゃていぎゃてい」

    今回は仏教の歴史を俯瞰しながら「般若心経」の意味、ポジションを解説。

    玄侑宗久さんの現代語訳では、その意味、哲学を通じて、異次元の世界を感じさせてくれたが、こちらは何となく仏教のバックステージというか、仏教の伝承者の現実的な意図を感じさせてくれる本

    もちろん中身は刺激的で、「般若心経」は、開祖である仏陀の教えを否定しているということを基本としての解説なのである。そして、それは「小乗仏教」「大乗仏教」の違いであり、ようやくこの違いをスッキリ理解することが出来た。

    仏陀本来の教えが、自らのための宗教であるところは、ユダヤの「選民思想」を思い出させてくれたし、本来は理論的な教えというのも、全てのことを旧約聖書に照らして神の意志を確認しようとするユダヤと似ているように思えた。
    また大乗仏教の利他的なところは、リチャード・ドーキンス「利己的な遺伝子」を彷彿とさせくれたし、なにより仏陀の教えではない「般若心経」が仏教の経典として存在することは、ユダヤのタルムードと似通った気がした。


    「般若心経」の力は「神秘」と作者は言うが、
    まさしく異次元であり、ユダヤの神の領域のような気がした。
    そしてそれは、おそらく言葉を生み出す以前の脳だけが反応するような何か。
    音としてしか認識できない呪文なのだろうと感じた。

  • それにしても、何も知りませんでした。お釈迦様の仏教と日本に伝わった大乗仏教の根本的な違い。何となく、日本の仏教は中国を経由して、土地土地の道教や神道といったものの影響を受けて変質していることは知っていましたが、ここまで違うとは思っていませんでした。
    お釈迦様の仏教では、「われわれが普段、そこに実在すると思っている様々な対象物は、それらを寄せ集めた架空の存在、実態のない虚像であり、真の実在は「五蘊」「十二処」「十八界」の各項目だけである。これが『ここに自分というものがあるという思いを取り除き、この世のものは空であるとみよ』の考え」と整理しているのに対し、大乗仏教では、お釈迦様が真の実在といった「五蘊」「十二処」「十八界」の基本要素に至るまで「実在しない」と述べています。お釈迦さまは「例えば『私』とか『石』とか『車』とかいった存在は、一見すると安定的に常住しているように見えるが、実際は、単にそれらを形成している基本要素の集合体に過ぎないので実態がない。そして常に変化し続けている。それが『空』である。この世に『ある』といえるのは、最小単位の基本要素(「五蘊」「十二処」「十八界」)と、その間に成り立つ法則性である」と述べている。きわめて明快。一方、般若心経では「お釈迦様のいう基本要素自体も実態を持たない架空の存在なのであり、この世を構成している基本要素などない。「五蘊」も「十二処」も「十八界」もない。したがって、その要素間に働いていると考えられている因果則も存在しない。この世はそのような理屈を超えた、もっと別の超越的な法則によって動いている。これが『空』である」と主張している。

    また、お釈迦様の仏教では「あらゆる苦しみの根源は『無明(無知=人間の煩悩のうち最大のもの)』にあり、この無明のせいで様々な良からぬことが連鎖的に起こり、最後には耐えがたい『老死』の苦悶に悶えることになると考え、完全に業を滅し、もはや二度と輪廻することのない安らかな『涅槃』に至ることを仏教の至上目的」と考えているのに対し、大乗仏教では「この世で自分がなした善行のエネルギーは、そのまま輪廻の中で使ってしまうのではなく、ぐっと溜め込んでおいて悟りをひらくエネルギーとなり、結果として二度と生まれ変わることのない涅槃に入るエネルギーになるという考え方」になるようです。俗世で行う善行が、そのままブッダになるエネルギーに使えるという考え方です。そして、般若経では「般若経を唱えること」を究極の善行とみなし、般若経を唱えることで、我々は大変なスピードでブッダになることができると考えられているようです。
    なんと、なんと、なんとです。まだ理解したわけではないけど、何となく大乗仏教のアウトラインを捉えられたような気がする。大変勉強になりました。

  • - 『般若心経』の世界観を端的に言えば「分析の否定」。目の前にある存在を区分けして解体し、その要素を知ることで、「これですべて理解できた」と納得する、そういう姿勢を否定している。「そこにあるものは、そこにあるものとしてそのまま理解せよ。しかもその理解はあくまで人の知恵による限定的なものであり、その奥には人智を越えた法則があるということを承知せよ」ということ。
    - 分析という作業には必ず、「ここで線引きができるだろう」という私たちの予断が入り込む。本当に客観的な分析などというものはなく、そこには必ず人間の先入観が含まれてくる。「空」の思想は、これを常に是正し、さらなる客観性への道を無限に示す。

全6件中 1 - 6件を表示

著者プロフィール

1956年福井県生まれ。花園大学文学部仏教学科教授。京都大学工学部工業化学科および文学部哲学科仏教学専攻卒業。同大学大学院文学研究科博士課程満期退学。カリフォルニア大学バークレー校留学をへて現職。専門は仏教哲学、古代インド仏教学、仏教史。著書に『宗教の本性』(NHK出版新書、2021)、『「NHK100分de名著」ブックス ブッダ 真理のことば』(NHK出版、2012)、『科学するブッダ』(角川ソフィア文庫、2013)ほか多数。訳書に鈴木大拙著『大乗仏教概論』(岩波文庫、2016)などがある。

「2021年 『エッセンシャル仏教 教理・歴史・多様化』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐々木閑の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×