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感想・レビュー・書評
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その昔、光文社カッパブックスにあった三鬼陽之助の東芝の悲劇(1966年)で描かれたお公家集団としての東芝のその後の物語(続編と言うか、最終章というか)であります。東芝の元広報室長が評した、模倣の西室(96~00)、無能の岡村(00~05)、野望の西田(05~09)、そして、無謀の佐々木(09~13)、という約17年間の歴代社長がおこなった様々な不適切な経理処理、高値掴みの企業買収、社内抗争の数々には、なんとも言えないものがあります。パナソニック人事抗争史を思い出してつつ、著者がエピローグで語る、東芝で起きたことは、まさに人災だった、というコメントが胸に刺さります。歴代社長の情けない内実等に☆三つかな。
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クチュクチュとくだらない政治ごっこばかりやっている。政治家でもないくせに。だから滅びた。でもこれは東芝だけでなく、日本の50年以上続く大企業はみな同じ病にかかっているのだと思う。見るべきは顧客だけであるはずなのに。
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会社の取り組みは細分化してゆくと
全て個人のモチベーションに起因して動かされている。
出世、承認、プライド、に動かされて経営判断を行い、自浄作用が働かない場合、東芝のような名門企業でも簡単の崩壊してしまう。
しかし一方で、高度経済成長・ITバブル後の停滞を払拭する為に傍流の海外営業畑から登用する、や
原子力をあらたな収益の柱としてベットするという考え自体が悪かったわけではないように感じる。
誰しも個人のアイデアや発想には限界がある中で、当時は妥当な判断だったのかもしれない。
これに対し、組織全体で判断を支えるないしは修正するような関係性が築けず、ポスト争いや上下関係に終始してしまったことが最大の原因だと感じた。 -
組織論、経営論、コーポレートガバナンス。
スペクタクルなドキュメンタリー。