人は、なぜ他人を許せないのか? [Kindle]

著者 :
  • アスコム
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感想・レビュー・書評

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  • 人間誰しも【自分が正しい】と思い込む
    それは悪い事じゃない
    ただ、批判や反対する場合は、それ相応の意思表示や責任が必要になる(名乗り)

    でも、その名乗る事なく出来てしまうのがネット

    本当なら自分の意見言うにしても、相手への敬意が、必要だと思う。

    それが出来ない人を見極めやすいのが、本や映画の感想を語らせると
    『あぁ…こういう系ね』
    『俺だったらこうするな!』
    『俺映画好きの気持ち分かるしさ!』
    とかかなり上から目線になってしまっている。(自分も多少同じになると思うが、気がついてるので やらないようにしている。)

    作家になるため、映画監督になるための勉強、撮影、その他も何もしてないのに
    …いう筋合いはない

    言うとすれば、相手に敬意を表した上で自分の意見をチョロっと言えばいいだけ。

    去年の12月28日くらいだったかな?
    俺のブクログの所に、嫌なコメントを入れてきた人がいた。その人をAとする
    (赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。に書き込んできて、今は相手は自分のコメント消している)

    ●Aは【意味がわからない】と一言だけ書いてきた

    ◯俺はやり返す。不快な事する人にどうするか秒で考え【あなたがいちいち書き込んできてくるのも意味が分かりませんが…意味が分からないなら、書き込まなくて結構です(笑)】と返し…その上でAをブロック

    ●言い返された上にブロックされたAさんは頭に来たのかな?直後にBさんが登場し【私もAさんの意見に賛成です!意味が分かりませーん!】的な参戦…
    ◯まぁ…呆れてしまい…
    こういう行動は何をあらわすか…

    *他人のレシートを見ると相手の生活感くらい分かるのと一緒で、本棚はその人の性格、生活、感心の傾向を写し出す。

    ※Aさんのページを確認、Bさんのページを確認…
    ①まずこの【2人はフォロワーどうし】
    ②2人ともフォロー、フォロワーが同じ2人しかいない(Cさんも2人とも共通でフォローしてる)
    ③そして2人とも、11月にブクログ始めたばかり
    ④状況的に、Aさんのコメント仕返し出来なくなった瞬間にBさんが便乗してきている。本来ブクログはタイムリーにヤリトリしないハズ…という事は【Aさんが腹をたてて、仕返しをBに依頼している】可能性が大きく、状況的にも共通点が多すぎる
    つまり【夫婦、ママ友などの可能性が非常に高くなる。そして少なくともそのリアルタイムではAさんの前にBさんがいるであろう】と推測。
    ⑤あらためて奴らのブクログ見たら、【ベルゴにコメントやり返してくれ】などのコメントは見当たらない…
    2人は知人で ほぼ間違いないかな?となる
    ⑥奴らの載せてる本の種類が絵本系多いので、人の親だというのも分かるし…日にち的に、仕事納めしたっぽく暇なのも分かる…

    そんな、奴らが偉そうに書き込んでくる
    やり返しまくったら
    自分達のコメント消していなくなる

    俺も大人げはないのには自信があるので2人のページに俺の痕跡を残しまくる(コメントなどはしません)

    奴らは登録してる本を全部消してフリーズしてしまった。

    1番気になるのは、そういう奴等に限って登録している本に
    【家の子が登校拒否になりました】
    【私の子供がイジメをしていた】などの本を登録している

    読書から何を学んでるんだろうか?
    それこそ
    【意味が分からない】

  • なぜ、他人を許せないかを脳科学的に知見。

    自分と異なるもの全て悪と考えてしまう、
    「正義中毒」にならない為に、許せない自分を理解し、他人を許すためには脳を知る必要がある

    そもそも、人間は自分が所属する集団以外を悪とするようにできている。
    自分の意見にそぐわない人を悪とし叩く行為に快楽が生まれるようになっている
    (ドーパミンが分泌されるため)
    今まで見せてきた自分と矛盾しないように振る舞わなければならない思い込み(一貫性)に縛られ、他人にもそれを押し付けてしまう
    他にも人間の脳の仕組みなど書かれている。

    対処法として、脳の前頭前野が衰えてくることを遅くすることが大切
    日常的に合理的思考・客観的思考ができるクセをつけるようにする
    その他食事や睡眠などについても書かれている。

    イライラした時はまずひと呼吸して、客観視。
    その時の状況や環境によっても、矛盾はおこるものとし一貫性にとらわれない。
    他人を気にするなら、自分にとってプラスになる生き方をしようと思った。

  • 許せない。
    納得できない。
    そんなことがあっていいのか。

    誰もが抱く、「あるべき姿」でないことが起こったときの感情。

    それを著者は一刀両断する。

    「人の脳は、裏切り者や社会のルールから外れた人など、わかりやすい攻撃対象を見つけ、
    罰することに快感を覚えるようにできています。
     この快楽にはまってしまうと、簡単には抜け出せなくなり、罰する対象を常に探し求め、
    決して人を許せないようになってしまいます」
    (「はじめに」より)

    著者は、この状態を正義に溺れてしまった中毒状態、「正義中毒」と呼ぶ。

    これは、脳に備わっている仕組みであるため、誰しもが陥ってしまう可能性があるのだと。

    その構造を、丁寧に、わかりやすく解いていく。

    だが、いわゆる「上から目線」ではない。

    だから、納得と共感が、心の中に広がっていく。

    人が社会で生きていく限り、悩みがなくなることはない。

    だから、その最善策は何か。
    どうしたら、良いのか。

    考え続け、行動し続けていく中にしか、答えのようなものはない。

  • この頃、怒りっぽくなってるのが気になったので読んでみた。読んでみて自分が怒りっぽくなった理由がわかってきた。
    それは、最近自分が関わる人が、何かしらの共通点を持つ人がほとんどで「この人と私は一緒だ」という意識が強くなりすぎて、相手と自分が違うことに対して寛容になれなくなってきたから。あとは仲間意識を持てない人がぐいぐい距離を詰めてくるから。
    前者は、イラッとしたときに一呼吸置いて相手と自分が違うんだから、と思えば怒りが消えそう。後者は、もう諦めて受け流す。ひたすら関わらないくらいかなぁ。
    生活する中で少しだけでもいつもと違うことをするのが良いとあったので試してみたら、新しい発見があって久しぶりに「おもしろい!」と思える体験ができて楽しかった。
    自分の世界を固定せずに風通しよく、心地よくしていきたいなと思った。

  • 他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激されて、快楽物質ドーパミンが放出される。
    つまり、癖になる。
    これは覚えて意識しておいた方がよい。

    本の大半は日本人がなぜ排他的なのかに咲かれている。
    地震などの災害が多く、耕作面積も少ないため
    助け合わなくては生きのこれない事情が
    欧米とは異なるとのこと。

    議論の仕方を習わない、議論の文化がない
    というのが個人的には一番の原因と思う。

    著者が最後に記しているように
    この本には、題名の問に対するズバリの解決策は提示されない。

    脳の前頭葉は30代まで発達するので
    そこまでにいかに多様な価値観と出会うのかが大切だそう。
    そして、新しいこと、不安定なことなどに
    かかわっていくことと、
    禅問答のように問い、考え続けることが
    解決策の一つなのではと提案する。

    読書を通じて、越境体験を気軽にできるという点は
    完全に同意。

  • ■イングループバイアスとは自分の所属する集団(内集団)に対しては自分が所属しない集団(アウトグループ=外集団)よりも好意的・協力的に行動する傾向のこと。
    ■「メタ認知」とは自分自身を客観的に認知する能力のこと。
    ・常に自分を客観的に見る習慣をつけメタ認知を働かせることが前頭前野を鍛えることにつながる
    ■慣れていることをやめて新しい体験をする。
    ・変化のない日々を送っていると脳は衰える
    ・脳のためには小さなことでも前頭前野を働かせる余裕を作っていくことが大切

  • 新進気鋭の脳科学者、中野信子である。どうも、美人で脳科学者ということで、テレビタレント化している。「科学がつきとめた『運のいい人』」という本が評価され、さまざまな事柄に本を出している。この本もその一つだが、「正義中毒」という言葉に反応した。
     雲南省にいるときには、私は「自分が正しい」と思い込んで、やたら人を非難していた。なぜ、そのようなことをしていたのか?といえば、ラクだったからだ。とんがっていたというより、暴走していた。日本に戻ってから、随分とそのとんがった部分が削げ落ちて、丸くなった。まぁ。歳を取り過ぎたことが、とんがった部分が、風雪にさらされて、削げ落ちたのかもしれない。でも、その現象がなぜ起こったのか?ということを知りたいと思った。
     「人を許せない」という感情がどのように生まれるのかというのをとき明かすとしている。
    中野信子は「正義中毒」という処方箋を作ってしまうことによって、やっと症状がわかる。ふーむ。私は正義中毒者だったのか。他人に「正義の制裁」(自分の正しいと思っていることを押し付ける)を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質のドーパミンが放出されるという。美味しい、美しいと感じる快楽中枢が、犯人だったのだ。人に正義の制裁を加えることが、快楽となり、しまいには、その快楽を追い求めて、人を非難するのだ。結果として、それはイジメにもつながっていく。イジメは、快楽中枢を興奮させる。ニンゲンって、どうしょうもないことに喜びを感じてしまうのだ。脳の持つメカニズムを認識して、自分の脳をコントロールしていくしかないのである。
     このことは、多様性を認めない。異質を排除する論理に繋がっていく。そのために、分析的思考や客観的思考を行う前頭前野を鍛えて、メタ認識を持てるようにすることだという。
     匿名投稿ができるSNSの発達によって、より簡単に「正義中毒」患者の活躍するスペースが広がった。人を非難することで、自分が安全な位置にいて、高みの見物ができる。
    日本の風土は、「みんなに合わせられないこと」「みんなと違う行動をすること」が受け入れられない。フランスでは、「みんなと同じこと」や「自分の意見をいわないこと」が愚かだと言われる。真逆だ。独創的な発想や生き方は否定される風土は、個性あるニンゲンが生きにくい。日本は創造性を育みにくい状況を作り出している。それは、農耕民族で、稲作は水管理が必要であり、地震、台風、旱、冷害のある自然条件に集団で対応することが常に求められ、体の中に染みついているからだ。
     快楽中枢の脳のメカニズムは、前頭前野でコントロールできないバイパスなのだ。また、忘れるという機能も脳のメカニズムで重要な役割を果たしている。
     そのために著者は4つの提案をしている。①慣れていることをやめて新しい体験をする。②あえて不安定・過酷な環境に身を置く。③安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない。④余裕を大切にする。ということだ。ところで、著者が言う「正義中毒」もレッテル貼りではないだろうか。
     ふーむ。正しいこととは、常に自分中心に考えては、成り立たないものである。多様な正義を受け入れることから、穏やかな人生が始まる。

  • 著名な脳科学者 中野信子氏による差別の話。最近話題となったSNSの書き込みによる自殺事案を例に挙げ、多くの若者が自らの「正義」を主張し他人を中傷するメカニズムを説いている。内容としてボリューム感はないのだが、簡潔にわかりやすく主張したいことを述べており、参考になった。

    「人の脳は、裏切り者や、社会のルールから外れた人といった、わかりやすい攻撃対象を見つけ、罰することに快感を覚えるようにできています」p5
    「(正義中毒)他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質であるドーパミンが放出されます。この快楽にはまってしまうと簡単には抜け出せなくなってしまい、罰する対象を常に探し求め、決して許せないようになるのです」p5
    「日本人は摩擦を恐れるあまり自分の主張を控え、集団の和を乱すことを極力回避する傾向の強い人たちだと感じます」p47
    「(日本人)集団のルールを守り、前例を踏襲し、集団の上位にいる人の教えや命令に忠実に従う、従順な人が登用される傾向は否めません。これは政府や企業に限らず、最高学府であるはずの大学でさえ例外ではありません」p48
    「「昔は良かったなあ」という気分に頻繁に浸ることがあったら要注意。脳の前頭全野が老化しているサイン」p166
    「(記憶の美化)脳は、過去の記憶を都合よく書き換えるようにできています」p166

  • 今特に自分の中で、正義中毒が蔓延してて、治したいと心から思ってたことを諭してくれる本。
    新しい体験や、普段興味無いことに手に取って触れてみる経験をして、寛容になりたい。

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    インターネットが普及した今、世の中の出来事を知るのは非常に簡単になった。それは裏を返せば、良いことも悪いことも、瞬く間に広がってしまうということでもある。特に芸能人の不祥事、スキャンダルなどは格好のネタとなる。
    そんなときに必ず起こるのがSNSなどでの「炎上」である。問題の当事者でもないのに、行き過ぎたコメントもあるわけである。彼らの指摘は間違ってはいない。だが、それをわざわざ全世界の人々が見られる場で、そんな攻撃的な言葉で叩く必要があるのか。
    脳科学者としても著者としても活躍する著者・中野信子氏は、そのような状態を「正義中毒」と呼んでいる。この言葉を目にしたとき、軽い衝撃を受けたと同時に腑に落ちたように感じた。「そうか、あれは中毒状態なのか!」と。
    怖いのは、誰しもがその状態に陥る可能性があるということだ。他人に「正義の制裁」を加えると、脳の快楽中枢が刺激され、快楽物質のドーパミンが放出される。すると、罰する対象をさらに探し始めるようになってしまう。本書を読むと、それが他人事ではないと身をもって感じられる。こうした負の状況から距離をとるために、できることは何なのか? 「許せない」と思ってしまう人間の脳の仕組み、穏やかに生きるために著者が推奨する脳のトレーニング方法など、知っておきたい内容ばかりだ。「正義中毒」への処方箋として、モヤモヤや生きづらさを感じている方に本書をおすすめしたい。

    要点1:他人を許せない「正義中毒」には、誰もが陥る可能性がある。人間は脳の構造上、自分の属している集団以外を受け入れられず、攻撃しやすい傾向にある。
    要点2:社会全体で「正義中毒」の方向へと突き進むと、多様性を狭めてしまうことになり、非常に危険だ。
    要点3:正義中毒から自分を解放させるには、普段から前頭前野を鍛え、メタ認知の力を身につけることが重要となる。

    誰もが陥りかねない「他人を許せない」状態
    正義中毒とは?
    「清純派キャラの女性タレントが不倫をしていた」。「大企業がCMで差別的な表現をした」。こうした状況は、自分や身近な人が直接不利益を受けたわけではない。だが、面識もない相手に攻撃的な言葉をあびせ、叩きのめさずにはいられない。そんな状態に陥っているとしたら、それは、正義におぼれ、「許せない」が暴走してしまっている状態だ。著者はこれを「正義中毒」と呼ぶ。
    正義中毒は誰しもが簡単に陥る可能性がある。とりわけ、ネットやSNSの世界では顕著だ。SNSの広がりが正義中毒を顕在化させ、より強めている。
    また、自らの正義をふりかざす快感を味わいつつも、同時にそんな自分を許せないと感じている人も多い。このような相反する感情に苦しめられていては、とても幸せな状態とはいえないだろう。

    多様性を狭めた集団は滅亡に向かう
    正義中毒の人たちは、一見独自の理論、独自の正義をもっているように見える。だが実際は、自分がターゲットにされることを恐れて、多数派に流れているケースも多い。例えば、Aを「不謹慎だ!」と叩く論調が主流になると、異なる意見をいいにくくなってしまう。
    しかし、社会全体でこうした流れに乗り、多様性を狭めてしまうことは、非常に危険である。多様性を狭めることで、短期的には生産性や出生率が上がる。しかし、進化の歴史で見ると滅亡に向かってしまう。たとえば、ある企業では、強引かつ話術の巧みな営業担当者が好成績をあげているため、そうした人材ばかりを集めているとする。だが、ある日規制が強化され、そのような営業ができなくなったとしよう。その企業に、一人でも温厚でロジカルな営業担当者がいれば、営業活動を続けられる。だが、そうした人材の多様性がない場合、その企業は厳しい局面を迎えることになるだろう。

    日本社会の特殊性と「正義」の関係
    愚かさの基準は国によって異なる
    正義中毒は、どこの国のどんな人でもなり得るものだ。しかし、どんな人を逸脱者(愚か)とするかという基準は、国や地域によって大きく異なる。
    たとえば日本では、「みんなに合わせられないこと」「みんなと違う行動をすること」が愚かだと考えられる傾向にある。これに対して、著者が滞在していたフランスでは、「みんなと同じこと」や「自分の意見をいわないこと」が愚かだと捉えられがちであったという。

    自然災害と閉鎖的環境による影響
    では、なぜ日本人は、自分の意見を飲み込むことが好ましいと考えるようになったのか。それは、日本が島国であることや、日本の独特な環境が関係している。まず、降雨量が多く、台風などの風水害のリスクが高いという気候面の特徴があげられる。そしてもう1つの特徴は、日本がプレートの境界にあるため、火山が多く、地震が多発する地域であるということだ。同じ島国としてイギリスがあるが、イギリスでは自分の意見を飲み込む傾向がない理由は、ここにあるようだ。
    日本は長い間自然災害に悩まされてきた。そのため、そうした環境に適応できるよう、長期的な予測をして準備を怠らない人たちが生き残ったと考えるのが自然である。
    また災害時には、みんなで助け合って復興をめざす以外の方法はない。集団への協力を拒んだり了解事項を裏切ったりすれば、その人物は非難と攻撃の対象となってしまう。このような背景から、日本では、個人の意思よりも集団の目的を最優先するようになっていった。集団の考え方に背くことは社会全体に危機をもたらす恐れがあるとして、無意識に集団主義的思考を採用していたのだろう。

    【必読ポイント!】 なぜ、人は人を許せなくなってしまうのか
    人間の脳は対立するようにできている
    自分と異なるものをなかなか理解できず、互いを「許せない」と感じてしまう正義中毒は、人間の宿命といえる。ただし、人間の脳の仕組みを知っていれば、こうした生きづらさを少しでも解消できるようになる。
    そもそも人間の脳は誰かと対立するようにできている。ささいなきっかけで相手をバカだと感じてしまうことは人間の特徴なのだ。
    また、長い時間をかけて徐々に他人を許せなくなることもある。その典型としてあげられるのが、「性格の不一致」による離婚だ。彼らは出会った当初は惹かれ合ったわけだが、その理由も、脳科学的には「互いが不一致だから」こそである。
    にもかかわらず、結婚後にその不一致を憎むようになってしまうのはなぜなのか。その理由として有力なのは、恋人だった頃より互いの距離感が近くなってしまったことである。いくら夫婦でも、適切な距離や愛着のレベルが存在する。そこに過不足があると、途端に不一致が粗として感じられるようになってしまうのだ。

    バイアスは脳の手抜き
    人間は誰しも、集団内の仲間を外の人よりも良いと感じる「内集団バイアス」をもっている。そして、グループ外の集団には、バカなどというレッテルを簡単に貼り付けてしまう。たとえば、サッカーの試合で日本チームが失点をすると喜ぶ韓国人、ドイツチームの失点を喜ぶフランス人などだ。みな、悪意をもっているというよりは、ただ脳が手抜きをして、バイアスに乗っ取られている状態にすぎない。この状態における脳の処理は、自動的に生じる楽な処理、すなわち一元的な処理である。
    グループ外の人々を一元的に処理できるということは、脳がかける労力が少なく、コストパフォーマンスが高い行為である。本来なら、一人ひとりの背景や考え方を考慮に入れて、丁寧に判断するべきだ。しかし、この内集団バイアスが働くと、手間をかけずに一刀両断できるのである。
    このやり方は迅速な判断が必要なときに非常に便利であるが、脳がいわば「ズル」をしている状態なのだ。

    脳は賢くなりすぎないようにできている
    人間が人間であり続けるため、脳は前頭前野に従いすぎないようになっている。つまり、脳は「賢くなり過ぎない」ように設計されているといえる。
    たとえば、女性と出産の関係について考えてみよう。出産という行為はリスクを伴うことなので、女性が自身の生命維持を最優先させるならば、出産を選択しない方がよいだろう。だが、それでは種としての人間が絶えてしまう。そのため、前頭前野ではコントロールできないような、愛情や性欲、子どもへの愛着が強くなるよう仕組まれているのだ。
    記憶力も同様である。完璧に記憶でき、起きたことを忘れない脳をもつ人がいたとしたら、その人は嫌な思い出を忘れることもできず、都合良く記憶を書き換えることもできない。そのため、非常につらい人生を送ることになるだろう。記憶が徐々に消え、都合良く記憶を書き換える仕組みが存在するのは、より良く生きていくためには自然であり、当たり前のことだといえる。

    正義中毒のエクスタシーと苦悩
    人間は本来、自分の属している集団以外を受け入れられず、攻撃するようにできている。正義中毒に陥っているとき、脳内では、神経伝達物質のドーパミンが分泌されている。ドーパミンは快楽や意欲をかきたて、気持ちいい状態をつくり出していく。他の集団を攻撃すればするほど、ドーパミンによる快楽を得られるため、他者を「叩く」のがやめられなくなるのだ。
    一方、正義中毒にかかっていても、我が身を振り返り、「自分の方が本当は間違っているのではないか」と苦悩するなど、矛盾した感情を抱くことがあるかもしれない。これも脳の機能の一部である。他者を攻撃することで、脳がネガティブフィードバックを受けることがある。ここでのネガティブフィードバックとは、怒りや攻撃性を誘発するホルモンの分泌を抑えることを指す。
    著者は、こうした相反する感情が人間の脳に同居しうる科学的な理由を断定できないと語る。だが、有力な仮説の1つはこうだ。一人の個人のなかに多様な価値観が共存することが、環境の急激な変化や新しい価値の台頭に、一世代で対応できる可能性をもたらすという解釈である。

    正義中毒から自分を解放する
    正義中毒を乗り越えるカギは「メタ認知」にあり
    本書の最終章では、「人を許せない」状態から解放されるための科学的な方法や脳の鍛え方について考察している。
    脳は加齢によって衰えていく。老化によって前頭前野の働きが衰えると、どうしても新しいものを受け入れにくくなってしまう。
    前頭前野は分析的思考や客観的思考を行う場所であり、人を「許す」ための大きな足がかりとなる。前頭前野がうまく働いていれば、日頃から固定化された通念や偏見を鵜吞みにせず、「メタ認知」を使うことができる。メタ認知とは、自分自身を客観的に認知する能力を意味する。つまり、「自分がこういう気持ちでいることを自覚している」ということである。このメタ認知を働かせることが、前頭前野を鍛えることにつながり、正義中毒を乗り越えるのに役立つのだ。

    老けない脳をつくるトレーニング
    脳科学の観点から、日常生活のなかで前頭前野を鍛え、「老けない脳」をつくるための方法を4つ紹介しよう。
    1つめは、「慣れていることをやめて新しい体験をする」ことだ。たとえば、「通勤で自宅から駅まで向かうとき、いつもと違うルートを歩く」「外食の際に、新しいメニューにしてみる」など、些細なことでかまわない。日常とは異なる行動が前頭前野の活性化を促してくれる。
    2つめは、「あえて不安定・過酷な環境に身を置く」ことである。そうすれば、自分の思考や行動を認識し直すことができる。たとえば、「普段なら絶対読まない本、関心のない本を読んでみる」「ネットで興味のないニュースなどを閲覧する」といったことでも、異なる環境に身を置くのと同じような体験を手軽に味わえる。
    3つめは、「安易なカテゴライズ、レッテル貼りに逃げない」ことだ。「Aは○○だから」「Bって××なんでしょ?」のように、自分たちとは違う人をひとまとめにしていたら要注意だ。これは、前頭前野を働かせるチャンスを失っていることにもなる。単純なレッテル貼りを気持ちよく感じる裏側には、脳の弱さがあることに留意したい。
    4つめは、「余裕を大切にする」ことである。前頭前野を働かせるには、脳に余裕がなければならない。この余裕を重視するなら、一般的に忍耐が必要なことは避けるべきだとされている。「満員電車での長時間の通勤」はその典型といえる。
    正義中毒を乗り越えていくには、人を許せない自分や他者に対して、「人間だからしょうがない」と認めることが前提となる。そのうえで、メタ認知の習慣をつけていけば、自分とは異なるルールをもつ他者に対して寛容に接し、共感できるようになるはずだ。


    著者は正義中毒から解放される最終的な方法として、あらゆる対立軸から抜け出し、何事も並列で考えることを挙げている。まずは相手の考えや感情をいったん受け止め、包み込んでみる。このシンプルな意識がいかに重要なのかに気づかされる。
    正義中毒に陥ってしまう仕組みとその背景、そして正義中毒から自分を解放するためのヒントを知ることで、心穏やかに生きられる人がもっと増えるだろう。そして、世の中にはびこる分断を少しでも減らすことができるのではないだろうか。本書を読めば、そんな希望をもて、視界が開ける瞬間が訪れるにちがいない。

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著者プロフィール

脳科学者、医学博士、認知科学者。1975年、東京都に生まれる。東京大学工学部卒業後、同大学院医学系研究科修了、脳神経医学博士号取得。フランス国立研究所ニューロスピンに博士研究員として勤務後、帰国。現在は、東日本国際大学教授として教鞭を執るほか、脳科学や心理学の知見を活かし、マスメディアにおいても社会現象や事件に対する解説やコメント活動を行っている。著書に『サイコパス』『不倫』(ともに文藝春秋)、『人は、なぜ他人を許せないのか?』(アスコム)、『脳の闇』(新潮社)などがある。

「2023年 『賢くしなやかに生きる脳の使い方100』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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