- Amazon.co.jp ・電子書籍 (341ページ)
感想・レビュー・書評
-
小説形式で、ストーリーやキャラクターも面白い。それでいて、「正義」について考えることができる、哲学的~!な本です。
功利主義、自由主義、直観主義、構造主義、ポスト構造主義という概念が分かりやすく語られ、それぞれのキャラクターとの対比もあり、とても理解しやすいです。
自分が「善い」と思ったことをすることが「正義」であり、その結論とストーリーの結末と相まって、とても哲学的~!な内容でした。
世の中の色々なところで「正義」の名の下に不正義が行われている時代に、読むべき一冊です。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「正義の教室」飲茶
3つの正義
平等の正義→功利主義(幸福重視)
自由の正義→自由主義(自由重視)
宗教の正義→直観主義(道徳重視)
「宗教的」とは、物質または理性を超えたところにある何かを信じている事。
ベンサムの幸福定義
幸福→快楽が増加または苦痛が減少
不幸→快楽が減少または苦痛が増加
パターナリズム(父権主義)とは、独善的にこれが正しいのだと相手の意志を無視して押し付ける事。
功利主義→全体の幸せを重視→個人を強制する
自由主義→個人の権利を重視→個人に強制しない
弱い自由主義
自由よりも幸福を上位に置く。
1.幸福になるには自由が必要だ
2.よし自由を尊重しよう
これは功利主義と同質。状況次第ですぐに自由を制限する。
強い自由主義
幸福は無関係。人間に与えられた最も基本的な権利である「自由」を守る事であり、そこから生じる結果については一切不問。
愚行権の肯定(不幸になる自由)
1.有能・無害な人間→自由にさせても誰の自由も奪わない→故に自由を保証
2.有害な人間→自由にさせると他者の自由を奪う→故に自由を制限
3.無能な人間→自由にさせると自分の自由を奪う→自己責任として自由を保証するか否か?
ミルの自由論の「危害原理」とは、、
民主主義は多数派の好みで法律が決まる為、少数派の好みが制限される。これを多数派の暴虐と呼ぶ。多数派の暴虐が行われると、個人が自由に自分の幸福を追求できない社会になるので危害原理を提唱する。
危害原理とは、「他人に危害を加えない限り好きにせよ」または、「他人に危害を加えていないのに人の自由を制限するような法律を作るのは不当だ」という国家運営の原理原則のこと。
ロールズの「無知のヴェール」とは、、
自分自身について無知になると、自由原理と格差原理が「万人共通の正しさ」となる。
自由原理とは、特定のものを優遇したり排除させない事。
格差原理とは、社会的経済的不平等が、もっとも不遇な人にとって最大の利益になるような形で存在するならば認める事。
平等の正義(功利主義)→最大多数の最大幸福。ベンサム。快楽計算
自由の正義(自由主義)→弱い自由主義と強い自由主義。愚行権。
宗教の正義(直観主義)→枠の外側、イデア論。ソクラテスとニーチェ。
刑務所のシステム
1.囚人(異常者)を保護して一般人(正常者)に矯正する
2.その為に囚人を一定の規律に従わせ、その行動を監視する
「善く生きる事」とは「社会的に善い事」ではなく、「自分的に善い事」。自分的な価値基準なので他者の視線や評価は無関係。
万人に見られていても見られていなくてもそれに関わりなく自分がやりたいと思った事が自分にとっての「善い」事。
今この瞬間に「善い」「正しい」と思った事をして生きる事。なぜなら自分が「善い」と思う生き方をしない限り、自由で幸福な人生は起こり得ないから。
パノプティコン
ベンサムが設計した、監視システムを持つ刑務所。人間を監視によって調教する。
ソーシャルメディア、スマホ、市中監視カメラが溢れる現代はパノプティコンシステムで設計された社会。 -
物語形式で読みやすい哲学入門書。友人から「ラストのどんでん返しがすごいから読んで!」と勧められた。そんな勧め方があるかい(赦す)。
各思想を擬人化したような女子クラスメイトたちと一緒に倫理の授業を受けている気持ちになり、素直に哲学の歴史に興味を持った。 -
「平等、自由、宗教」のどれを重要(優先)とするかで正義は3つに大別される。平等の正義「功利主義」、自由の正義「自由主義」、宗教の正義「直観主義」。そしてこれらの起原を、絶対主義/相対主義から始まりイデア論/原子論、実在論/唯名論、合理主義/経験主義という二項対立の歴史の流れの中で整理する。
ポスト構造主義の現代では相対主義が優勢。絶対的なものは個人的経験の中に探す、東洋哲学が示唆する個人的経験の中に探しにいくしかないのかな。 -
ラストはビビったが等身大の主人公でわかりやすかった。
正義とは人それぞれの立場があるため、一つに決められないが、考えることから逃げずに問題に向き合い、自分にとっての善を追求する姿勢が正義、ということなのかな。 -
ストーリー仕立てで非常に読みやすい本。
「何をどう思おうと、その思いを善いと価値判断しているという事実だけは疑うことができない」
→そこに、自分なりの正義が現れている。
→その正義を、本当に正しいのか?常に疑いながらも、より正しいことを目指していくべき
Hunter×Hunterで「あらゆる残酷な想像に耐えておけ 現実は突然無慈悲に訪れるものだからな」と試験官が言っていたが、それにならい思考実験をしてみたことがある。
↓
妻と子供が火事に巻き込まれ、状況的に片方しか助けることができない。その場合にどちらを助けるか?
(私は妻も子供のことを2人とも世界で一番愛している)
↓
この本の冒頭の状況と似ているが、思考実験では子供を助けると結論づけた。
もし妻を助け、子供を助けなかったら、おそらく妻は「なぜ私じゃなくて子供を助けなかったの?」と私を責めるだろう。子供の分も、妻が精一杯生きられるかは、わからない。
もし子供を助け、妻を助けなかったら、もちろん子供は悲しむしそう簡単には乗り越えられないが、妻が子供をどれだけ愛していたかを伝え、妻の分も子供が精一杯生きられるように手助けをするだろう。
どちらもリアルに想像すると辛くなるが、でももし妻でなく自分が同じ状況なら絶対に子供を先に助けてほしいと願うはず。
子供には残酷かもしれないが、妻の分も生きてほしい。 -
個人的に会話形式は読みづらかったが、慣れると非常に理解しやすかった。
ストーリーはほぼ飛ばした。
入門のさらに入門としてちょうどいいと思う。自分も初めて整理ができて、とても助かった。
作者がいかに哲学を咀嚼できているのか、思わされる。
最後は蛇足かもしれないが、それも(哲学なのかもしれない)と考えさせられました。 -
平等、自由、宗教という3つの正義があり、国が掲げる基本的な正義もこの3つである。この正義を思想に置き換えると、功利主義、自由主義、直観主義となる。
功利主義は、全体の幸福の量が最大化されることを目指す思想である。最大多数の最大幸福を理想としている。創始者はイギリスの哲学者ベンサム。彼は、幸福量の数値化を目指すために、幸福=快楽とした。
問題点は、幸福量の数値化に無理があること、パターナリズム(父権主義)の問題があること。あることに感じる幸福感は、主観や状況などによって変わる。また、快楽の質を無視してしまっている。「太った豚よりもソクラテスであれ」。幸福感は個々人に違うため、強権をもって人々を抑圧しがちになる。
自由主義は、自由をなによりも(幸福よりも)重視する思想である。留意点は、利己的ではなく、他人の自由も侵害してはいけない点である。「自由にやれ。他人の自由を侵害しない限りでは」。
問題点は、弱者の排除につながること。自由主義において、子供の行動の制限は必要と考えている。なぜなら、子供は、選択に必要な能力が備わっておらず、不自由な選択をせざるを得ないからだ。しかし、子供と大人の境界線を明確にするのは困難である。また、愚かな選択をする大人を止めない(愚行権の保障)ため、弱者は自己責任として切り捨てられてしまう。
直観主義は、物質や理性といった枠の外に、絶対的な正義や善などがあると信じる思想である(イデア論)。
問題点は、人間には絶対的な正義など理解できないこと。
そのため、直観主義者はどこかで破綻してしまう。
哲学史の最新、つまり現在は、構造主義が掲げられている。人間の思考は、システムによって決定されるということ。水や形はコップによって決められる。現在の人々は、道徳的になったのではなく、SNSの普及などで監視の目が増えて悪いことをしづらくなっただけ、というような考え方。
-
正義について考えさせられた