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- / ISBN・EAN: 4988021143486
感想・レビュー・書評
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実際の大量虐殺者にカメラの前で自らの殺人を演じさせるという前代未聞のアイディアと勇気を持った映画。
単なるドキュメンタリー映画ではない。
こういう手法のものは初めて観た。
内容は……
見終わったばかりでまだ言葉が出ないです。
圧倒的な「悪」に打ちのめされた感。
人間はここまで残虐になれるのかと。
少し落ち着いてからブログに追記しました。
http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-1739.html詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
少々見るのをためらっていたが
悲しい歴史を持った国は様々あるが
インドネシアにこんな歴史が横たわっていたとは
知らなかった。
プレマンというヤクザな輩による
防共のための措置、国を守るという大義名分の下
数え切れないほどの同胞の命奪い
所業の恐ろしさゆえ誰も逆らうことの出来ない社会
閣僚から場末のチンピラまでプレマンが幅を利かせている
社会になったインドネシア。
しかし大義名分は美化されプレマンは英雄となった。
今作品は監督の企画を受け入れる形で自ら英雄伝的映画を作るという
名目で自らの所業を目の当たりにして美化することで封印した
殺戮の記憶を自ら語ることで当の本人たちに生々しくよみがえる。
あまりの非道的、かつ残忍な自らの行いに
耐え切れなくなっていく彼等の姿を追いかけたドキュメンタリー。
余りにも多くの死ぬべきでないかもしれない人を
殺した彼らはどう理由をつけようとも
許されはしないということを感じる。 -
非常に衝撃的な一作。こういう映画がかつてあったかと。
かつて虐殺を犯した、英雄気取りの男の日常と、心情と、インドネシア社会。
始まりと終わりで全く違う男の表情。それを映画として切り取っていること、いや、映画がその違いを生じさせたこと、これが何と言ってもこの映画のすごいところだ。 -
ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」という言葉が、終始、頭を離れなかった。
自分のしたことは仕方なかった、間違っていなかったと繰り返し、嬉々として再現映像の制作に取り組む姿。自分たちが国際法に違反しているというならブッシュはどうなんだと居直る姿。
そうか。
中国の戦地で、きっと自分の祖父もこれに近いか、もっと残虐なことをしてきたんだろう。
そして、状況が出来上がってしまえば、私も同じ罪に手を染めるんだろう。
誰の言葉だったか忘れたけれど「人間は過ちを犯した時、最初は仕方なかったと言い、次にはそれが義務だったのだと言う」という言葉。
改めて、深く戒めとして心に刻まれた。
一方で、プレマンたちを嫌悪はしても、果たして自分に彼らを断罪できるだけの倫理観はあるんだろうか?と自分に問わざるを得ない。
倫理の源は想像力。大事だけど、身につけるのも生かすのも難しい力。
身につけた気でいる私自身の想像力も、お粗末なものでしかない。
だから、想像力の欠如したプレマンたちの蛮行を、そう易々とは断罪できない。
程度の大小問わず、気づかないうちに私も誰かの足を踏んでいる。踏んでいることを想像できない程度の、想像力しか持ってない。
特典DVDでジョシュア監督が言っていた『THE ACT of KILLING』の三つ目の意味をよく考えたい。
監督がしたかったのは、断罪じゃない。
自分たちの内側を見つめるきっかけを作ることだ。 -
1965年、インドネシアで大規模な赤狩りがあり大量虐殺が起こった。実行したのは軍ではなく無法なヤクザ者達。彼らは罪を問われることなく、その土地の名士になったりしている。当時の様子を今も自慢げに語る彼らに、拷問と虐殺の様子を演技で再現したもらったらどうなるのか?というノンフィクション映画。
もう、なんて言っていいのかわからない。何もかも胸糞悪い。映画の出来がどうこうではなく、実際に起こった出来事が。その出来事を演技する彼らが。吐き気がするのはこっちのほうだ。
こいつら全員殺したいと思った。それが観た直後の新鮮な感想。でもそれでは奴らと同じ側に立ってしまう。なんでこんなクソ野郎どもがのうのうと生きてるんだ?こんな最悪な気分になった映画は初めてかもしれない。観た後に落ち着いてから、罪悪感、教育、正当化、イデオロギー、正義、集団心理、マッチョイズム、不公平、不条理、ヤクザ、税金、権力、国、この世の成り立ち・・・といった言葉が頭に浮かんだ。悪夢のような映画ではあるけど、この世の成り立ちについて考えさせられる。昔から、そして今もどこかで似たようなことが起きているんだろう。しかしその醜悪さをこんな形で見る機会は今までなかった。傑作かもしれない。
どうしても殺される側や残された側に感情移入してしまうが、しかし自分が殺戮者の側だったら?彼らと同じように罪悪感を持つこともなく、自分を正当化して何食わぬ顔をして生活しているかもしれない。そしてまさかとは思うが、もしかして彼らに感じる憎悪は、「自分達が法律だった」と言い、こんな酷いことをしても裁かれない彼らへの嫉妬の裏返しではないか?無法な強者への憧れなのではないか?と想像すると本当に恐ろしい。 -
47人目のインタビューで出会ったというエピソードは、本気度を感じた。
きちんとやすりをかけた癖のないドキュメンタリー、完成度はすこぶる高い。そして切り口が極めて斬新。
構造の悪を抱えるのも結局は個別具体的な個人なのですね。。