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感想・レビュー・書評
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先入観を除いてコーランを素直に読み解くことでイスラム教の考え方を伝えてくれる書です。イスラム教徒にとっての「あたりまえ」と日本人にとっての「あたりまえ」の違いを思い知らされます。私が一番興味深いと思ったのは、第3章の終わりのベイビー・ジハードです。直接的なテロ活動ではなく、イスラム教徒を生み育て、長期的に人口を増やしていくことで地域をイスラム教に染めていく行動は、日本国民も知っておきたい動きです。
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3回読んで、ご専門の先生からはこんなふうに見えるのかという感想に至りました。
初心者向けのイスラム教の解説本ではないです。
どちらかというと時事ネタだと思います。 -
一般教養として読んでみたのだけど、今ってイスラム教徒が約16億人(世界人口の23%)いるのだそうだ。仏教は約0.49億人(世界人口の6.3%)。キリスト教徒についで圧倒的に多いのだ。そしてこのイスラム教の教義は西洋資本主義に相容れないということを理解した。衝撃だった。
わたしたちからしたらテロとされる殉教行為。これにより、生前善行は右の肩の天使に、悪行は左の肩の天使に記録されている人人生が、殉教により天国行きが確定。70人誰を天国に行けるようにするか指名できるのだという。
LGBTQ、女性人権問題からしてもイスラム教は独自の正解を持っており、それが揺らぐことがない。
自分が信仰する立場として考えると、悪くないことも多いのだ。なぜ生まれたのか→神の意志、なぜ生きるのか→神を崇めるため。宗教的な答えが全て用意されている。
日本人は他宗教であるので斬首対象なのである。
そしてイスラム法に忠実に教えるアズハル大学ではイスラム法からみて過激派と穏健派を分ける術が内在しないという。
時代に合わない、教義がおかしい、逸脱しているとかいうつもりはない。これが世界二位の宗教であり、現在も西欧から新たな入信者がいるという事実。これを知ることが大事なんだ。
この本は客観的事実として書かれているし、日本人が誤解しやすいところもつっこんで書かれている。この世界の二割以上を占めている宗教について知っておいて損はない。 -
とても根深い問題。その前に自分の立ち位置を再確認する必要がある気がする。有史以来の世界的なイデオロギーの変遷を考えると、普遍性はそこにはなくて意識的に普遍として扱うかどうかの意志の表れでしかないように見える。そして結果的には長続きしていない。変わっていくことがむしろ当然な気もするし、それは人によるのかも知れないし。うーん。
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'イスラム教は、あらゆる種類の苦しみ、絶望、悩み、不安、不満、憎悪を抱く人を引きつけうるシステムです。…どんな問題も引き受け、解決し、何を信じて毎日をどのように生きるべきかを極めて具体的に示してくれます。入信さえすればどんなに暗く疚しい過去も精算され、栄光に満ちた未来と来世が約束されます。しかもそれは昨日、今日誕生した脆弱で瑕疵のあるシステムではなく、1400年以上にわたって構築されてきた巧緻で完璧なシステムです。それを信じる仲間も世界中にすでに18億人存在し、他を圧倒する勢いで増え続けています。イスラム教はおそらく、「今」「この世界」が嫌だという人にとって最強のオルタナティブです。信じることさえできれば、すべての人が救われるのです'
'コーランに立脚してさえいれば、そこから導かれる解釈がたとえ敵意をあおり戦争をけしかけるような過激なものであっても「正しい」、というのがイスラム教の教義です'
'またイスラム法学者は寄せられた質問に対して回答を示す際、最後にきまって「神が最もよくご存知」という一言を添えます。法学者は自分の見解が神のそれと限りなく近いものとなるよう知識の限りを尽くす一方、全知全能の神の見解は所詮人間には知り得ないという謙虚な姿勢を決して忘れません'
'イスラム教は唯一の神だけを信仰する宗教です。…「神は他のいかなるものとも一緒にお赦しにならない。そこまでいかない罪なら、気がむけばお赦しくださる。しかし神に並ぶものを認めることだけは、赦すべからざる大罪」とあるように、イスラム教において多神教は絶対に赦されない大罪中の大罪です'
'…イスラム法を解釈し判断を下すのは法学者でも、それを執行する権限をもつのは政治権力者であると規定されているからです。法は執行が担保されないと半ば存在意義を失います。イスラム法を適用し続けるには、法学者だけではなく政治権力者の存在が絶対に必要なのです'
'権力者不在の騒乱状態は、法学者がもっとも避けなければならない事態のひとつです。ですから法学者は、基本的には権力者の正統性を保証し社会の安定を思考した法運用に努めてきました。権力者の側も、法学者にお墨付きを与えてもらうことにより初めてイスラム教的に正統な権力者として認められるという形式を重じてきました。両者は共依存の関係にあったのです'
'例えば、イスラム教は信者に対し、神が定めたイスラム法だけに従えと命じています。しかし19世紀半ば以降、イスラム世界では西洋的な近代化と世俗化が急速に進み、各国は主権国家となるためにイスラム法を「法典化」することで国家の成文法を制定しました。「法典化」されたイスラム法は、もはや神の法たるイスラム法ではなく人定法です'
'コーラン第5章44節に「神が下されたものに従って統治しない者は不信仰者である」とはっきり記されているように、人定法に基づいて統治を行う施政者は背教者とされます。しかし明らかにイスラム教の教義に反するこうした状況を、穏健派法学者はあの手この手でイスラム教的に「正しい」と承認してきました'
イスラム教の論理が理解できないなんてことはひとつもない。繰り広げられる論理が僕たちの普通をはみ出していても、別に普通だと思う。そういうものが存在していることを、理解できないとか、こちら側の理解の範疇に無理やり押し込めるような狭量さの方が共感できない。その上で思うこと。
気づいている矛盾を誤魔化して、自分に都合のいい解釈だけをつまみ食いしているだけだ。そんな自分をきっとどこかで認識している。自分が自分で立てない理由を世界のせいにして、駄々を捏ねているだけのように映る。
いまの自分が何によって成り立っているか、分かっているだろう。手放すことができはしない自由な社会が齎らしているサービスを甘受しながら、自由や平和、民主主義的な世界の恩恵を一部で受け取りながら、一方で世界を敵視する。変えなければならないものだと「信じて」いる。本当は一番に変わらなければいけないのは自分だと大勢がきっと分かってる。1400年もかけて一皮剥けることができない、子供のままの宗教。結局その葛藤、言い変えれば戦いに勝たなければならないのは本人達、自分自身らだろうと僕は思う。人間はそうやって進歩してきたのだから。文明の衝突なんて、大袈裟すぎる。聖戦なんて、カッコつけすぎてる。
信教や信仰は損なわれるべきではない。でも、まずは自分たちによって成長するべきではないだろうか。
信教や信仰を自分に置き換えるのは本当にズルい。上手くいかないことを自分のせいにすることをしないで、自分以外のせいにする。自分は悪くない、世界が悪い、だから世界を変えるんだ。なんて、ガキかよ。そこには主体的なものが見当たらない。現実を見据え、その上に思考を積み重ね世界を自分というものによって見通そうとするのではなく、現状に自分を当て嵌めて、感情的なだけの意思に、直接話したこともない触れ合ったこともない神様というよく分からない存在に自分を丸投げして、考えることをそこから停止している。とても子供っぽくないか。
世界はますます幼稚化してる。
考える人間と考えない人間。
自分の世界を見出そうする人間と、世界が作る世界にもっともっと自分というリソースを手放してしまいたい人間。
そのギャップはどんどんと大きくなっている。
'私は、この変わりゆく世界を生き抜く知恵を授けてくれるのは主体的な学びであると信じています' -
電子書籍版読了。
テロ事件等起きる度にムスリムの方お決まりの台詞「彼らはムスリムでは無い」というのが言い訳にしか聞こえず長年疑問だったが本書を読んですっきりした。 -
2018年6月⑥
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「イスラム国」ですら、正しいイスラム教徒ではない、と非イスラム教徒が難じることはできない。むしろ、コーランに愚直に則った、それこそイスラムの論理に則った統治、行動だったと語られる。イスラム教徒の中にも、西洋の側から見れば、穏健から過激派まで様々ではあるが。西洋の民主主義と折衷した考えを持つ者もいるが、コーランに愚直に従って行けば、ジハードは義務であり、世界をイスラムの考えで染め上げることは正しいことであり。そこに対話はありうるのだろうか。イスラムは「寛容」などといった議論が一面しか指していないことも明らかにされる。またコーランを読んでその論理の一端でも知りたい。/「イスラム教は、神が人間に恩恵として与えた導きです。神の恩恵であるイスラム教が、人間の産物である民主主義に優越するのは、彼らにとっては「当然のこと」です。」「カリフが神の立法したイスラム法にもとづいて統治を行い執行権を行使する、これがイスラム教において正しいとされる政治のありかたです」「インターネットは、こうした規範テキストへのアクセスの物理的困難さや言語の障壁ですら、いとも簡単に取り除きました。」「ジハードの呼びかけが普遍化すればするほど、彼らにとっては好都合なのです。「イスラム国」は、この「ジハード・スイッチ」とでもいうべき者をオンにしたことで当初の目的の半分は果たしたと評してもいいほど」