- Amazon.co.jp ・電子書籍 (386ページ)
感想・レビュー・書評
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特にこの多様性の社会において、とても考えさせられるものがある作品だと感じました。
「個性」と言う言葉では表しきれないほどの様々な人間が存在し、共生する社会で、どう生きていくべきか、生きていきやすい社会を作っていくべきかを改めて考えなければならないと思いました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これはやられた。好き。
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多様性を認めよという正義の押し付け、理解したい・許容するという体の人間の傲慢さ。世の中の「多様性」を強要したり流行していることに対しての違和感がここにある気がした。この本で思ったのは、どうあっても他者と理解なんてし合えないし、すべてに対して無理解だという自分への理解が大切なんだな。
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Audibleで読了しました。
全く知らない世界がすぐ隣にある。
ナノレベルの少数派という存在を通して多様性というワードの信ぴょう性や、理解できない存在=加害者と決めつけて排除しているのではないかが問われています。ダイバーシティをはじめ現代に飛び交う耳触りの良い言葉に、みんなせーので自己満足してんじゃないの?実際わたしはその通り、当事者の認識なく深く考えていませんでした。
八重子と大也の生々しいやりとり、生きる執念を手放しかけた佳道の葛藤。LGBTの枠からも外れてどう他者と関われば良いのかが見出せない。一方で子を持つ親ならば幼児性愛者は悪魔でしかない。
この葛藤は個性や趣向のみならず、主義主張や民族、宗教色々なことに当てはまるのではないでしょうか。
実はテーマが広く、私の顔まで重力に負けました。 -
最近読んだ小説では一番の、胸のつかえ。
多数派と少数派。
少数派にも認識されない更なる少数派。
多様性の時代と言われて、
多様性って言っとけばいいんでしょと
いわんばかりの空気の中で、
その言葉を黙って受け取らない。
読んでて心がざわついた。
抜書きしたくなるところがたくさんあった。
完璧な引用じゃないけど、
多数派で居続けること
=2/3のつぎに2/3でいるのは、4/9
この時点ですでに少数派なのである。
無自覚な迫害、
安易な同調、
押し付けられる価値観
不快だけど身の回りに溢れていることだらけ。
みんな不安で自分が異常じゃないって
確かめたいだけ。そのとおりかと。
このざらついた感じは簡単に忘れられないし、
多様性って言葉に出会うたびに
この本を思い出すことになる。
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こんなこと、あるのか〜!って読後感。
でもあるから、本になるんだろう。
多数派が正義で正解で、少数派は間違いなのか。
多数派が理解出来ないことは、罪なのか。
押し付けられた罪は、仕方ないと耐えねばならないのか。
考えてしまう、いろいろ。 -
様々な立場な、特殊な性癖を持つ人(持たない人もいるが)の視点で、1つの大きな物語を描く。
全く関係ないと思っていた各人物たちの物語が、つながっていく、こういうミステリーっぽさがある話は久しぶりに読んだので面白かった。
「多様性」をテーマにした作品であり、そこを各所で絶賛されているが、個人的には昨今のダイバーシティというワードを聞くたびに思っていたことなので、そこまで衝撃はなかった。
多様性をテーマにした名作『僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を先に読んでいたからかもしれない。
なんだか、クソまずいカレーを出して、カレーが好きならこれも食べれるよね?というような、少し子供じみた主張を感じる。
言っていることは間違いじゃないけれども。
すごく極論で、「多様性の面倒くさいところ」には目を向けれてないかなと思ったし、救いが少ないのがあまり好みではなかった。
暗めの話好きならおすすめ。 -
全ての登場人物に共感は出来ないけど、なぜか読み進めてしまう本でした。
性的指向について、冒頭のニュースから結末までどう繋がっていったのか、それぞれが抱える苦悩についてどう向き合っていくのか…興味深かったです。
八重子みたいな人は、世の中溢れてるだろうなぁと。
読了後は何とも言えない気持ちになります。
結局、人は社会的動物であるから、誰かと繋がって生きていかなきゃいけないんだろうな…。
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「多様性とは、都合よく使える美しい言葉ではない。自分の想像力の限界を突き付けられる言葉のはずだ。」
これは本書で何度か出てくるフレーズで、この作品の肝となる言葉です。
「多様性の時代」と昨今よく耳にしますが、そもそも多様性とは何なのか?マイノリティとは何なのか?というのが本書のテーマです。
マイノリティと言えば真っ先に浮かんでくるのは、LGBTQなどのセクシャルマイノリティ、少数民族などの人種マイノリティ、そして障碍者などもそれに当たります。
これらは「多様性の時代」というスローガンのもと、彼らがメディアで活躍する機会が増え始めた昨今、それに違和感を感じる人も多かったのではないでしょうか?
本書でスポットライトを当てられているマイノリティは、「特殊性癖」と呼ばれる人々。
特殊性癖も色々あって定義が広いのですが、本書での特殊性癖は「ヒト」以外の「モノ」や「モノの状態」に性欲を感じ、人間には全く性的欲求が起きない人たちの事を差します。
この「普通じゃない」特殊性癖を持つ人々がいかに社会を忍び、自分の欲求を抑え、日の当たる場所を歩けずに生きているのかが描かれています。
友達同士では誰もがする恋愛の話、夫婦の話についていけないどころか全く共感できず、しかもそれを隠して、「普通」の価値観に合わせて生きなければならない辛さが伝わってきます。
特にメディアで言われる「多様性」「アップデートしていかないと」という言葉が氾濫する中で、その「多様性」の中に入れてもらえない彼らの落胆が、時に怒りとして表出したり、時に自殺しようとまで至ります。
作中に出てくる人気ドラマ「おじさんだって恋がしたい」という名前はおそらく数年前に話題になった「おっさんずラブ」をモデルにしたものと思われます。
テレビによって「普通」であると認められ、「多様性」の象徴であるようにドラマで描かれたLGBTという存在。
その「普通」だと思ってもらえる素地すら持たない主人公たちは、そのキラキラした時代の空気に、心が削られていきます。
「なんで彼氏つくらんの?」「なんで結婚せんの?」と身近な人間から言われて、嘘の理由でごまかす自分が嫌になっていきます。
堂々と「普通に」生きている人と関わるたびに、自分が惨めになっていきます。
それでも、同じ趣味を持つ人たちと繋がりを求めて何とか生きようとする様は、なかなか身につまされるものがありました。
作中で描かれる主人公たちは、常に他者に対して「関わらないでほしい」と願っています。
なぜなら、人は自分が理解できない欲求や考え方を知ると、
「そんなのおかしいよ、直した方がいいよ」
「意味わからん、キチ〇イなの?」
と、「普通」であることを押し付け、時には周囲に言いふらして排斥のキッカケを作ることもあると知っているからです。
それぞれみんな悪い人ではない。むしろ中にはいい人もいる。
それなのに、絶対に分かり合えない壁のようなものがそこに存在し、それに悩まされる人々が描かれています。
「多様性」という耳障りの良い言葉は所詮、異人種やセクシャルマイノリティなど「差別してはいけないリスト」に登録されたものだけに適用されている社会の欺瞞でしかない。
昨今氾濫する「多様性」というキラキラした言葉に、どこか刺すような、ギラギラした蛍光灯のような眩しさを感じている人は、本書が何かしらのヒントを与えてくれるのではないでしょうか?
僕もせっかくなので、こういう機会に溜まったものを吐き出そうかな。
「多様性?聞き飽きたよ。うるせえよ。」と。