小僧の神様 他十篇 (岩波文庫) [Kindle]

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  • 申し訳ないが、短編「流行感冒(1919年3月発表)」のことしか書かない。これが、直近のパンデミックであるスペイン風邪を扱った日本文学史上2つしかない作品のひとつだからである。同じ白樺派でも、武者小路実篤「愛と死」とは、全然違う素晴らしいものであった。

    同じ金持ちのボンボンなのに、どうしてこんなにも細やかに生活を描けるのだろう。前者はほぼ創作だったが、こちらは本人曰く「事実をありのままに書いた」(あとがき)らしい。「この小説の左枝子という娘の前後二児を病気でとられた私は、この子供のために病的に病気を恐れていたのだ」(同)らしい。

    1918年秋、流行感冒(おそらくスペイン風邪)が、千葉県の(田舎の村と言っていい)我孫子に近づいた。主人公は、医師が勧めるのに運動会に娘を行かせない。お陰で感染者は多く出たらしいが、家の中は免れる。女中を町にやるときでも、店で無駄話をさせない。芝居興行にも行くことも禁じた。‥‥ここまでは、志賀直哉自身は「私は暴君なのかもしれない」と書いているが、現代の我々からすると全く正しい科学的な対応だと言わざるを得ない。流石、志賀直哉は知識階級である。むしろ、嬉々と運動会や芝居をみる我孫子村民の方が非常識なのだが、専門書を読むと、日本全国そうだったから42万人もの人々が亡くなったのである。我孫子では、この小説内では300人規模の製糸工場でクラスター感染が起きて4人亡くなったらしい。

    小説構成は、厳しく禁じていたのに、芝居興行に女中の石が「嘘をついて」出かけたことから展開される。主人公は石に暇を出そうと決心するが‥‥。

    石のせいではなく、結果的に主人公がインフルエンザに罹患すると、次々と家族が罹っていくのであるが、石という大人になり掛けの少女の胸の内が一切書かれていないのにも関わらず、ありありと想像できるように描かれていていて感心した。

  • コロナ禍が無ければ、本書を再読することはまずなかった。カミュの『ペスト』が読まれているというニュースを耳にした際、「確か志賀直哉の作品に、スペイン風邪の流行時の世相を下敷きにした小説あったよなぁ…」の記憶を頼りに検索。

    ありました、その表題もズバリ『流行感冒』。とは言え、引越しの度に本を処分してるので手元にはなし。よって再購入。大学の時以来の30数年振りの再読。

    最初の子を病で死なせてしまった主人公の私。それゆえに娘 左枝子の健康には異常なほど気を遣う。厚着は当然のこと、感冒が流行れば運動会に連れていかないようにするなど、細心の注意を払う。その用心は娘以外にも及ぶ。例えば、女中が町へ行くと聞けば、用事が済めば直ちに戻るようやかましくいう。年に一度の家族総出の芝居見物も自粛。にもかかわらずその女中は禁を破り芝居見物へ。私は不審に思い、(芝居に)行っただろうと問い質すも、頑として認めずシラを切り通すが嘘が露見。私は暇を出そうと決める…。折しも、あれだけ細心の注意を払っていたのに、家に感冒を持ち込んだのは何と私自身。家族が順に病の床につく中、その女中だけは罹らず、献身的な看病・嫌な顔ひとつ見せずに世話を尽す働きを見せる。あの時、彼女を首にしなくてよかったとつくづく思うに至る…。

    本書はパンデミックに恐れおののく話ではなく、流行性感冒対策をめぐっての家庭内の一悶着を描いた小説。

    スペイン風邪がひたひたと押し寄せる中、「私は暴君なのかもしれない…」と思いながらも家長として口やかましく注意喚起を行い、用心の上に用心を重ねる。所謂「ステイホーム」の周知徹底に努める私。そんなこと意に介せず嘘をついてまで芝居見物に出かける女中。このコントラストの効いた構図は現代にも当てはまる。

    その他10篇の小説も面白く読んだ。
    『小僧の神様』は極めて落語風、『范の犯罪』は法廷ミステリー、『赤西蠣太』は伊達騒動を下敷きにした時代小説、『好人物の夫婦』は浮気性の夫と貞淑な妻の間で起こる女中の妊娠発覚をめぐっての葛藤をユーモラスに描く。かつて日曜日晩9時「東芝日曜劇場」いかにもがドラマ化しそうな題材。

    志賀直哉の短編に共通するのは、起承転結の「結」に特徴がある。落語でいう『サゲ(オチ)』をあえてストンと落とさず、読者にカタルシスを与えない。寸止めで終える。そこにはしてやった感とかドヤ顔がない。読者によっては、そこに物足りなさを感じ、「ええッ、こんな終わり方してええのって思うほど複雑な余韻が残る。僕も、誤読してないよな⁈って思い、ページを繰ったことが幾度となくあった。

    僕はそこに「モダンさ」を強く感じる。『小説の神様』と称せられる著書であるが、川端康成や三島由紀夫のような流麗な文体ではない。むしろ硬質かつ端正な文体。ゆえに小気味よく、そこはかとなく色気が立ち昇り、巧みな写実性のある情景描写が想像力を喚起する。

    ほとんどが大正時代の話ながら、現代小説を読んでいるら錯覚をするぐらい『普通に面白く、粒揃い小説集』…というのが30有余年ぶりの再読したぶっちゃけた感想でありました。

  • 『流行感冒』を読みました。
    人の悪い面を見れば、その人が嫌いになり、人の良い面を見ればその人を好きになる。
    見方次第でその人に対する感情が変わってしまう。
    確かにそういうことってあるよなぁ…と共感しました。

  • コシがあり喉越しよい素麺を腹八分目まで食べて、とても満たされたような読後感。

    「焚火」を何度も読んでしまう。

  • 良い意味で教科書的な作品集。事実を重ね短く分かりやすくさっぱりとした文章は明瞭かつ心の機微が丁寧に書かれ、文体には癖がなくさらさらと読み心地良し。人の気持ちを想像させる余白を残す書き方はお手本のよう。特に表題作のメタ表現が印象的。こんなふうに書けるようになりたい。

  • 良かった。
    「城の崎にて」が特に良かった。

  • ”小僧と神様”の冒頭から最後まで 上手すぎる。つぎが”正義感” ぽっくりが転げて女の子も転げる。ここが鉄道工夫の話を聞いたままなのでひどくリアル。  だが工夫は、運転手では無いからサイドブレーキは本当に引かなかったのか、坂道故に利かなかってのか、わからない。 絶対にはないだろうと、やたらひっかかって、工夫の怒りが空回りする。 城崎にては、鼠のところで無理。あるままの形をより実際的にとらえようと耽美さを排除しているように見える。  全く話違うが、、ほんとう(本統)って書きすぎ・・志賀直哉が描くのが、心象風景として なら 宮沢賢治は志賀直哉が好き? 

  • 素晴らしい描写力。

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著者プロフィール

志賀直哉

一八八三(明治一六)- 一九七一(昭和四六)年。学習院高等科卒業、東京帝国大学国文科中退。白樺派を代表する作家。「小説の神様」と称され多くの作家に影響を与えた。四九(昭和二四)年、文化勲章受章。主な作品に『暗夜行路』『城の崎にて』『和解』ほか。

「2021年 『日曜日/蜻蛉 生きものと子どもの小品集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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