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感想・レビュー・書評
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美食評論家というのは、なんとなく胡散臭い。その胡散臭さが感じられるのは山本益博だ。それでも、エルブリのことが書いてあるので、読んだ。エルブリは、テレビでフェランアドリアの料理を見て、食べてみたいと思ったレストランだった。とにかく、レストラン目当てに食べに行くしかないスペインの片田舎なのだ。著者は10年間で3000回以上フランス料理を食べていたというほど、フランス料理にのめり込んでいる。本人は「美味しい。素晴らしい。」というだけで、表現のしようがないようだ。フランスの三つ星レストランの料理人と交流があることをこの本では説明する。やっぱり、胡散臭い。
それにしても、三つ星レストランと言われても、その料理人の巧みな技術と技がなかなか受け継がれにくく、閉店に追い込まれるのは、料理人の寿命と関連する。やはり、料理人の技は個人に宿る才能なのだ。実際、エルブリも閉店に追い込まれている。
エルブリのシェフ フェランアドリアは「香り、温度、舌触りの思いがけないコントラストを提供すること。全てが見た目通りではない。ディナーを挑発し、驚かせ、喜ばせるためにアイデアを出すこと」としている。フェランアドリアは、「料理への皮肉」という言葉で、表現することを著者は伝えようとする。この本の中で、フェランアドリアの至極の20皿で、やっと面白くなる。
グリーンピースのスープ・ミント風味;あついものから冷たいものへのコントラスト。カリフラワーのクスクス;カリフラワーが見えないけどカリフラワーが存在する。玉ねぎの天ぷら 醤油のヌーベ;醤油が汁ではなく泡となっている。ケロッグのパエリア。野菜のグリル。ふーむ。文章を読みながら、著者の表現力の足りなさがあり、隔靴掻痒というのが、ピッタリくる。想像もつかない味というより、文章で想像させることもできないということがありながら、想像をかきたてることもあるのだと納得した。フェランアドリアの料理は、食べてみたい。詳細をみるコメント0件をすべて表示