無私の日本人 (文春文庫) [Kindle]

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  • 文藝春秋
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感想・レビュー・書評

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  • 以前見た映画の 原作本と言うので読んでみました。
    江戸時代を生きた 三人の評伝という事です。
    その三名は
    穀田屋十三郎  武士にお金を貸して その利益で村を豊かにした。
    中根東里    日本一の儒者。
    大田垣蓮月   歌を詠み焼き物を作った。

    本の半分は穀田屋さんの内容でしたが
    映画と殆ど変わらず この本を忠実に映像にしたのですね。

    中根さんは 勉強が大好きで 飲み食いよりも
    読書が好きという人でした。
    頭がいいので 仕官の仕事をと言われても 仕官よりも 勉強がいいという事で 収入ない生活を選ぶ。
    流石に飢えたので 下駄売りをやった。
    本を読みながら売ってる変わり者がいるという事で
    ぼちぼち売れていった。
    長屋に住んでいた時に 今でいう幼児虐待の現場を見ながらも何も出来ない自分。
    気力なくなって 手にした王陽明の本。
    それから 人に質問されれば答えるというようになり 講義を開くようになる。
    その後小さな庵で教えをしながら生活したそうです。

    大田垣さんは 両親の家は良かったけれど
    数奇な運命をたどってしまいました。
    好きな 勉強や 鍛錬を怠らず 大人になったけど
    不幸な結婚をしてしまい、その後は苦難の日々でした。
    綺麗な人の 悩み。 未亡人になった時
    やたら 迫ってくる男性が多かった。
    醜くなれば 来ないだろうと 
    眉毛を抜いたり、歯をぬいたりしたけど 成果があがらなかった。
    焼き物に出会って 焼き物をやると 手がくたびれる。
    当時は 手が綺麗なのが 美人の特徴の一つだったので 喜んで 焼き物をやった。
    歌を書いたものを売ったので 段々売れ始めて
    ニセモノも出始めたけど 怒らず ニセモノの業者にも 歌を書いたお手本を分け与えたりした。
    命の大切さを思い 国内の戦争がなくなるように祈り 西郷隆盛さんへ 歌を送ったりした人だそうです。

    私たちの目に触れていない人でも
    各地に素晴らしい人が いたものですね。

    穀田屋さんたちは 自分達の財産を手放してまで
    地元の宿場が潤うようにと 命をかけて 活動したのに 今の政治家さんたちは どうなのでしょうね~~~

  •  仙台に近い貧しい宿場町で、滅びゆく町を救おうと9人の有志が立ち上がった。金を集め、それを領主に貸して利息をもらい、それを町再建の資金にしようというのだ。今のように自由にモノ言える時代ではなく、そんな御上(おかみ)に盾突くような計画が事前に漏れると命さえ危ない。彼らは自分たちの命より町と子孫の存続だけを考え、断腸の思いで資産を提供し、大肝煎(きもいり)にまで談判に行く。相談された肝煎や代官は好意的。無私の彼らに感動し協力してくれるが、ただひとり出入司の萱場杢(かやばもく)という仙台藩の実権を握る大物が、鋭利な頭で邪魔をしてくる。結局、ない金をさらに絞りだしてやっと藩から利息をもらえるようになった。
     歴史家が書いた真実に基づく小説。江戸時代のしかも東北の無垢で純粋な人たちの感動的な作品だ。社会主義日本国の良くも悪くも従順で一途な国民性をがよくわかる。この国民性が後に明治維新を産み、昭和の太平洋戦争へと突入するのだと作者は言う。その後、資本主義の参入で日本は大きく変わることになるのだが。
     ここに登場する酒屋穀田屋は令和の現在もなお営業を続けている。ご子孫の高平さんはあまり多くを語られないので、なぜかと問うと、「いえ、昔、先祖が偉いことをしたなどというてはならぬと言われてきたものですから」と恥ずかしそうに答えたという。合掌。
     それにしても磯田先生、文章力ありすぎるよ。ぐいぐい引き込まれる。しかも随所にうんちくを差し込んでくれるし。読んでて楽しかった。
     

  • 日本史とかでは出てこない、3人の人物についての評伝。小説のように書かれていて、臨場感があった。磯田氏というと学者さんだと思うけど、小説仕立ての文章にも不自然さはなく、文章のうまさを感じられた。映画『利息でござる』は知っていたけど、中身はよく知らなかった。コメディかと思っていたら、実話でかつかなり奥行きの感じられる話だ。いや、本書に出てくる人たちは、いずれも自分の栄達や利得を願わず、大切だと思うことに向けて生き切った人たちと感じられる。あれこれ思うことの多い世相ではあるけれど、言っても始まらないことを言うよりも、どうしたらいいか、知恵を絞って自分の行動すべき道筋を進んでいきたいと思えたね。

  • あとがきを何度も何度も読む。
    浅野屋甚内の遺言、息子穀田屋十三郎の活動、ご子孫高平和典さんの姿勢に感動。

    まさに史伝文学。背景の説明・推測から、今と地続きの感覚をつかめる。良くも悪くも「当たり前」は長く続くんだな。これからはどうなるだろう。

    別のインタビューでこれからは「"楽しく"おおやけに参加する」というようなことをおっしゃっていて、つながった。

  • 磯田道史ファン

  • 2022年2月10日に磯田氏の母親から横屋さん経由でいただいた。
    3月27日に読了した。

  • 「穀田屋重三郎」「中根東里」「大田垣蓮月」の三編を収める。
     「穀田屋」は「殿、利息でござる!」という映画になった。
     映画を見たとき、千両献金して年一割の利息を永代払ったら損することぐらい、藩の役人にわからないわけがないのに、と不思議だった。この本に拠れば、年利一割は当時の相場で、しかも他の宿場には貸し付け金の利息ではなく宿場業務の負担金としてそれくらいの金額が払われていたとのこと、納得した。
     穀田屋が子孫に、先祖がやったことを誇るな、しゃべるなと言い残したこと、まったく敬服する。こういう価値観に殉じた人々がいたのだ。

     大田垣蓮月は、司馬遼太郎がどこかで書いていたと思う。照らし合わせるとおもしろいかもしれない。どこに書いていたのか? 勘違いか?

  • 実話というから驚き。江戸時代の庶民のレベルが高すぎる。

  • 本当に読んでよかった本

  • 穀田屋十三郎 、中根東里、大田垣蓮月の三人の市井の人(?)の史伝である。森鴎外著作の史伝(?)も併せて読んでいたので興味深かった。特に仙台藩の江戸時代の様子が二つの視点から読むことができた。中根東里については、このような生き方もあるかと自分の日頃を考えると反省すべきところが多くある。大田垣蓮月は、以前上村松園の「大田垣蓮月尼のこと」を読んだので別の視点があることもわかり面白かった。
    ○いわゆる町場の「 草臥れ」である。
    ○領内で参勤交代 をやっている。
    ○この心は種である。果てしない未来を拓く種である。
    ○江戸時代は、徒党 というものが、蛇のごとく嫌われた。
    ○大肝煎とは、他藩でいう大庄屋のことで、百姓のなかから選ばれる村役人としては最高の役職であった。
    ○徳川時代の武士政権のおかしさは、民政をほとんど領民に任せてしまっていたことである。その意味で、徳川時代は奇妙な「自治」の時代であったといっていい。
    ○養家督は、跡取り養子であり、営業上、店の身代を受け継ぐために、この穀田屋にきたにすぎない。
    ○学があるというのは、漢文で読書ができ、自分の考えを文章にまとめることができる、というほどの意味だが、これができる人口は、意外なほど少なかった。  
    ○その根っこの土地土地に「わきまえた人々」がいなければ成り立たない。
    ○江戸時代の奇妙さは、国家の大権であるはずの通貨発行の実務を、国家みずからが行わず、ちまたの商人にゆだねたことである。
    ○「なにをするにも、天の与え、ということがある。天の与えをとらねば、かえって、わざわいをうける、というではないか。」
    ○熊野牛王符とは、起請文の用紙である。中世以来、この国では、神かけてものを誓うときには、この紙に約束ごとを書くことになっている。熊野牛王符に書いた誓いをやぶれば、どこかで鴉が一羽死に、熊野権現の怒りによって、誓いを立てた者は、血を吐いて死ぬ。
    ○屋敷にいってみると、小さな門を構えており、侍の格式を示していた。話すときにも作法がある。武士である大友は、敷居をへだて、むこうの上座にすわる。十三郎たちは下座にかしこまった。
    ○江戸人は庶民にいたるまで、体面 というものの占める割合が著しく高かった。身分というものがあり、人がその身分に応じた行動をとる約束事で成り立っていた社会である。
    ○室町時代までは、家の墓域を持つことはおろか、墓に個人の名を刻むことさえ珍しかったが、江戸時代になると、「誰が墓を守るのか」が問題になり、「墓を守る子孫」の護持が絶対の目的となった。
    ○百姓にとって、なにより恐ろしいのは、無高の水呑に落ちることである。身売りとなることである。ご公儀の田畠を名請けして御年貢を納めておればこそ人間とみなされる。田畠、屋敷を失って水呑となれば、身を売って他人の奉公人となって借財を返しながら喰うていくしかない。
    ○侍社会は個人ではなく、かならず、複数の人間で物事をきめ処理した。小さく、うすい権限をもった人間が、そこら中にいて、誰がきめているのか、よくわからない。
    ○財政担当の出入司だけが独断で藩士に褒美を与えることができた。ただし、その額は三両まで、と決まっている。
    ○(富となるか、貧となるかは、ただ、一つのことで決まる) と、萱場は思っている。 (利足をとる側にまわるか、取られる側にまわるかだ)
    ○徳取勝手
    ○古来、心ある者には才知がなく、才知ある者には心がない、といわれる。心あって才知なき橋本は、才知あって心なき萱場に見事にしてやられたといってよい。

    ○「詩文において中根にかなうものはおらぬ」
    ○不世出のこの詩人は、みずから作るところの文章をとって、ことごとく 竈 のなかの火に投じてしまっていた。
    ○日本で唐音を学べるところは二ヶ所しかない。ひとつは唐人屋敷のある長崎、もうひとつは、宇治の 黄檗山 萬 福 寺 である。  
    ○僧籍にあって書物を読むなら、ゆるい宗派がよい。いうなれば、浄土宗 である。
    ○「孟子」の浩然の気の章「あえて問う。何をか浩然の気と 謂う。いわく、言い難し。その気たるや、至大至剛。直をもって養いて害することなければ、天地の間に 塞がる……」
    ○「昔、 婆子あり、一庵主を供養し二十年を経たり、常に一人の二八女子をして飯を送って給侍せしむ。一日女子をして主を抱かしめて曰く、正に恁麼の時如何 と。主曰く枯木寒巌に倚る三冬暖気無し。女子婆に挙似す。婆曰く我れ二十年祗箇の俗漢に供養せしかと。 遂に遣出して庵を焼却す。これ如何」老婆がいて、ある修行僧に庵を結んでやり二十年間世話をした。いつも若い娘に給仕させていたが、ある日、修行僧にその娘を抱かせようとした。娘に抱きつかれ「ねえ、こんなのはどう」と誘われた修行僧は「わたしは岩の上の枯れ木のようで暖かみはない」といい、娘をはねつけた。それを聞いた老婆は「わしは二十年もこんな俗物僧を養っていたのか」といい、ついに追い出して、庵も焼いてしまった。
    ○細井広沢「ああ、これか。交友帖じゃ。書は心を画くという。不潔の友とまじわれば、心が汚れて、美しい書はかけぬ。」
    ○細井の思惟のひろがりは広大であり、これに比べれば、荻生徂徠など遥かに小さいかもしれなかった。
    ○「わしは技を暮らしのたづきにせぬときめた。『技をもって道とし、道をもって技となす』。その生き方に徹したいと思うておる」
    ○加賀百万石は、その富力でもって、国内外の珍書典籍を買いあさり、彼一流の目利きでもって、人もあつめた。
    ○「強項にして屈せず、縝黙 にして競わず、能く磨涅の中に処して、更に淄磷の損なし 文辞に拘泥して、詩を失ってはならん。詩は辞に 拘われば、理屈に落ちて品なし、情に発すれば、意志を含みて品あり。このことを覚えておいてもらいたい。情に発した詩は天の意志に通じ、万人の心をうつ。人として生きて、詩をのこすほど崇高で美しいことはない」
    ○江戸期に入ってもその名残りがあり、信心深いものは門前で履物を買いかえる。そのため、社寺の門前では履物が売れた。
    ○「この指の案内によって、まなざしを転じなければ、このむさ苦しい長屋の中しか、われわれは見ることがない。そこが自分の天地だと思ってしまう。しかし、指の先をたどれば、そこには広い空があり、美しい月がある。聖人君子のことばは、われわれを美しい月に案内してくれる指のようなものだ。わたしたちはただ、ひたすらに月をみればよい」 「無益の文字を追いかけ、読み難きをよみ、解し難きを解せんとして、精神を費やし、あたら光陰を失ってはいけない。わたしも、あやうく、指をもって月とするところであった。四書五経は指にすぎない。大切なのはその彼方にある月だ」 ──月を見るものは、指を忘れて可なり
    ○「人は天地の心である、ということを考えてください。天地万物と自分は、もともと渾然一体のものです。どこかの、生きとし生ける民に苦痛があるとするなら、その痛みはすべて自分が痛んでいるということなのです。自分のような人間も、動物も、草木も、天地から生まれて、やがては死んで、天地に消えていきます。もともと同じものなのです。この境地に立って考えれば、もともと、この世に他人事というものは存在しない」
    ○人をきちんと育てたり、戦いをとめたり、乱暴を禁じたり、 虐めをなくしたりするのは、ほんとうはちっとも他人ごとではなくて、自分のやまいを治しているようなものですよ」
    先生、人に教うるに実を先にし、名を後にす。近き譬を能くし、人をして暁り、易からしむ。

    ○関ヶ原合戦時に甲賀者を束ね家康を勝利に導いた山岡道阿弥の墓も、知恩院の山内にある。
    ○ただ今、思える事を、自分の言える詞でもって「ことわり」の聞こえるように言い出す。これを歌という。
    ○歌とは、素直なる心にかえる道である」
    ○「いくらでも好きなことをやるがよい。会いたい人には会っておけ。見たいものは、どこまでも行って見よ」
    ○「命は大事にせねばいけませぬぞ。長生きをして、世のため、人のためになるべきことを、なるべきようにして、心静かに気長に暮らさねばなりません」
    ○「喜捨に頼らず、自分で食べる分は、自分でつくりだす」
    ○「老尼は泥をひねりて土器は売れど、風雅は売らぬ」
    ○「あの人は清濁あわせ呑むところがあって、人物が大きかった」などという人がいる。それは、はっきりまちがっている。

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著者プロフィール

磯田道史
1970年、岡山県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程修了。博士(史学)。茨城大学准教授、静岡文化芸術大学教授などを経て、2016年4月より国際日本文化研究センター准教授。『武士の家計簿』(新潮新書、新潮ドキュメント賞受賞)、『無私の日本人』(文春文庫)、『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、日本エッセイストクラブ賞受賞)など著書多数。

「2022年 『日本史を暴く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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