コンビニ人間 (文春文庫) [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • あなたは、ご飯の量を訊かれて『普通』と答えたことはありませんか?
    
    この世には数多の飲食店があり、私たちはその時々の感覚によってお店を選びます。そして、入った店舗の中で食べたいと思う一品をメニューの中から選びます。そんな一連の過程の中で、食べたいと思うものを選び、トッピングの内容を選んだ後に、少しおかしなことに気づきます。私たちの身体の大きさは人によって異なり胃袋の大きさも当然に異なります。しかし、どんなお店に行ってもそこで提供されるものは、『普通』という言葉で語られる量が基準になっています。そして、私たちはそのことに何の異論も挟むことなくオーダーを終え、出てきたものを食します。そう、あなたの前には『普通』の品が提供されてきて、これが『普通』なんだと、何の違和感も感じずにその品を食する『普通』のあなたがそこにいるだけです。

    改めて考えると、私たちは思った以上に『普通』という言葉の中に生きていることに気付きます。初めて会った人に『普通の家に生まれ、普通に愛されて育』ちました。そんな挨拶をされてもそれに異議を申し立てる人はいないでしょう。そうか、この人はごく『普通』の人なんだな…意識さえすることなく私たちはそんな会話を『普通』に受け流していくだけです。

    なんだかするすると『普通』という言葉をここまでたくさん使ってきました。でも、ちょっと待ってください。そもそも『普通』とは、なんなのでしょうか?このレビューを読んでくださっているあなたと私は面識がありません。このレビューを読んでくださっているということは、本が好きという共通点はあるのだと思います。でも、それ以上の繋がりはありません。育ってきた環境も、現在の暮らしも異なります。しかし、ここであなたに一つ断言をします。そんなあなたと私が何かのご縁で一緒の時間を過ごすとします。恐らくその場は『普通』にご飯を食べて、『普通』におしゃべりをして、『普通』に楽しい時間を過ごすことになる、そんな『普通』の場になるのだと思います。

    『普通』、『普通』、『普通』、『普通』、『普通』…『普通』っていったいなんなのでしょうか?

    さて、ここにそんな『普通』という言葉に光を当てる作品があります。『普通の家に生まれ、普通に愛されて育った』という一人の女性が主人公となるその作品。『けれど、私は少し奇妙がられる子供だった』というその先に、そんな女性が『普通』に生きられないことに戸惑う様を見るその作品。そしてそれは、そんな女性が『どうすれば普通になるの?』と問われるその先に、『普通』という言葉の意味を読者が自問することになる物語です。
    
    『コンビニエンスストアは、音で満ちている』と、さまざまな音の『全てが混ざり合い、「コンビニの音」になって、私の鼓膜にずっと触れている』と感じるのは主人公の古倉恵子(ふるくら けいこ)。『いらっしゃいませ、おはようございます!』、『かしこまりました』、そして『こちらレシートです。ありがとうございました!』と、客に対応していく恵子は、『朝という』、『世界が目を覚まし、世の中の歯車が回転し始める時間』の中に『その歯車の一つになって廻り続けている自分』のことを思い『私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続けている』と感じます。そして『時計を見ると9時半をまわっている』のに気づいた恵子は、『昼ピークの準備』のため、『再び売り場に戻っておにぎりを並べ始め』ました。そんな恵子は、『コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない』と思います。『郊外の住宅地で育った』恵子は、『普通の家に生まれ、普通に愛されて育』ちましたが、『少し奇妙がられる子供』でした。『例えば幼稚園のころ、公園で小鳥が死んでいた』という場面で、泣いている他の子供たちを尻目に、『小鳥を掌の上に乗せ』、母の元へと持っていった恵子。『お墓作ってあげようか』と『頭を撫で』る母に『これ、食べよう』と言った恵子は、『もっととってきたほうがいい?』と続けます。そんな恵子は『お墓をつくって埋めてあげよう…かわいそうでしょう?』と言う母親が理解できません。『父は焼き鳥が好きだし、私と妹は唐揚げが大好きだ』、『何で食べないで埋めてしまうのか』、母親の言葉がどうしても理解できない恵子。そして、『こういうことが何度もあった』というそれからの恵子の人生。『なんで、恵子にはわからないんだろうね…』と困惑する両親を見て『必要なこと以外の言葉は喋らず、自分から行動しないよう』になった恵子。そんな恵子が大学一年生になった時、『スマイルマート日色町駅前店がオープン』しました。『アルバイトには興味があった』という恵子は、『簡単な面接』の後、『すぐに採用』となります。『表情と挨拶』の練習から始まり、『見本のビデオ』を見る中に、『今まで、誰も私に、「これが普通の表情で、声の出し方だよ」と教えてくれたことはなかった』と感じる恵子は、自分が『お手本の真似をするのが得意』と感じます。そして、オープンした店舗のカウンターの中で『古倉さん、すごいね、完璧!』と社員に褒められた恵子。『私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生した』と思う恵子。そんなコンビニで『普通』に働きつづけて18年という恵子の今の日常が描かれていきます。

    2016年に第155回芥川賞を受賞したこの作品。今や全国に57,000店もあるという『コンビニエンスストア』を舞台に、店舗がオープンした時から18年も働き続ける主人公の古倉恵子の日常に光が当てられていきます。なんと、芥川賞受賞時には実際にコンビニの店員だったという作者の村田沙耶香さんは、そんなコンビニへの思いを”自分にとってコンビニは社会との接点、世界への扉みたいなもの”だったと語られます。自らの職場を小説に描いていくという中では、その描写がリアルに振れるのは当然のことだと思います。作家さんが小説を書かれる際に取材はつきものです。エッセイでそんな小説の舞台裏が紹介されている記述を読むと、そこに作家さんが小説を誕生させていくまでの感覚をどことなく感じることができもします。しかし、もしあなたの職場にそんな取材が入ったとして、あなたが精一杯あなたの仕事の内容を伝えたとしても、あなたが感じるリアルにはやはり届かないのではないか、そんな風にも思ってしまいます。その仕事にリアルに携わっているからこそ感じる感覚というものはどこまでいってもあります。この作品で、私はそんな感覚、現役のコンビニ店員としての村田さんの感覚の発露を冒頭に続く『コンビニの音』の表現に感じました。『音で満ちている』という『コンビニエンスストア』。そんな中で18年も働く恵子はコンビニが発する音を起点にして、その先に続く一連の動作を自然と身につけています。そんな表現を一つご紹介しましょう。

    ・『ペットボトルが一つ売れ、代わりに奥にあるペットボトルがローラーで流れてくるカラララ、という小さい音』に気づく恵子 → 『顔を上げる』→ 『ミネラルウォーターを手に持った女性客がまだレジに行かずにデザートを物色している』のを確認 → 『手元に視線を戻す』
    ※ 『冷えた飲み物を最後にとってレジに向かうお客が多い』という経験値から『音に反応して身体が勝手に動く』という恵子の無意識の行動

    そんなある朝のコンビニの時間の中で、恵子は『この時間、売れるのはおにぎり…』であることを意識した上で、『新商品の明太子チーズは真ん中に二列に、その横にはお店で一番売れているツナマヨネーズを二列に、あまり売れないおかかのおにぎりは端っこだ』と、『整然と並べてい』きます。『スピードが勝負なので、頭はほとんど使わず、私の中に染みこんでいるルールが肉体に指示を出している』という中に動く恵子は、『チャリ、という微かな小銭の音に反応して…』と『コンビニの音』を元にプロな仕事の風景を見せていきます。そんな感覚はもちろん音だけではありません。『客の細かい仕草や視線を自動的に読み取って、身体は反射的に動く』と、自身の目と耳をセンサーとして働かせ、『キャッチした情報に従って素早く手を動かす』という恵子の仕事ぶりが描かれる物語前半。そこだけ読むと、これは『コンビニエンスストア』を舞台とした”お仕事小説”そのものとも言えます。そこに微妙に匂わされる『私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続けている』という表現にもこの段階では違和感を感じません。そして、その異常にリアルな描写の数々こそ、まごうことなき本物のコンビニ店員・村田沙耶香さんだからこそなせる技、描けるシーンなのだとも思いました。

    そんな物語は、『コンビニ店員として生まれる前のことは、どこかおぼろげで、鮮明には思いだせない』と過去の恵子が語られる中に一気に不穏な空気を帯びていきます。上記で取り上げた幼少期に遭遇した『公園で小鳥が死んでいた』という場面で恵子が発する『これ、食べよう』という言葉の破壊力。これが例えば公園ではなく、お肉屋さんだったとして、同じ言葉を子供が発したとしてもそこに違和感を感じることはないだろうことに気づきます。同じ言葉であっても、私たち人間はその時に自分たちが置かれている状況を感じとった上でその場に適切と思われる言葉を発し、行動します。これは、大人だからというだけではありません。他の子供たちは、泣きながら『どうしようか…?』と戸惑いを見せます。一方で、恵子はその状況を『せっかく死んでる』と捉えます。『何で食べないで埋めてしまうのか』理解できない恵子は、この場面だけではなく、『こういうことが何度もあった』と、自身が『普通』と考えることが他者にとっては全くもって『普通ではない』と捉えられてしまうことに悩む中に大人への階段を上がっていきます。そして、出会ったのが『コンビニエンスストア』という場でした。上記した通り、”お仕事小説”としてもよい位にプロな仕事人の姿を垣間見せる恵子。そんな恵子は心からこんな風に感じます。

    『私は、今、自分が生まれたと思った。世界の正常な部品としての私が、この日、確かに誕生した』。

    では、ここで、主人公・古倉恵子という人物の人となりを知った上で”お仕事小説”の中に見た一節を改めて読み返したいと思います。

    『私は世界の部品になって、この「朝」という時間の中で回転し続けている』

    同じ文章を再読しているはずなのに、そこからは単純な”お仕事小説”ではない感覚の存在に気づきます。『普通』か『普通ではない』か、そんな基準、恵子からすると全く理解できないそんな言葉の先に『どうすれば普通になるの?』という問いへの答えを常に探し求めながら生きていく恵子は、一方で『制服を着てマニュアル通りに振る舞うこと』で、『コンビニエンスストア』という世界の中では『普通』でいられることに気づきます。それこそが、18年という長きに渡って『コンビニエンスストア』という場に安住を続ける恵子の生きる理由でもあるわけです。

    “「あの子変だよね」って言っている、いわゆる「普通」側の人にもどこかしら変なところはある”とおっしゃる村田沙耶香さん。そんな村田さんは”「私たち、普通だけど変だね」って仲良くなれたらいいのになって思うんです”と続けられます。私たち人間は集団社会の中で生きる生き物です。そんな集団は、一日の中であってもどんどん変わっていきます。それは、家族、職場、友人といった明確な関係性の集団の中だけには留まりません。電車に乗り、買い物をし、そしてレストランで食事を摂る、そんなそれぞれの場面において集団の構成メンバーは逐次変化します。年齢、性別、国籍と、一瞬を切り取った一団の構成は二度と同じ構成はないと言い切れる位に常に変化していきます。そんな中で私たちは、その集団の中で違和感のない『普通』の行動を自然と取っていることに気づきます。それは、その人それぞれの経験則に基づくものなのだと思います。しかし、そんな経験則は、集団の構成員によって千差万別です。それぞれが『普通』と思う発言や行動の集合体がその集団の誰もが『普通』と思える発言や行動のあり方を規定していく、その先に私たちは瞬時に、その規定された『普通』に合うように発言や行動を制御していく、改めて私たち人間というものの順応力の高さに感嘆します。これを奇跡と言わずしてなんというのか!この作品では、主人公・恵子の思考とその先にある行動への違和感に光を当てることで、私たちが『普通』と捉えているものの正体に迫る物語が描かれていきます。

    そんな主人公・恵子が『コンビニエンスストア』での勤務18年目に訪れた一つの転機。内容紹介に”ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、 そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられる”という先に展開していく恵子の物語。そこには、『朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしている』と信じて生きてきた恵子の人生が、白羽の存在によって大きく変容させられていく姿が描かれていきます。それは、『普通』という言葉に囚われ、『普通』でいられる『コンビニエンスストア』の外の世界における『普通』を改めて意識する物語でもあります。そんな物語は後半に入ってどんどんスピードを上げる中にある意味鮮やかに結末を迎えます。読者が予想できたようで予想し得ないその結末。『気が付いたんです…』と自信に満ちた恵子の語りの先に描かれるその結末。『普通』という言葉の先にある「コンビニ人間」という書名の奥深さを改めて感じました。

    『完璧なマニュアルがあって、「店員」になることはできても、マニュアルの外ではどうすれば普通の人間になれるのか、やはりさっぱりわからない』という主人公の恵子。そんな恵子が18年間も勤め続ける『コンビニエンスストア』での日々の中で『普通』とは何かについて思い悩む様を見るこの作品。そんな作品では、白羽という存在の登場によって、ある意味『普通』の日常を送っていた恵子の人生が大きく揺れ動いていく様を見ることができました。『普通』という言葉の頻出に、私たち読者それぞれが信じる『普通』というものの有り様が揺れ動くのも感じるこの作品。『普通』という言葉にある意味思考することを放棄してしまっている私たちの生き様にこそ問題があるのではないか、そんな問いを突きつけられるこの作品。

    『普通』という言葉に対する村田さんの問いかけに、自身が信じる『普通』という感覚が揺らぐのを感じた納得の作品でした。

  • 「普通」や「常識」を振りかざす人たちが
    時に暴力的になりうること
    それを痛感させる小説だった。
    異物を排除する社会に対する痛烈な批判が潜んでいる。

  • 初読みの作家。

    何故ここまでコンビニのことがわかるかと思いきや
    実際働いてらっしゃったということで納得。
    登場人物が知らない人ばかり。これも
    他所でレビューを書いたので、再度はね。

  • 短くて読みやすい内容だった。「コンビニ人間」その通りの、プロだなーと感じた。思わずクスリと笑ってしまう描写もあって面白かった。みんな何かしらコンプレックスはあるだろうし、犯罪犯したり、他人に迷惑かけないのなら、それでいいんじゃないかな。やりたいことが見つかって良かった。

  • 社会適合とは?普通とは?世間に合わせた生き方はコンビニのように整然とし無機質なのかもしれない

  • 主人公の何が悪いのか最後までわからなかった。わからなかったから、きっと非現実世界の話しなんだろうと感じた。
    私の居る会社(メーカ)では最適解に一直線で辿り着く人は推奨されるしプロ意識の高い人は好まれる。仕事と性は関係ないし味のないササミ食べている人も居る。コンビニは必要最低限のものが揃っていて快適。主人公はなにも悪くない。
    主人公に感じる違和感よりも妹やコンビニ店長、友人たちに感じる違和感の方が強かった。多分それも作者の意図するところなんだろうけど。

  • 社会の異物を排除するといった社会のためと思わるような行為が、人の気持ちを踏みにじるようなこともある。自分の中の当たり前を人におしつけるような行為はするべきでないなと感じた。
    「社会不適合者」というような、いわゆる現代社会で生きづらさを感じている人にもその人の信念があって、それをいわゆる「社会の一般常識」と思われるようなもので塗りつぶすようなことを自分もしないように生きていきたいと思った。
    体の細胞すべてがコンビニで完成されている主人公がかっこよかった。私にもそういった「生きる理由」というものがあったらなぁ...とも思った。
    死ぬまでに読めてよかった作品だった。

  • 私が慕っている方からお貸しいただいた本。こちらから貸して欲しいと言ったのではなく、紙袋に入れて私のロッカーに黙って入っていたものだ。「面白いから、つべこべ言わず、まあ読め!」ということだと理解し、早速読んでみた。なんとこの作品、芥川賞受賞作であった。(直木賞受賞作は読んだことがあるはずだが、芥川賞は初めて!)

    ページ数が少ないせいもあって、すぐに読了。私自身、学生時代にスーパーでアルバイトをし、さらに社会人になってからも百貨店の食品売場勤務経験があったことから、コンビニが舞台のこの本に書かれていることにはすごく親近感がわいた。そして、コンビニでの仕事が「人間としての存在意義」を唯一感じさせてくれていたと思う主人公と、仕事人間だった自分にも重なって共感できる部分が多く、懐かしく感じた。

    「どんな仕事も、その人が社会的価値を感じて、自分にあっていると思うのならばそれでいいじゃないか?」と再認識させられた良作であった。できれば、主人公がコンビニの正社員となり、スーパーバイザーやマネージャーまで昇進して大活躍。同じコンビニに勤める若手幹部がそれを見そめて、恋に落ちる・・・なんて内容の『コンビニ人間2』をあったらサイコーなんだけどなあ。

  • 主人公の恵子は、周りの人の言動を取り入れたり、妹の助言をもとに生活したりする、いわば「自分」のない存在だ。しかし、コンビニの「声」が聞こえるレベルまでに、生活をコンビニ最適化していくことこそが恵子にとっての「自分」である。他方、恵子の対比として描かれる他の登場人物は皆、存在から「自分」を切り離して、コンビニ店員、つまり社会に合わせにいく存在だ。白羽との同棲を他の店員に話したときに、恵子が噂話に巻き込まれるのを不快に思うのも、彼らの世界(コンビニに最適化されていない世界)に引き込まれている、と考えると当然のことだろう。

    「わたしは人間である以上にコンビニ店員なんです」という恵子の発言は私の中で印象に残った。この物語の展開からすると自然な発言というか、プロフェッショナリズムとは本来こうではなかったか。現代でこのようなことを言っても不自然に感じられないのはスポーツ選手や職人くらいだが、職業や雇用形態(正社員、バイト)では本来区別はつかないものだろう。言っていることはおかしくないのだが、今の社会に照らし合わせると違和感がある場面がたくさんあって面白かった。社会風刺の意図はないのかもしれないが、よく考えるとおかしくない(むしろ今の社会がおかしい?)という不気味さがこの物語の魅力だと感じた。

  • これ私じゃん、と思いながら読んでました。
    面白かったです。

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著者プロフィール

村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年千葉県生れ。玉川大学文学部卒業。2003年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞しデビュー。09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、16年「コンビニ人間」で芥川賞を受賞。その他の作品に『殺人出産』、『消滅世界』、『地球星人』、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。

「2021年 『変半身(かわりみ)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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