読書について 他二篇 (岩波文庫) [Kindle]

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  • 岩波文庫には、「思索」「著作と文体」「読書について」の三篇が収められている。

    「思索」の冒頭に書かれている次の言葉は、著者の考えをシンプルに表現した言葉だろう。

    「いかに多量にかき集めても、自分で考え抜いた知識でなければ、その価値は疑問で、量で断然見劣りしていても、いく度も考え抜いた知識であれば、その価値ははるかに高い」

    そういうところから、著者は決して「読書」を手放しでは勧めない。

    巷によくある「読書」本は、「どうしたらたくさん本が読めるか」とか、「自分はこんな本をこういうふうに読んで来た」といった類の本がほとんどである。

    しかし、著者に言わせれば「多読」はバツ、また他人の本の読み方などどうでもよいことのようである。

    「思索」=すなわち自分の頭で考えることが大事。「読書」はただ他人の考えたことが自分の頭に流れ込んでくるだけであり、むしろ「思索」にとって「読書」は有害であるいう。著者の言葉を借りれば、「読書は自分の頭ではなく、他人の頭で考えること」である。

    ではまったく「読書」は不要かというと、そうではなく自身の「思索」をより深く良質なものにするためには、良書を選んで読むことが重要だと述べていると思う。

    著者は、「悪書」とか「悪書」を書きなぐる作家を徹底的に嫌悪しこき下ろしている。

    「悪書」は読者の金と時間と注意力を奪い取るものだといい、精神の毒薬、精神に破壊をもたらすと手厳しい。

    自分自身のために思索をめぐらし、自分として主張すべきものを自分自身の中に持っている者こそが真の思想家と呼べるべき人物であり、そのような人物の著書は読者を鼓舞させてくれ、養分を与えてくれるという。

    これに対し、世間から思想家と思われたいとか、名声や金のために書いている作家は、ソフィストであるとして嫌悪の意を呈している。

    他人の書の概説書の類は、他人の著書の原形を損なうものである。他人の文体を模倣する者は、仮面をつけた人間同然だと。また、名乗らずに言いたい放題の「匿名」ということについては、徹底的に廃止せよと訴えている。

    ルソーの「新エロイーズ」の序文「名誉を重んずる人間はすべて、自分の文章の下にはっきりと署名する」という言葉を引用して。

    総じて、著者は「古典」を読めと述べている。
    「人生は短く、時間と力には限界がある」という言葉のインパクトは強い。

    こうしてショーペンハウエルを読んで、また自分なりに「読書」というものがどういうことなのか、を自分なりに考えてみよというのが、著者の主張であろうと思う。

  • 読書にどっぷりはまったころに読みました。
    このほかにも、読書の仕方、読書の方法、読書の意味など、こんなに本を読む時間に時間とお金を使うことが、無駄ではないのかと、考えたとき数冊そいうい本を読みました。どれもこれも、参考になったので、読むことが好きな方にはぜひたちどまって読まれるのも面白いかと思います。
    ほかそのとき読んだ本も本棚に入れました。
    そして、私なりの結論は、読みたいように読む笑
    そして、無駄な時間ではない!
    そして、今も悩むのはよんで共感して、身につけたいと思ってもなかなか身につかないこと。
    でも、本の全部じゃなくても、本当にここってところはふとしたときに、あんなこと書いてた本があったよなーくらいに思い出されたとき、読んでよかったと思うし、あまり、再読とかしないけど、新しい本が次々よみたいので、、、同じような物にであうこともあるし、それを感じられるのも少しは残ってるからと信じてます。

  • 思索・文体・読書について三篇で構成されており、どの篇も難解すぎるものではなく、短いので非常に読みやすい。
    本書を通じて特に心に残った個別要素は2点。

    1点目は、文体は所詮、思想の影絵に過ぎず、書き方が不明瞭か拙劣であることは、考え方が曖昧または混乱しているかのいずれかであること。分かりにくい難解な言葉で表現しようとするのではなく、具体的な表現で書くべきである。「普通の語で非凡なことを言うこと」が理想である。

    2点目は、多読は自分でものを考える力を失わせること。読書というのは他人の頭で考えてもらうことであり、自分の頭で思索することができなくなってしまう。多読はさまざまな思想を自身の精神に押し付け、精神から弾力性を奪い去ってしまう。

    個別では以上が気にかかった。また全体を通しての主張で、最も気になったことは、現代(当時19世紀)の大量に生産・消費される書籍は敬遠すべきで、古典を初めとする真なる書籍に取り組むべきということである。
    前者は悪書が多く、金のために書かれた作品が多いため、精神に悪影響が出る。一方後者は真に文学のために書かれており、真に私たちを育て、啓蒙する。
    21世紀の現代ではより顕著にその傾向が見られると思う。著者と読者の壁がどんどん薄くなり、筆をとる者も以前に比べてかなり多い。その結果大量の書籍が産み出され、大半が悪書であろう。そういったなかで良書を読むための条件は、悪書を読まないことだという。悪書は大抵数年で淘汰されることから鑑みるに、100年・200年以上読まれている書籍に真に取り組むのがよいのかもしれない。

  • 1篇め「思索」
    全体タイトルからまさかの「読書批判」。
    同じ結論が得られるにしても、自分で考えた結果であるほうがずっと意味がある。
    読書は思索の代用品。だから多読はダメ。という要旨。

    3篇め「読書について」
    最近の流行りの本なんて読む時間があったら古典を読め、という話。
    できれば古典語(ラテン語?)で読め、とも言っている。

    残りの1篇は修辞についてなので、日本語で読んでもあまり面白くないのでパス。

    感想
    本屋に並んでいるほとんどの本がくだらないものに見えて、次に読む本を買わずに書店を出てしまいました。。

  • 自分の思索で獲得した真理であれば、その価値は書中の真理に百倍もまさる

    自ら思索する者は自説をまず立て、後に初めてそれを保証する他人の権威ある説を学び、自説の強化に役立てる

    大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。

    気取った文体は知的賎民の印である。

    無意味な、苦労して読むに値しない注意を長々と挿んだりすることは一切避けるべきである。

    真理はそのままでもっとも美しく、簡潔に表現されていればいるほど、その与える感銘はいよいよ深い。

    表現の簡潔さとは、真の意味ではいつもただ言うだけの価値があることだけを言い、誰でも考えつきそうなことには一切、冗長な説明を加えないこと、必要なものと不要なものを正しく区別することである。

    表現を明確、正確にする力、手段こそ、1つの言語に価値を与える

    前轍こそ表現を完全に明瞭明確にするためにも、したがって文体に真の簡潔さと力強い充実感を与えるためにも書くことのできない手段である

    厚皮動物の最高原則は、常に正当適切な表現を犠牲にして、どうしても代用品的な役しか果たせないけれども、短いことが取り柄の表現を選ぶということである。こういう原則を遵奉していると、言葉が生き生きとした表現力を失い続け、ついにはわけのわからない隠語ができ上がらざるをえない。

    重要な、内容豊かな思想、およそ書くに値する思想があれば、素材と内容が自然に溢れてくる。したがってこの思想を完全に表現するためにはどうしても文法、語句の細部に至るまで気を使った完璧な複合文章が必要である

    忌避される語に、その純粋な意味とは関係のないもの、すなわち事柄に対する心理的評価が加えられるのである。

    文章を読むには、理解力と判断力に訴えるのが当然

    巧妙な比喩を案出するのは、特にもっとも偉大な業である。他人から学んで比喩の達人になれるわけではなく、比喩の業は天才たることの証なのである。なぜなら絶妙な比喩を案出することは、事物に共通の類似した特性を把握することだからである。

    哲学において、まったく相反した事物の中に共通の類似点を把握するのは、鋭い洞察力の業である

    悪書は、読者の金と時間と注意力を奪い取るのである

    良書を読むための条件は、悪書を読まぬことである

    努めて古人を読むべし。真に古人の名に値する古人を読むべし。今人の古人を語る言葉、さらに意味なし。

  • 自分の頭で考えることが第一。
    そして悪い考えがめぐるようなときは、読書をするべき。
    「読書は、他人にものを考えてもらうことである。」

  • 分厚さとしては薄いが、3章立て。
    本を読むとバカになる、というような勢いで本読みを罵倒するところから始まるこの本は読者好きが敬遠してしまうかもしれない。しかし読み進めていくと、この時代は色んな本が乱立した結果、言葉の使い方がメチャクチャな本まで平気で出版されていたり、そういう状況に腹を立てていることがわかる。
    中でも匿名で文章を書く人と正しいドイツ語を使わず自由に省略して本を書く人への憎悪はすさまじい。この薄い本の何割を占めているだろうか。匿名文書に対してはぞんざいな対応でいい、とまで言い切っており、昨今のSNSによる誹謗中傷もこのスタンスを取れば大体は解決するだろう。そして匿名で本を出版させること、間違っているうえにちっとも美しくない文法を使う著者に本を書かせることが相当許せないらしく、これは編集者や出版社がヒヤヒヤするかも。しっかしそれにしても言葉遣いわるいな…翻訳者楽しんでたならいいけど…(笑)

    それと悪書を読むな、本を読むだけなのは著者の思考をなぞるだけで時間の無駄だから思考しろ、というのも何度も出てくる。本をたくさん読んだだけで偉そうな人にこの本を読んでもらったらどう思うかな〜と思考してみます。

  • 私があまり本を読めていない言い訳を代わりに書き記してくれている。

  • 私情入れ込みすぎじゃない?ってくらいの熱弁にちょっと笑ってしまった。固有名詞まで出してくどくど批評するあたりショーペンハウアーの人柄とても出てます。内容は現代にも通じるもので、読書は読んで終わりではなく読んだらアウトプットをすることが大事だとわたしは受け取りました。アウトプットを出すまでには必ず思索する過程があるはずだから。わかりやすい文章についても文法から厳しく語るだけあって、先生の著書はさすがに読みやすいです。これは翻訳の斎藤氏にも拍手を送らねばならないと思います!

  • 【オンライン読書会開催!】
    読書会コミュニティ「猫町倶楽部」の課題作品です

    ■2022年6月15日(水)20:30 〜 22:15
    https://nekomachi-club.com/events/483861aad690

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