デジタルネイチャー: 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂 [Kindle]
- PLANETS/第二次惑星開発委員会 (2018年6月19日発売)
- Amazon.co.jp ・電子書籍 (210ページ)
感想・レビュー・書評
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「魔法の世紀」に続く著者の二冊目にして、著者自身のライフワーク的な概念について表した一冊。
専門書的かつ概念的な文体で、著者の豊富な興味・知識が余すことなく散りばめ等ているので、やや読みにくかったりもするが、随所に示唆に富む言葉がでてくる。
デジタルネイチャーの概念がまだ理解しきれていないが、あらゆるものがデジタル化された世界では、人間はデジタル世界・リアル世界ともつながることができるといった感じだろうか。
アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」にでてくる高次生命体を思い浮かべてしまった。
「攻殻機動隊」のような人間が直接ネットに接続する世界の、またさらに先なのかなとも思うが、案外近いうちに(それでも100年後くらい?)実現してしまうかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
落合陽一を初めて知ったのは『Dimension W』の評論を読んだ時だったと思う。ちょっとした関心から少し漫画を読んで、ネットを見ていると評論に突き当たった。評論はまたすごい突っ切った考えで面白い人だなと思って、それ以来気にはなっていたけれどもなぜかそれっきりだった。そんなことばかりだ。
体系的な考えが残されたものを読みたいと思って手に取ったが、少し古いので今はもう違う考えなのかもしれない。西洋的なものと東洋的なものと最新のテクノロジーを折り合わせた内容で未来を語っていて、ちょっとわからないことがあったり、さすがにそう言うのはまだ早いんじゃない、と思ったりすることもあったが、ある種の知識人は四半世紀早すぎることを言ってたりするので、そんなものなのかもしれない。自分は何様でなぜこんなことを言っているのかよくわからないが、これからもチャレンジングに未来を語っていくことに期待したい。
四半世紀早すぎた言論として(その当時の時勢のかなりの洞察であったであろうけれども)、東浩紀の『動物化するポストモダン』もそうではないかと思う。物語とデータベース社会とキャラ消費などの在り方は、インターネット上にある情報から好きなものを読み取ってフィルターバブルにはまる人々(自分も決してその一部ではないとは言えない)、あるいは「ビッグデータ」を活用して未来を予測するという意味でデータがナラティブになっているという状況(それもまた、「データベース」のすべてを活用しているわけではない、危うさのある部分最適な影響をもたらすかもしれない)、ポストモダンな現在について、図らずしもそれなりの差異はありながら、予見していたようにも見える。もうすでに誰かが語ったようなことなのかは知らないけれど、今読んでその差異と同一性を確認すると面白いのではなかろうか。
読みながら思ったが、今の日本は中国の文明を母、近代西洋を父(どちらが母でも父でもいいけれど)としながら、独自の土壌で育った文化を持っていて、たぶん、それがいいようにも悪いようにも作用しているだろう(そういったら韓国も同じなのだろうか)。だから、西洋とは少し違うアプローチで、現在の世界に働きかけることができる可能性があるのではないだろうか。「可能性がある」としか言えないが。
しかしながら、見たところ西洋と東洋が入り混じっていても、少子化が進んでいる以上家族システムに関してはうまく構築できていない。社会制度だけでなく、慣習や文化のミスマッチも大きそうで、小さな共同体の回復は一つの手ではないかと思う。
まあそんないい加減な話はともかく、とある事情から自分は東浩紀のことを思い浮かべるたびに、心の中でいつも土下座しながら生きています。 -
難しくて理解出来ないところがあったが、
全体を通して自分自身としてもこうなったらいいな
といった世界観をイメージ出来たところは良かった。
知らないこともたくさん紹介されていて、
本から得られるインプットが多かったですね。
【勉強になったこと】
・デジタルネイチャーとは
生物が生み出した量子化という叡智を計算機的
テクノロジーによって再構築すること。
・今後は機械の指示のもと動く労働と
機械を利用して新しいイノベーションを起こす労働に
二極化していく。
→個人的には、前者と後者の比率が均等ではなく、
圧倒的に前者が多くなっていってしまうイメージ。
・重要なのは成果とストレスマネジメント
・ビットコインのブロックチェーンは、仕組み上、
マイニング全体の50%を超える計算力を保持した
ユーザーがいればトランザクションを書き換えられる
・資産化の発想
例えば、ラクスルのような、
使われていない輪転機を借りることによるコスト削減
を実現すること。 -
動物や自然の生物的な感覚(ネイチャー)と人間の合理的な感覚(デジタル)の融合を考えることが脱近代社会において重要である。AIやインターネットは、人間の合理的な感覚のみ。そこにネイチャーをいかに入れていくか。その融合にこそ、可能性がある。
と言うふうに理解した。
「波を起こしながらモノを作るサーファーになるべし」