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感想・レビュー・書評
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『一九八七年(昭和六十二)八月、大谷石之丞は他界した。享年八十二だった』ー『忌み数』
赤石川、鯵ヶ沢。卒業論文のフィールド調査で分け入った懐かしい土地の名前が、著者の綴る物語の風景の像となって蘇る。あの沢の奥でそんなことがあったなんて。そんな感慨を抱きつつも、自分が営林署の許可書を携えて山に入っていた頃に接した自然は、すでに近代化の手が入っていたものだったから、ここに出て来る話は祖父の代の話なんだろうと勝手に思っていた。最初に明治時代の八甲田山の話から始まったことも、その印象を根付かせた要因だ。それ故に、この日付が出てきた時には軽く驚いた。それは自分が沢に入っていた時点より新しい日付だ。
大童子川。その支流のほとんどには足を踏み入れた。マタギと違ってこちらはクマを避ける為の鈴を鳴らしながら。爆竹を鳴らしてクマを追い払うという研究者も当時いたが、それではクマを別の沢に居る人の方へ追いやることになるので却って危険だという「教え」を守って自分はやらなかった。それでも露頭で野帳を付けている時など音がなくなる。「だから煙草を吸うのもプロとして必要な事なのだ」と言っていた亡くなった上司の言葉をふと思い出した。身体が濡れても煙草が駄目にならないように、ビニールの袋に喫煙道具一式を入れ、胸ポケットに入れるというのが先人の知恵だったっけ。
当時、白神山地はまだ世界遺産に登録されてはいなかったが、スーパー林道建設をめぐる社会問題は有名だったし、砂防ダムが幾つも出来ていてその為の林道もあり(そのお陰で調査もし易くなるのだけれど)、本書に出て来るようなマタギの人達の活動は身近なものではなかったように記憶している。とは言え、営林署では一般的な注意事項で「クマ」の話も聞いたし、小動物の痕跡はあちらこちらで見かけたから、山の生命力は十分にあったんだろう。
変な話だが、山の中でクマに怯えつつも、一番難儀したのが地元の人との邂逅だった。時折、山菜採りに来た人たちとすれ違うのだが、あちらにしれ見れば妙な格好をした若い者が人の入らないような山に入っているので「何しているのか」と当然聞きたくなる訳だ。ところが年配の地元の人たちが繰り出す津軽弁は容赦がなく、何を言っているのかがよく分からない。仕方なくこちらから一方的に状況説明をしている内に何となく納得してもらって「それじゃ気を付けて」と無罪放免になるということが何度かあった。
一度だけ、山菜採りをしている訳でもないお爺さんに会ったことがあるのを、ふと思い出した。あれは歩測で把握している筈の場所がどうも沢の地形と合っていないなと思って尾根に上がった時だった。尾根の木陰にそのお爺さんは座っていたのだ。大概の人は興味本位でこちらの人物検証をするだけだが、そのお爺さんは穏やかな表情ながらも少し真剣な様子だった記憶がある。何だか「営林署のナントカ」と言っているようだったので許可書を見せたのだった。
そんなことはそれ一回だけだったが、今思うとあのお爺さんは元マタギだったのか。遠くにあると思っていたものが急に目の前に現れたような、忘れていた記憶と知らずに素通りしていた現実が急に重なり合うような、不思議な思いを抱く。何十年も過ぎた頃になって、そんなことをぼんやりと思い返す本。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
マタギにまつわる小噺集といったところでしょうか。
小説や専門書とは違う、生きた人間が語る話としての熱や息遣いを感じた。
実際のところはどうあれ本人としてそう感じたある種の真実を落とし込んでいるのだと思う。
マタギという生き方がもはや出来なくなってしまった。自然との向き合い方やその一部としての狩猟、熊といった要素はこうした本の中にしか無くなっていくのだろうか。 -
短編集だが、マタギ用語の解説も丁寧で、それでいて各話しっかりオチもついているので、ふしぎな伝承や民話が好きなら楽しめる。入門に最適な良書。
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短編が続く話なので、通勤時に読むのに最適でした。
読む前はマタギ=ハンターみたいなイメージでしたが、読後はその感覚は誤りだったと反省。
今だと験担ぎ、ジンクスといった形で考えられることも多いかもしれませんが「ひょっとしたら本当にあるのかな…?」と、考えさせられることも多分にあり、読んでいて面白かったです。 -
八甲田山の話があまりに酷くて印象に残った。死んだふりや人間を回避しようとする熊の賢さには驚くばかり。掟破りの罰の話も興味深かったです
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信じるか信じないかは、貴方次第です…な、ほんのり不思議なマタギの体験談や言い伝えのお話。
奥州のほうのマタギたちに実際に聞いた話を編纂した短編集。山の神様を敬う姿勢、ターゲットである熊の捕獲に対して定められたルールなど、自分の全く知らない世界を垣間見るようなお話が散りばめられていた。かの有名な八甲田山の雪中行軍に別隊が存在したこと、そこにマタギが参加させられていたこと(ということは常態的に山案内をさせられることもあったのだろう)など興味深いストーリーから始まり、最後はマタギであったおじさんとその犬のしんみりしたお話で終わり、バラエティに飛んでて面白かった。
筆者はもともと物書きではないのだろうか、同じような表現が繰り返されるなどして読書の勢いを阻害するタイミングがしばしばあり、ちょっと読みづらさを感じていました。読み物としては好き嫌いが別れるかも。。。
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マタギたちが経験した山での不思議な経験を、長年にわたって取材、書き下ろした実話譚。
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さほど長い著作ではない。
著者が数年にわたり、東北地方の各所にちらばるマタギたちから聞いた話をまとめたものだ。
歴史から風土、マタギの掟、猟のやり方などなど、内容は必ずしも整理されているとは思わないが、随筆的に書き表されたそれらの断片が渾然として読者を引き込むものとなっている。
東北各所と書いたが、漠然と、白神と呼ばれるエリア……と言い換えた方が良いのかもしれない。
古代から、日本には「山の民」が存在した。
実に、昭和の始めにいたるまで、存在したのだ。
彼らは、厳密に言うと、日本の国民ではなかった。
なぜかというと、彼らは定住せず、戸籍のない人たちだったから、古い言い方でいうと、天皇の臣民ではなかったわけだ。
この中には、採鉱師、木地師、山伏などが含まれるというが、マタギもその一部である、とみることもできる。
とはいえ、ここに登場するマタギは、半農半猟の形で定住している人たちなのだが。
最後の方に登場するマタギの老人が著者に漏らした言葉が感慨深い。
それは、環境保護というと地図上で線引きをして、人を立ち入らさないようにするという事だと思っているようだが、それは違う、という言葉。
確かに、(おそらくは西洋から輸入された価値観で)狼を害獣として絶滅させてしまった今、日本各地で鹿が増えすぎて困っている、という現状がある。
過度な狩猟の規制も、大きく影響しているのかもしれない。
熊が年々、里へよく下りてくるようになったのも、あるいはそのせいなのだろうか。
思えば、一定以上人間が関わってきた土地では、人間の存在もまた環境というシステムの一部になっているのではないだろうか。
たとえば里山はある程度人間が手入れをしなければならないし。竹林もそうだ。
確かに、やみくもに立ち入り禁止にすればいい、狩猟禁止にすればいい、というものでもないように思える。 -
苔は踏まない、キノコは採り尽くさない、一度の狩で熊は3頭まで——。SDGsなんて単語ができるはるか昔から、山や自然との持続可能な関係を続けてきたマタギが語り継いできたオキテや昔話。
冒頭から興味深い、八甲田山で暗躍していたマタギたちの悲劇が書かれていました。
八甲田の軍隊遭難の話って、どうしても無事に生還した弘前隊が賢者として描かれがちだけど、実はその行軍を支えていたのは地元のマタギの犠牲ありきだったという事実が衝撃的でした。
私は青森の八甲田山雪中行軍遭難資料館へも行きましたが、この事実は書いてなかったと思います。
マタギや山の怪異好きの他にも、最初の話だけでも八甲田山の話に興味のある人なら読んで損の無い内容だと思います。
北海道のアイヌや東北のマタギ、自然と共に生きてきた人々には、厳しいけど確かなルールがあって、それが自然と人間を共存させてきたんだと改めて感じました。
人間が食べ尽くしちゃったから、資源を使い尽くしちゃったから、今更ルール変更してこれから守っていこうなんて甘いルール、性善説ならまだしも、いろんな人がいますからね。難しいですよ。マタギの掟は奥が深い。
山の神様は女の人なので、不細工な魚の干物や、男根を見せると喜ぶというのが面白かった。
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タイトルからまた不思議系を創造して読んでみたらなんとも硬派な読み物でした。マタギの掟、現代では迷信として片付けられてしまうようなものも多いけど、自然を貪ってしまわず来年も、その先もずっと山の恵みが損なわれないようにという配慮が多い。弟が林業に関わっていて、山の神様の言い伝えを話してくれた時は驚いたけど、マタギの教えと重なるものもあり、きちんと継承されるところには継承されているなと思った。あとエベレスト探検に参加したマタギが秋田の山に毛が生えたものと思ってたら大きさに圧倒されたというエピソードすごく好き。