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感想・レビュー・書評
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「ニーチェ自身によるニーチェ入門」と言うべき本書は発狂する直前に書かれたニーチェ最後の書にして自伝的作品である。破天荒なレトリックとその偽悪者ぶりに辟易する読者もいるかも知れないが、おそらくニーチェという人は恐ろしく潔癖なのだと思う。だから皮肉と韜晦なしにストレートに語ることができない。傲慢と言う他ない文体は自信の表れというよりむしろ羞恥心を包むユーモアとみた方がいい。そう考えれば「変人」ニーチェもぐっと身近に感じられるし、ほほえましいとさえ思えてくる。
キリスト教を奴隷道徳と言い放ち、隠蔽された怨恨(ルサンチマン)を暴き、あらゆる価値の転倒を企てる。だがニーチェの核心は『ツァラトゥストラ』の主題であり、本書でも熱く語られる「宿命」を愛せよというメッセージであるように思う。それは「他にあり得た自分」を理想とするのではなく、ありのままの現実を肯定し、欲することに他ならない。だから他人の不幸への同情は無用であるだけでなく宿命に対する侮辱に等しいことを知るべきだ。
ここで注意が必要なのは「宿命を愛する」という「思想」に帰依してはならないということだ。それでは奴隷の道徳と結局同じことになる。ハイデガーはニーチェを「最後の形而上学者」だと言った(『 ニーチェ〈1〉美と永遠回帰 (平凡社ライブラリー) 』)が、ニーチェ自身に対して不当な評価だと思うが、「ニーチェ主義者」に対してそれは全く正しい。あくまで軽やかに、舞踏するように、全てを受け入れるのがニーチェの流儀だ。その意味でも序言のニーチェの次の言葉は限りなく深い。
お前たちは自分を探したことがなかった。そこで俺を見つけた。
そんなものさ、信者なんて。だから信仰なんて、大したものじゃない。
さあ命令するぞ。俺のことは忘れろ。自分をみつけろ。
お前たち全員が俺のことなんか知らないと言えるようになったら、
お前たちのところに戻ってきてやる。
個人的には岩波文庫の格調高さも捨てがたいと思うが、そこは時代の流れ、趣味の範疇としておこう。一応参考までに手塚訳の該当箇所を引いておく。
君たちはまだ君たち自身を探し求めなかった。探し求めぬうちに私を見出した。
信徒はいつもそうなのだ。だから信じるということはつまらないことだ。
今私は君たちに命令する。私を捨て、君たち自身を見出すことを。
そして、君たちのすべてがわたしを否定することができたとき、
私は君たちのもとに帰ってこよう。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
さて、これが最後のニーチェになるか。
これ一番最初に読んだら良かったんじゃないか!?ニーチェ、大分ややこしい人だな。「永遠回帰」っていうのもまあわかるけど、そのまえに女性観も非常にめんどくさいこといってるし。目次を見よう。「なぜ私はこんなに賢いのか」「なぜ私はこんなに利口なのか」「なぜわたしはこんなに良い本を書くのか」…友達になれない気がする。
そして原文を読んでもさらにその思いを強くする。
ニーチェにおいて自分が同意できるのはやはり同情を否定するところだ。
あとは
”私をショーペンハウア-の所に連れて行ってくれたのは、無神論である。”
そうそう。こちらの方が気になる。これで4作品を読んで思うのはやはりアフォリズムに充ちたものは読みにくかった。こういうのが好きな人もいるんだろう。
ニーチェを読む順番としておすすめは
①『この人を見よ』 ニーチェが考えていることがわかる(ここで自分との距離を測ろう)
②『ツァラトゥストラはこう言った』 物語として「超人」と「永遠回帰」を捉える。力量が要る
③『道徳の系譜図』まだ論文調だからいける。
④『善悪の彼岸』読むかどうかはお任せ。
という感じがした。 -
ニーチェ最期の著書。
常軌を逸したニーチェの揺るがない信念が出まくっている本。
尖った男だ。 -
まだまだ古典をがっつり見る力は自分にはないかな。
名言集などのほうがありがたいかも。
もう少しレベルアップが必要だ。