山と獣と肉と皮
著者:繁延あづさ
発行:2020年10月2日
亜紀書房
著者は写真家で、兵庫県姫路市生まれ。結婚して東京で暮らしていたが、2011年に夫と3人の子供とともに長崎市に引っ越した。夫の仕事もなにも決まっていない、自分の仕事の目処もないまま。そんな中で、近所に住む猟師(おじさん)と知り合いに。さらには、イベントで同年代の猟師と出会い、そちらとも仲良くなる。2人の猟師は猟の仕方も違えば、猟の目的も違う。カメラを持って2人の姿を追い、獣や肉や皮と触れ合い、自身もそれらを生活の一部にしていく。子供たちも、抵抗なくそんな生活や料理を受け入れていく。そんな生活を綴った本。
ご近所の「おじさん」は、括(くく)り罠や箱罠を使う。括り罠にかかった猪は、眉間を鉄パイプで叩き、気絶させた状態で頸動脈を切る。箱罠にかかった猪は、槍でひと突き。猪を苦しめないように一発でとどめを刺すのがポイントだ。罠にかかった猪の勢いは想像を絶するもので、括り罠の猪は架かった足が一本ちぎれるまで暴れて逃れ、その上で人間に襲いかかってくることもあるという。おじさんは銃を使わなかったが、途中からは併用するようになった。危険を避けるためだとのこと。
おじさんは、大型バスの運転手を定年退職した後に猟師になった人だ。肉や皮を売って仕事にしているのではなく、獣害を減らすための駆除が目的で、仕留めた数で報酬をもらう。証拠として仕留めた証拠として足を1本持って帰る。農家の人たちとすれ違うと感謝の言葉がかかる。
肉はご近所に配ったりするが、持って帰れない場合は穴を掘って埋めて帰る。すると、大きな動物から小動物、さらにはウジ虫などの餌になる。つまり、自然に帰る。著者も肉が入る度に連絡をもらい、家族で食べる。引っ越したばかりで生活費もままならない中で本当に助かっているという。料理の腕も上がってきた。
一方、同年代の猟師である中村さんは、佐賀県に住んでいて、犬を使った猟をしている。こちらも猟が仕事ではなく、本職は猿回しだ。たくさんの犬や山羊など動物と暮らす。猟の目的は、動物たちに肉を食べさせるためで、自分たちは食べないし、売ったりすることもない。猿回しをしているのは、猿と暮らしたいから。とにかく動物が好きで動物と暮らしたいというのがこの人だ。こちらは、犬猟なので銃を使う。
どんな方法にせよ、屠られたばかりの猪の目は、キラキラ光っていると著者は綴る。生きることと死ぬこと、その接点。人と獣たちのぎりぎりの接点。この本に掲載されている写真はほんの部分でしかないが、その世界は単純に「命をいただく」という流通しまくっている言葉では表せないいろんなものが広がっている世界に思える。
皮の鞣(なめ)し工場への取材の様子もある。
山の道(けものみち)はどんどん変わる、雨や台風、倒木でも変わるが、罠とかの危険を察知したら慎重になって新しい道ができる
鹿を駆除して土に埋めれば、いろんな動物が食べるが、サワガニも食べている。鹿はサワガニを食べ、サワガニは鹿を食べる。
おじさんは80針縫うケガをしたことがある。括り罠にかかった猪が、バックして思い切り前進突入を繰り返す。最後に罠から解放されておじさんのところへ。足がちぎれて解放されていた。おじさんは大けが。
洋犬はいろんな目的に合わせて人間に役立つよう品種改良されてきたから従順すぎる。主人に命じられたら死ぬまで猪とやり合ってしまうことも。狩猟は、まずいと思ったら引いて自分の命を守ったりする加減が必要だが、それができるのが日本犬。中村さんの猟犬は紀州犬と四国犬のミックス。
プラウダー・ウィリー症候群:食べても食べても空腹が満たされない病気
肌でコミュニケーションし、肌で察知し、肌で幸せを得る。ふれあって感じ会うことは、人間に備わったすごく高次な機能。そうだとしたら、コウモリ由来の感染症のコロナは、肌の触れあいによって生まれる親密で高次なコミュニケーションを排除することで、人間社会の土台を揺るがせ、その傷口に寄生すべく誕生したウイルスであるかのようにも思えてくる。
コロナ感染者がsnsで「仕事再開に支障がないか不安」「子供が学校でいじめられたらどうしよう」といった言葉を目にすると、ウイルス自体だけでなく、過去にウイルスと関わったという縁まで強く忌避されていて、穢れと差別の関係とそっくりだなと思わずにいられない(著者)。