- Amazon.co.jp ・電子書籍 (268ページ)
感想・レビュー・書評
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足を失った女形 魚乃助と
鳥屋(焼き鳥屋ではなく ペット鳥屋)の藤九郎が
鬼を探り当てるために
役者たちの秘密を 順に暴いていきます
役者の悩みは やはり
嫉妬 羨望 いじめや絶望
もう どっろどろです
歌舞伎という ジェンダーレスな
芸術のなかですので
余計に泥沼感がすごかった
生の人間の暗さが怖い
あまりの業の深さに
鬼のほうが可愛らしく見えますよ・・・詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
脚に怪我して歩けない美形の役者と鳥屋の探偵もの。(江戸時代)
役者の執念と人間のもつ闇がみれます。
「さんかく窓~」が雰囲気近そうだけど、
もっとドロっとしてスパイシー。 -
<あらすじ>
元女形の魚之助と、鳥屋の藤九郎が歌舞伎役者に化けた鬼探しを依頼される。「人間には真似でけへん残忍さが現れてくるんとちゃうか」残忍な鬼を見つけ出すため一級の役者たちの本性を暴いていくうち、鬼の正体がますます分からなくなる藤九郎。そして、引退してなお芸事の世界に苦しめられる魚之助。洒脱の語り口で描く、芸に人生を捧げ芸に狂い狂わされた役者たちの物語。
<感想>
芸に全てを捧げ喝采を渇望し生きる役者たちの姿が、紡ぐ言葉が、常人とは一線を画す彼らに惚れ惚れする。華やかなようでいて泥臭い江戸の粋、役者の粋。うつつを抜かして没頭して耽りたいこの世界観。作品全体が一本の歌舞伎のように、セリフひとつひとつが芝居がかっていてうっとりとしながらページをめくった。また良くも悪くも歌舞伎の世界に翻弄される魚之助、自分を見失うほど芸を磨き、芸を奪われ自分を見失い。それでも客に惚れられ役者に惚れられたその才能から、逃げようとしても逃がしてはくれない。痛々しいほどの葛藤はあったけれど、藤九郎の言葉がどれほど救いになっただろうか。女形としての魚之助を求められ、かつてと同じ自分にはなれないことで自分の在り方が分からなくなる魚之助に、分からないままでも傍にいると、好きだと言った藤九郎。このままで生きていくのか役者に戻るのか分からないけれど、その後の二人をもっとみていたいと思った。 -
これはほんといいよ
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【最高なのは、言葉のリズム】
この作品の何が良いって、
言葉のリズム。
それが、江戸時代、且つ歌舞伎
というとっつきにくいテーマに
読者をのめり込みやすくしているのです。
リズムがいいから、「べべん!」
という歌舞伎の拍子も
聞こえてきそうな勢いでした。
場面が変わるたびに、
「べべん」と自分勝手に心の中で
調子を取っていた、
そんな読者が他にもいるはずだ
と思っています。
さて、この本の内容ですが、
時は人々が歌舞伎に狂乱していた
江戸は文政の時代。
歌舞伎や見慣れぬ装飾品の名前が多くて
読んでいてつらいと思う事もありますが、
面白くなってくるのは中村座という歌舞伎の劇場に、
6人の歌舞伎役者が集まってからです。
その6人は、一癖も二癖も三癖もある、
歌舞伎役者達。
その6人の台帳読み(台本読み)の席で、
その内1人が暗闇に乗じ鬼に食われ、
取って代わられたというのです。
6人の内、鬼はだれか?
その鬼を探ってくれと頼まれるのが、
藤九郎と田村魚之助(たむらととのすけ)。
この2人が、本作の主人公です。
藤九郎は「百千鳥」という鳥屋を営んでおり、
歌舞伎は好きですが、
そこまでのめり込むことはない心優しい青年。
対する魚之介は、かつて一世を風靡した女形。
しかし3年前に贔屓の客に足に傷をつけられ、
両足とも切り落とすことになって
檜舞台から退いていました。
今の言葉で言うのなら、
魚之助は脚こそないもののイケイケ。
対する藤九郎は、嫌々ながら
その魚之助の足となり、
所狭しと6人の役者達の本性を
暴いていくのです。
【化け「者」心中】
なぜ化け物ではなく、化け者なのか。
なるほど読んでいけば分かります。
役者になり変わった鬼を探す2人ですが、
その途中で様々な事件が起こります。
ある者は誰々がネズミを生で
むしゃむしゃ食べるのを見たと言い、
ある者は赤く長い爪の男を見たと言う。
そして毒を盛る者も現れ、
いったい誰が鬼なのか、
そもそも鬼とは人なのか、鬼そのものなのか。
結論から申し上げると、2人が探している鬼は、
まさに化け物の鬼そのものです。
しかし、歌舞伎役者達の心に潜む妬み、
嫉妬、向上心が、彼らに鬼のような邪悪さを
もたらすこともこの物語は解いています。
いや、邪悪というのは語弊がある。
歌舞伎の世界は常人には相容れぬ世界。
芸のためには、
いかなる事も犠牲にする人間たち。
彼らは全て芸のため、善悪も、性別も、
虚実も全て曖昧になっていく。
魚之助がいい例です。
さすが一世を風靡した女形。
常日頃より女であることを意識し、
服がはだければまず胸を隠す。
そして、生理のような腹痛も月一でくるようになる。
超が付くほど徹底したプロ意識
とでもいいましょうか。
一般読者は、藤九郎の目線で
この世界を見ると思います。
芸と現実、男と女の区別もつかないなど
狂気の沙汰だと。
しかし、歌舞伎の世界は鬼の世界。
人が鬼になる世界。
まさに化け者蠢く世界だったのです。
【藤九郎と魚之助の掛け合いが妙】
このコンビは是非とも
シリーズ化してほしいですね。
魚之助と藤九郎の、イキの良い江戸言葉が
読んでいて実に心地いい。
上述しましたが、この本で楽しむべきは、
絶対に言葉全体のリズムです。
こんなコンビどこかにいたなと思いをはせれば、
桑原と二宮の疫病神コンビですね。(黒川博行・疫病神シリーズ)
こちらもイキのいい大阪弁と、結構な共通点。
この魚之助、藤九郎コンビが、
末永く続いてくれることを祈るばかりです。
最後に感銘を受けた点を一つ。
人と鬼の違いです。
人は、己の評価、地位、恋路、嫉妬、向上心
のために他人を陥れることが出来る。
歌舞伎のような狂った世界にいたならなおさらです。
しかし、鬼は純粋。
「人を食う」という目的のみが鬼にはあり、
人のような複雑な表情は見せることがない。
だからこそ魚之助は、鬼が誰に取り変わったか
探し当てるわけなのですが。。
鬼と人、どちらが恐れるべき存在なのか、
そんな事を考えさせられます。
今の現実社会にも、
十分にあてはめられる作品。
これはお勧めしたい一冊でした。
是非ごひいきに!