デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂 [Kindle]

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  • PLANETS/第二次惑星開発委員会
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感想・レビュー・書評

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  • 「魔法の世紀」に続く著者の二冊目にして、著者自身のライフワーク的な概念について表した一冊。

    専門書的かつ概念的な文体で、著者の豊富な興味・知識が余すことなく散りばめ等ているので、やや読みにくかったりもするが、随所に示唆に富む言葉がでてくる。

    デジタルネイチャーの概念がまだ理解しきれていないが、あらゆるものがデジタル化された世界では、人間はデジタル世界・リアル世界ともつながることができるといった感じだろうか。

    アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」にでてくる高次生命体を思い浮かべてしまった。
    「攻殻機動隊」のような人間が直接ネットに接続する世界の、またさらに先なのかなとも思うが、案外近いうちに(それでも100年後くらい?)実現してしまうかもしれない。

  •  落合陽一を初めて知ったのは『Dimension W』の評論を読んだ時だったと思う。ちょっとした関心から少し漫画を読んで、ネットを見ていると評論に突き当たった。評論はまたすごい突っ切った考えで面白い人だなと思って、それ以来気にはなっていたけれどもなぜかそれっきりだった。そんなことばかりだ。

     体系的な考えが残されたものを読みたいと思って手に取ったが、少し古いので今はもう違う考えなのかもしれない。西洋的なものと東洋的なものと最新のテクノロジーを折り合わせた内容で未来を語っていて、ちょっとわからないことがあったり、さすがにそう言うのはまだ早いんじゃない、と思ったりすることもあったが、ある種の知識人は四半世紀早すぎることを言ってたりするので、そんなものなのかもしれない。自分は何様でなぜこんなことを言っているのかよくわからないが、これからもチャレンジングに未来を語っていくことに期待したい。

     四半世紀早すぎた言論として(その当時の時勢のかなりの洞察であったであろうけれども)、東浩紀の『動物化するポストモダン』もそうではないかと思う。物語とデータベース社会とキャラ消費などの在り方は、インターネット上にある情報から好きなものを読み取ってフィルターバブルにはまる人々(自分も決してその一部ではないとは言えない)、あるいは「ビッグデータ」を活用して未来を予測するという意味でデータがナラティブになっているという状況(それもまた、「データベース」のすべてを活用しているわけではない、危うさのある部分最適な影響をもたらすかもしれない)、ポストモダンな現在について、図らずしもそれなりの差異はありながら、予見していたようにも見える。もうすでに誰かが語ったようなことなのかは知らないけれど、今読んでその差異と同一性を確認すると面白いのではなかろうか。

     読みながら思ったが、今の日本は中国の文明を母、近代西洋を父(どちらが母でも父でもいいけれど)としながら、独自の土壌で育った文化を持っていて、たぶん、それがいいようにも悪いようにも作用しているだろう(そういったら韓国も同じなのだろうか)。だから、西洋とは少し違うアプローチで、現在の世界に働きかけることができる可能性があるのではないだろうか。「可能性がある」としか言えないが。
     しかしながら、見たところ西洋と東洋が入り混じっていても、少子化が進んでいる以上家族システムに関してはうまく構築できていない。社会制度だけでなく、慣習や文化のミスマッチも大きそうで、小さな共同体の回復は一つの手ではないかと思う。

     まあそんないい加減な話はともかく、とある事情から自分は東浩紀のことを思い浮かべるたびに、心の中でいつも土下座しながら生きています。

  • 思考実験としてのメディアートと理解。

  • 2021.7.24(土) 落合陽一著「デジタルネイチャー」読書♪


    WEEKLY OCHIAIで達成したい事と言っていた「デジタルネイチャー」。3ヶ月前の自分が買ってくれていた。有難う→自分。早速読書!
    これまで対極だった「人工」と「自然」が融合。それには東洋的な統合的・相転移な概念が必要。また近代のエジソンの「発明」+フォードの「量産
    」という制約からの飛躍が必要となる。その際には、西洋的な「自我」「幸福」「死」の価値観の再構築がなされるという。考えさせられる内容だった。デジタルネイチャー、少しかじってみたい♪


    2021.7.24 (Sat) I read "Digital Nature" by Yoichi Ochiai


    "Digital Nature" that he said he wanted to achieve at WEEKLY OCHIAI. He bought the book three months ago. Thank you, me. I was able to read immediately!
    "Artificial" and "natural", which have been the opposite of each other, are fused. It requires an oriental, integrated and phase transition concept. In addition, it is necessary to make a leap from the restrictions of modern Edison's "invention" + Ford's "mass production". At that time, the Western values of "ego," "happiness," and "death" will be reconstructed. It was something that made me think. I wanted to try Digital Nature for a while.

    https://www.youtube.com/watch?v=M54i-bf0sbs


    ■読書メモ。★とくにきになったところ。

    <デジタルネイチャーとは何か?>
    ・これまで「人工」と「自然」は対極的な存在とみなされてきた。(略)そして今、コンピュータは「道具」という枠組みを超えて、新しい領域へ踏み出しつつある

    ・「自然」と「デジタル」の融合。東洋文明を育んだ感性を端緒としたイノベーションになるはず。

    ★荘周(荘子)の「胡蝶の夢」では、世界の万象は言語によって仮構されたみせかけに過ぎず、その深奥にはあらゆる差異を飲み込む普遍的本質あある。荘周はそれを「道」とし、道の顕現を「物化」と呼んだ。人が蝶の夢を見るのも、蝶が人の夢を見るのも同じ本質(道)にある超越的な物事の現れ(物化)に過ぎない

    ★「古池や蛙飛び込む水の音」芭蕉の句は、全体性を内包した叙景から根源的知覚への飛躍。主観と客観の超越
    一と全、全と一の相転移がもたらす視座の変換は、まさに夢のごとき流動的認識からなる芸術の方法論を示唆。

    自然をデジタルによって調停し、デジタル計算機おそれに適応した人類いよって、人為と自然お融合を促すテクノロジー。その力をありることによって僕たちは、より鮮明な世界への確信へと至るだろう。

    <エジソン=フォード境界>
    ・近代の概念が定まる前、自由な発想が可能であったころ、技術の本質へと直接アプローチするようなアイデアそれがまさに近代お超越するための手掛かりとなる。エジソンあ、近代の立役者の1人であるが、それゆえに近代に囚われることはなく、彼の発想は、その先にある世界を見据えていた。

    ・ヘンリーフォードは、史上初めて自動車の量産化にT型フォードで成功。

    ★エジソンの「発明」と、フォードの「量産」。この産業の両輪あ揃うことによって、メーカーという概念が生まれ、電化製品や自動車お大量生産あすすんだことで、マス(大衆)という概念あ一般化し、デザインという発想が生まれた

    ・この「エジソン=フォード境界」の制約を乗り越えうる技術は、近年、次々と現れている。それはデジタルネイチャーの実現お促すキータームでもあるのだが、その中えも特に重要になる概念が、「体験の自動化・三次元化」と「生産の個別化」だ。

    <オープンソースの倫理と資本主義の精神>
    ・今我々が生きているのは、「オープンソースの精神」と「資本主義の精神」が拮抗い、両者の生存様相が模索されている計算機自然お世界だ。今のところ繊細なバランスの上に成り立っている

    ・未来を予測する最も確実な方法は、それを発明する事だ


    <計算機がもたらす新しい自然>

    ・計算機的自然、即ち「デジタルネイチャー
    とは、人間風疹主義を超えた先にある、テクノロジーの生態系である。そこでは、人間お機械の境目、生物学お情報王学お境界を越境した自然観あ構築されるだろう。

    <解体される「自我」「幸福」「死」の概念

    ★変化は私たちの身体にとどまらない。私たちの精神についての考え方も、大きな転換を迫られている。近代が作り上げた、自由意志の存在を前提に権利を設定し、それに基づいた幸福お追求する世界あいずれ終わりを迎える。そして、「人間」や「権利」といった価値観の枠組みから解放された「幸福」が、コンピュータによる生態系の中で自動的に、「自然的に」生成される時代あ訪れるだろう。

    ★今後は、「実質」と「物質」、「機械」と「人間」の区別がつかない世界になる。そのとき我々に残るのは、理性や論理を超えた「宗教」に近い価値観ではないだろうか。そのとき、私たちの考えていた「人間らしさ」についての概念、つまり「人間性」そのものが脱構築されていくのだ。

  • 難しくて理解出来ないところがあったが、
    全体を通して自分自身としてもこうなったらいいな
    といった世界観をイメージ出来たところは良かった。
    知らないこともたくさん紹介されていて、
    本から得られるインプットが多かったですね。

    【勉強になったこと】
    ・デジタルネイチャーとは
     生物が生み出した量子化という叡智を計算機的
     テクノロジーによって再構築すること。

    ・今後は機械の指示のもと動く労働と
     機械を利用して新しいイノベーションを起こす労働に
     二極化していく。
     →個人的には、前者と後者の比率が均等ではなく、
      圧倒的に前者が多くなっていってしまうイメージ。

    ・重要なのは成果とストレスマネジメント

    ・ビットコインのブロックチェーンは、仕組み上、
     マイニング全体の50%を超える計算力を保持した
     ユーザーがいればトランザクションを書き換えられる

    ・資産化の発想
     例えば、ラクスルのような、
     使われていない輪転機を借りることによるコスト削減
     を実現すること。

  • 動物や自然の生物的な感覚(ネイチャー)と人間の合理的な感覚(デジタル)の融合を考えることが脱近代社会において重要である。AIやインターネットは、人間の合理的な感覚のみ。そこにネイチャーをいかに入れていくか。その融合にこそ、可能性がある。

    と言うふうに理解した。

    「波を起こしながらモノを作るサーファーになるべし」

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著者プロフィール

メディアアーティスト。1987年生まれ。JST CREST xDiversityプロジェクト研究代表。
東京大学大学院学際情報学府博士課程修了(学際情報学府初の早期修了)、博士(学際情報学)。
筑波大学デジタルネイチャー開発研究センターセンター長、准教授、京都市立芸術大学客員教授、大阪芸術大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授、金沢美術工芸大学客員教授。
2020年度、2021年度文化庁文化交流使、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)テーマ事業プロデューサーなどを務める。
2017~2019年まで筑波大学学長補佐、2018年より内閣府知的財産戦略ビジョン専門調査会委員、内閣府「ムーンショット型研究開発制度」ビジョナリー会議委員,デジタル改革関連法案WG構成員などを歴任。

「2023年 『xDiversityという可能性の挑戦』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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