完全版 チェルノブイリの祈り 未来の物語 [Kindle]

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感想・レビュー・書評

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  • オーディブルはリチャード・プレストン『ホットゾーン』が今日でおしまい。引き続き、スヴェトラ−ナ・アレクシエ−ヴィ『チェルノブイリの祈り』を聞く。

    冒頭から消防隊員の夫を亡くした妻の物語に心を鷲掴みにされる。走りながら何度も嗚咽が漏れそうになった。宮本常一を思わせる聞き書きの手法は、『戦争は女の顔をしていない』と似てるなと思ったら、なんと、同じ著者の本だった。『戦争は』もオーディブル予約済み。本人の語りを忠実に再現した作品を、人間の声を通して受け取ることの意味を思う。ズシンと響く。

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    火をつけると脅され無理やり自宅から追い出される人もいれば、空き家から金目のものを根こそぎ奪っていく人もいる。そこは危ないからこっちに来ていっしょに暮らそうと言う子もいれば、いったん疎開したあとに生家に戻ってひっそり暮らす親もいる。肉親を亡くして心がその地から離れられない人もいれば、ソ連崩壊後の混乱(内戦?)の戦禍を逃れ、ひと気のなくなったかの地に安住の場所を見つける人もいる。

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「新聞記事の断片が記憶にちらっとうかんだ。わが国の原子力発電所はぜったいに安全である、赤の広場に建設してもよい。クレムリンのすぐそばに。サモワール(ロシア式湯沸かし器)よりも安全である。星に似たもので、われわれは地球全体をそれで「おおいつくす」のだと」

    誠実であろうとすればするほど、「絶対」という言葉は使えない。簡単に「絶対」と口にする人は、いともたやすく前言を撤回する。

    「これくらいでいいでしょうか。わかりますよ。あなたは興味津々なんだ。あそこに行ったことがない者にとっては、いつだって興味深いことなんです」

    「数千人の志願者たち……志願した学生部隊、毎晩予備役をまちぶせしていた特殊な「囚人護送車」。物資の調達……被災者基金への送金、血液や骨髄を無償で提供した数百人の人びと……。それとおなじときに、ウォッカ1本でなんでも買うことができたんです。表彰状も、帰宅休暇も……。ある農場長は自分の村が疎開リストにのせられないように放射線測定班にウォッカ1箱を届ける、べつの農場長は自分の集団農場が疎開できるように、これまた1箱を届ける。その男は、ミンスクに3部屋のアパートをもらう約束をすでにとりつけていた。測定のチェックなんで、だれもやっていなかったんです。ロシアにおなじみの混沌。 ぼくらはそうやって生きている……。帳簿からなにかをおとして、売っぱらったりして……。一方では胸くそ悪い、他方ではーーてめえら全員地獄へおちろ」

    現場からあがってくる情報が信じられなければ、トップがどれだけ有能な人物であっても、集団としては機能しない。司、司の現場力が信用できるということの重みというか、ありがたさを、日本人はもっと噛み締めていい。その現場力を支えるのは、勤勉さをよしとする文化と教育。まじめに働く人たちにもっとリスペクトを。

    「毎日、新聞が運ばれてきました。ぼくは見出ししか読まなかった。「チェルノブイリは英雄的行為の場」「原子炉は制圧された」「生活はつづいている」。ぼくらのところに軍の政治部長代理がいて、政治学集会がひらかれていた。きみたちは勝たなくてはならない、といった。勝つったってだれに? 原子力に? 物理学に? 宇宙に? わが国では勝利というのはできごとではなく、過程なんです。人生とは闘いなんです。こんなわけで、ぼくらは洪水や火事……地震を愛してやまない……。必要なのは行動の場、「勇気とヒロイズムを発揮する」ために。そして旗を立てるために。政治部長代理が「高い意識と整然たる規律」という新聞記事を読んでくれたんです。大惨事の数日後、四号炉のうえにもうソ連の国旗がはためいていたと。赤々とかがやいて。数か月後にはそれは高放射能にやられてボロボロになった。旗はふたたび立てられた。その後、またあたらしい旗……。古い旗は自分たちの記念用に引き裂いて、布切れをPコートのしたの心臓の近くにつっこんだ。それから家に持ち帰って……得意げに子どもたちに見せた……。たいせつにしまっていた……。英雄的狂気の沙汰ですよ。しかし、ぼくもまたそういう人間で……ちっともましじゃない。ぼくは頭のなかで思い描こうとした、兵士たちが屋根にのぼるようすを……決死隊員だ。しかし彼らはいろんな思いでいっぱい。まず義務感、そして祖国愛……。ソヴィエト的偶像崇拝だとおっしゃりたい? じつはですね、あのとき、旗がぼくの手にわたされていたら、ぼくもあそこにのぼっただろうということ。んあぜ、って? なぜかなあ。あのとき、ぼくは死ぬのがこわくなかった、もちろん、これも大きな理由のひとつ……。妻は手紙もよこさなかった。半年のあいだ一通も……」

    ヒロイズムに酔い、みずから犠牲になることもいとわず、英雄的行為をしようと押しかける若者たちの長蛇の列の、その先に築かれる「国家」の欺瞞。やりがい搾取ならぬ、ヒーロー願望搾取。かれらが純粋にそれを追い求めようとすればするほど、その願望は、国家によって利用される。ヒーロー待望論の危うさは、そうした犠牲を世間が容認どころか後押ししかねない空気が醸成されるから。でも、ある種のヒーローによってしか、理不尽な世の中に救いがもたらされないのも、おそらく本当で、そのかねあいがむずかしい。

    「あなたは、ヒロシマの「ヒバクシャ」のことをなにかお聞きになっていませんか。原爆のあと生きのこった人びとのことを……。あの人たちはヒバクシャ同士の結婚しかあてにできない。わたしたちの国ではこのことは書かれていない、話されていない。でも、わたしたちは存在している……チェルノブイリの「ヒバクシャ」が……。あの人はわたしを家につれていって、母親に紹介した……。おかあさんはりっぱな人で……工場の経理係です。社会活動をし、反共産主義の集会という集会に顔を出し、ソルジェニーツィンの本を読んでいる。そのりっぱなおかあさんが、わたしがチェルノブイリの娘、移住者家族の娘であることを知ると、びっくりしたんです。「ねえあなた、あなたって子どもを生んでもいいの?」。わたしたちの婚姻届は戸籍登録課にある……。あの人は「家をでるよ。アパートを借りよう」と懇願します。でも、わたしの耳にはおかあさんの声。「ねえあなた、生むことが罪になるって人もいるのよ」。愛することが罪だなんて……。
     いまの彼と知りあうまえ、べつの恋人がいたんです。画家でした。わたしたち、結婚を考えていました。すべて順調でした。あるできごとが起きるまでは。彼のアトリエにいったとき、電話口で大声をだしているのが聞こえたんです。「運のいいやつだなあ! ほんとについてるよ、おまえってやつは!」。ふだんはすごく静かで鈍感なところもあるくらい、感嘆符をつけた話し方なんてしない。それがなんと! つまり、こういうことなのです。彼の友人が学生寮に住んでいる。となりの部屋をのぞくと、女の子がぶらさがっていた。換気扇に結びつけた……ストッキングに……。友人はその子をはずして……救急車を呼んだ……。ところが、こいつときたら息をつまらせてしゃべり、ふるえていた。「信じられないだろ、あいつはすごいものを見たんだ! すごい体験をしたんだ! 女の子を抱えて運んだ……。唇に白いあわ……」。亡くなった女の子のことはなにもいわなかった、かわいそうだね、とも。見て、記憶して……そのあと絵が描きたいだけ。すぐに思い出したんです、そういえば、しつこくたずねられたことがあったわと。原発の火事はどんな色だった? 撃ち殺されたイヌやネコを見た? どんなふうに道路にころがってた? 住民はどんなふうに泣いてた? 彼らが死ぬところを見た?
     そんなことがあってから……。それ以上いっしょにいることも……質問に答えることもできなくなったんです……。(沈黙のあとで)わからないわ、あなたとまたお会いしたくなるかどうか。あなたはわたしをじろじろ見ているような気がするんです、まえの彼のように。観察しているだけ。記憶しているだけ。わたしたちはなにかの実験台にされている。みんなにはおもしろい。そんな思いから解放されません……」

    著者は、この場から逃げたくなったのではないか。こんなにきついインタビューはない。聞き手は傍観者であることを越えられない。共感も、理解も、相手が受け入れてくれなければ、絵に描いた餅。聞く力は、相手に対するリスペクトから、とふだんから肝に銘じているが、場合によっては、それすらも拒否されることがあるということは、忘れないようにしよう。

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「ゴルバチョフのペレストロイカがはじまった……。ぼくたちが長いあいだ待ち望んでいた時代です。最初に気づいたのは、人びとの顔がたちまち変わりだした、どこからかふいにべつの顔があらわれたことです。足取りでさえもかわって、生活が身のこなしのなにかを微修正し、より笑みを交わすようになった。それまでとはちがうエネルギーがあらゆるものに感じられた。なにかが……うん、なにかががらりと変わった。あっという間にそれが起きたのが、いまもふしぎだ。そして、ぼくも……ぼくもデカルト的生活から引きずりだされたのです。哲学書のかわりに新聞や雑誌の最新号を読み、改編された『アガニョーク』の次号が待ち遠しくてたまらなかった。キオスク「ソユーズぺチャーチ」の前には毎朝行列ができていて、ぼくたちがあれほど新聞を読んだことは、あれほど新聞を信じたことは、後にも先にもない。情報が雪崩となっておしよせた……。特別文書館に半世紀のあいだねむっていたレーニンの政治的遺言が公になった。書店の棚にはソルジェニーツィンがあらわれ、つづいてシャラーモフ……ブハーリン……。少し前までこれらの本を所持しているだけで逮捕され、刑期をくらったものです。サハロフ・科学アカデミー会員が流刑地からもどされた。ソ連邦最高会議の会議がはじめてテレビ中継された。全国民が固唾をのんでテレビの前にすわっていた……。ぼくたちは話しに話した……。つい最近まで台所でひそひそ話していたことを、声にだして話した。わが国では何世代の人たちが台所で語りあってすごしたことか! むだにすごしたことか! 夢をみてすごしたことか! 70年あまり……ソヴィエトの歴史のあいだじゅう……。こんどはみなが集会にでた。デモに。なにかに署名し、なにかに反対票を投じた」

    「5月4日……事故後9日目にゴルバチョフが演説した……もちろん、それは戦々恐々、茫然自失だったのです。1941年の……戦争の最初の日々のように……。新聞に書かれていたのは、敵の陰謀と西側のヒステリーについて。反ソ的大騒ぎと、わが国の敵が外国からまきちらしている扇動的なうわさについて。あのころのぼくはというと……恐怖は長いあいだなくて、一か月ほどみなが待っている状態だった。ほら、もうすぐ発表があるはずだよ。わが国の科学者が……わが国の英雄的消防士と兵士が……共産党の指導下でこの度もまた自然の猛威を征服した、未曾有の勝利をおさめた。宇宙の炎を試験管のなかに追いやった、と。恐怖があらわれたのはすぐにではなかった。ぼくたちは長いあいだそれを自分の内に入れようとしなかったのです。ぜったいにそうだ。うん……そうだ! いまはわかるのです。恐怖は、ぼくたちの意識のなかで、平和の原子力と結びつくには無理があったのです。学校の教科書や本で読んだのと……。ぼくたちの頭にある世界像はこんなふう。軍事の原子力は、ヒロシマやナガサキのように、空までとどく不吉なキノコ雲、一瞬で灰と化す人間のことで、平和の原子力、これは無害の電球のことなのだと。ぼくたちの世界像は子どもっぽいものだった。初等読本の通りに生きていた。ぼくたちだけでなく、人類全体がさらに賢くなったのチェルノブイリのあと……。成長した、べつの年齢になったのです」

    「ぼくは「タイタニック号」遭難の映画をなんどか見たことがある。あの映画は、自分で目にしたことを思い出させた。ぼくの目の前であったことを……。チェルノブイリの最初の日々に自分でも体験した……。すべてが「タイタニック号」のようだった、人びとの行動はなにからなにまでそっくり。おなじ心理状態です」

    「ぼくたちのメンタリティ……これはとくべつなテーマです……。ぼくたちにとって、いちばん大切なのは気持ち。それはぼくたちの生活にスケールと高さをあたえるが、同時に破滅的でもあるのです。理性的な選択はぼくたちにとっていつも害になる。ぼくたちは、自分の行動の良し悪しを、理性ではなく心で確かめている。村では庭先にはいるともうお客あつかい。歓迎してくれるんです。気を揉んでいる……。首を横にふっている。「いやあ、新鮮な魚はないし、ごちそうするものがなにもないよ」。「牛乳でも飲むかい。いまカップについであげるよ」。帰そうとしない。家にはいれという。何人かは恐れたが、ぼくは同意した。はいって、食卓についた。汚染サンドイッチをくちにした。なぜなら、みんなが食べているから。小さな酒杯で酒を飲んだ。誇らしく思う気持ちだってあった、ぼくはこんな人間で、できるんだ。やれるんだ! うん……そうなんですよ! 自分にいいきかせていたのです。ぼくにこの人の人生をなにも変えることができないのなら、できるのは、気がとがめないように汚染サンドイッチを共に食することだけ。運命をわかちあうことだけだと。ぼくたちは自分の命とこんなふうに向き合っているのです。ところが、ぼくには妻がいて、子どもがふたりいる。家族への責任がある。ポケットには線量計……。いまはわかるのです、これがぼくたちの世界で、これがぼくたちなのだと。10年前のぼくは、そんな人間であることに誇りを感じていたが、いまはそんな人間であることを恥じている。しかし、いずれにせよ、食卓について、あのいまいましいサンドイッチをくちにするのです。ぼくは考えていた……。ぼくたちは何者なのか、それを考えていたのです。あのいまいましいサンドイッチが脳裏を去らない。食べなくてはならないのです、心ではね、でも理性で、じゃない」

    「彼女は自分の疑念を打ちあけてくれた。「夫は英雄だと、いま書かれています。そうよ、あのひとは英雄よ。でも、英雄ってなんなの。うちのひとは正直で、職務に忠実な将校でした。規律正しい将校でした。チェルノブイリからもどって数か月後に発病したんです。夫はクレムリンで褒賞を授与され、そこで自分の仲間にあうことができた。全員が病人でした。でも、再会をはたせたことをよろこんでいた。しあわせそうに帰宅した……勲章をもって……。そのとき夫にたずねたの。「こんなにひどい目にあわなくてもやれたんじゃないの。健康を守れたんじゃないの」って。「やれただろうな、もっとよく考えていたら」と答えた。「必要だったのはまともな防護服。ゴーグル、ガスマスク。どれもこれもぼくらにはなかった。ぼくら自身だって個人の安全規則を守っていなかった。考えていなかった……」」。あのころ、ろくに考えていなかったのは、ぼくたち全員なのです……。残念でならない、ぼくたちが以前あまり考えていなかったことが……。わが国の文化という観点からすると、自分のことを考えるのはエゴイズム。精神が軟弱。つねに自分よりもっと大きななにかがあるのです。自分の命よりも」

    「ぼくの妻は言語学が専門で、それまで政治には、スポーツ同様まったく関心を示したことがなかった。それがこんどは、いつもおなじ質問をするのです。「なにかわたしたちにできることはないの。この先なにをすればいいの」。で、ぼくたちは、常識で考えればとうてい不可能な仕事にのりだしたのです。人がなにかあのようなことに踏みきれるのは、衝撃の瞬間、内面の完全解放の瞬間がおとずれるときです。あのころ、そういう時代でした……。ゴルバチョフ時代……。希望の時代! 信念の時代! ぼくたちは、子どもたちを救うことにしたのです。ベラルーシの子どもたちがいかに危険な状況でくらしているか、世界に知らせるのです。援助を請うのです。大声をあげるのです。警鐘を鳴らすのです! 政権は沈黙したまま、自国民をうらぎった。ぼくたちは黙っていない。そして……すぐに……あっというまに……信頼のおける協力者と賛同してくれる仲間が集まったのです」
    「このような基金はすでに数えきれないほどあるが、10年前最初にてがけたのはぼくたちなのです。最初の市民の発意……。上のだれからも認可を受けていない団体。お役人の反応はみな一様でした。「基金? 基金ってなんだね? わが国にはそのために保険省がある」
     いまはわかるのです。チェルノブイリはぼくたちを解放していた……。ぼくたちは自由の身であることを学んでいたのです……」

    「そういえばこんなことがあった……。ヴェトカ地区でのできごとです……。若い家族が……みんなのように、びん詰めのベビーフードとジュースのパックを受けとった。男性がすわって泣き出したのです。これらのびん詰めやパックは彼の子どもたちを救うことはできない、これっぽっち、なんになるかと手をふってもいいのです。しかし、彼は泣いた、自分たちが忘れられていないことがわかったからです。覚えていてくれる人がいるy。すなわち、まだ希望があるのだと」

    だから、リメンバー・ミー。

    「ぼくたちのメンタリティについての会話を続けましょう……。ソヴィエト的メンタリティの。ソヴィエト連邦がたおれた……崩壊した……。それなのにやはり長いあいだ待っていたのです、大きくて強くて、もはや存在せぬ国の援助を。ぼくの見立て……。いいましょうか。社会主義とはーー刑務所と幼稚園の混合物、これなのです、ソ連の社会主義は。人は国家に魂、良心、こころを引きわたし、見返りに配給品をもらっていた。運は人それぞれ、ある人の配給品は大きくて、ある人のは小さい。等しいのはひとつだけ、それが魂とひきかえに支給されるということです。ぼくたちがなによりも懸念していたのは、われわれの基金の活動がこのような配給品の分配にならないように、ということでした。チェルノブイリの配給品の。住民はすでに待つこと、不平をいうことになれていましたから。「わたしはチェルノブイリ人だ。もらえるはず。だってチェルノブイリ人だから」。いまはわかるのです、チェルノブイリ、これはぼくたいの精神にとっても一大試練だったのです。ぼくたちの文化にとっても」

    みずから考えることを放棄するのは、そうしたほうが生存上有利だから。目の前の環境に(過剰)適応するのは、進化をへてきた人間の当然の行動。考えることでなにかが変わるなら、人間は考えるようになるし、考えてもなにも変わらないなら、人間は考えないようになる。指示待ち人間。与えられた課題はこなすが、みずから進んで課題を見つけ解決しようと動き出せない人。

    「わが国の民衆は、いままでずっと恐怖のなかで生きてきたのですーー革命、戦争。あの血まみれの吸血鬼……スターリン……悪魔ですよ! こんどはチェルノブイリ……。で、あとになってわたしたちはふしぎがるのです、なぜわが国の人間はこうなんだろう。なぜ自由でないんだろう、なぜ自由をおそれておいるんだろう。だって国民は、皇帝の支配下で生きることのほうに慣れているのです。父なる皇帝の支配下で。皇帝は、書記長とか大統領とか呼ばれたりしますが、結局はおなじこと」

    「働かなくてはなりません。考えなくては。ちいさな歩みでいいのです、でも、ごこかによじのぼらなくては、前に進まなくては。ところが、わたしたちは……。わが国はどうですか。わたしたちときたら、ひどいスラブ的なまけ癖のせいで、自分の手でなにかを創りだす可能性よりも、どちらかというと、奇跡がおきるのを信じている。自然界に目をむけなさい……。自然界に学ばなくてはなりません……。自然界は努力し、みずから浄化し、わたしたちを助けている。人間よりも理性的にふるまっている。太古の均衡をめざしている。永遠性を」

    「わたしたちの研究所にモスクワから若い科学者がやってきて、チェルノブイリ・プロジェクトに参加する夢をもっています。ユーラ・ジュチェンコさん……。身重のおくさんをつれてきたのです……。妊娠5か月の……。だれもがあきれはてています。どうして? なんのために? 地元民が逃げ出しているのに、よそからやってくるなんて、と。それは真の科学者だからです。彼は、必要な知識をもつ人間はここでくらせることを証明しようと思っている。必要な知識をもつ、自分をまげない、これらふたつこそ、わが国でもっとも評価が低い性質です。わたしたちは、機関銃に身を投げることならできる。松明を手に疾走することなら。でも、ここでは、キノコじゃ水につけて毒抜きをし、じゃがいもは一度ゆでこぼさなくてはいけない……。ビタミン剤をきちんと飲まなくてはいけない……。キイチゴは研究所にもっていき検査しなくてはいけない。灰は土に埋めなくてはいけない……。わたしはドイツに行って、一人ひとりのドイツ人がていねいにゴミの分別をしているのを見ました。このコンテナには白いガラスびん、ここへはみどり色の……。牛乳パックのキャップははずしてプラスチックゴミ、パック本体は紙ゴミ。カメラの電池はまたべつのところ。生ゴミは生ゴミだけで……。人間が仕事をしているのです……。わが国の人間がこのような仕事をしているところなんて、想像できません。白いガラス、赤いガラスーーこんなのはつまらなくてみじめな仕事。ばかやろう、ふざけんなと。シベリアの河川の流れを逆行させるのなら、やるのです……。なにかそういうことなら……。「肩よ、ひろがれ、腕よ、ふりあがれ……」。そうはいっても、わたしたちは自分を変えなくてはなりません、生き残るために」

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「じつは、ある男と議論したことがあって……。彼の言い分はこうでした。これは、わが国では命の価値がきわめて低いことと関係している。アジア的運命論だ。自分を犠牲にする人間は、自分が、もう二度とあらわれることのない唯一無二の比類なき個だということを感じていない。役割に焦がれている。かつて彼はせりふのない人間だった、端役だった。彼には筋書きがなかった、背景だった。ところが、ここにきて彼は突如主役におどりでた。意義に焦がれている。わが国のプロパガンダとはいったいなにかね。わが国のイデオロギーとは。命を捧げよ、そのかわりに意義を得よ。たたえられる。役が与えられる! その死には大きな価値がある、死とひきかえの永遠だからね。彼はぼくを説得しようとした。いくつか例をあげて……。しかし、同意するもんか! ぜったいに! たしかに、ぼくたちは兵士たるべく育てられた。そういう教育だった。つねに心構えができている、つねになにか不可能なことにむかう用意がある」

    「チェルノブイリの映像記録は、ないと思ってもいいくらいですよ! 撮影は許されず、すべてが機密扱いだった。もし、カメラでなにかをうまくとらえた人がいても、しかるべき機関にすぐさま没収され、返却されるのは消去済みのフィルムでした。わが国には、住民の疎開のようす、家畜の運搬のようすを撮った映画はないのです……。悲劇の撮影は禁じられていて、撮影されていたのはヒロイズムなんですよ!」

    「わたしが教えていた文学、それは人生についてではなく、戦争について。死についてでした。ショーロホフ、セラフィーモヴィチ、フルマーノフ、ファジェーエフ……ボリス・ポレヴォイ……」
    「朝から晩まで土を掘っていました。家に帰る途中、町の商店は営業していて、女たちがストッキングや香水を買っているのが奇妙に思えました。わたしたちの心には、すでに戦争が住んでいたのです。だから、パンや塩、マッチを求める行列がとつぜんあらわれたときのほうが、ずっとわかりやすかった。みんながあわてて乾パンを作りはじめたときのほうが……。1日に5回も6回もぞうきんで床を拭き、窓の隙間をふさぎました。ラジオをいつも聴いていました。わたしは戦後生まれですが、この行動に覚えがあるような気がしました。自分の気持ちを分析してみながら、ひどくおどろいたのは、あれほど早くわたしの心理状態がきりかわったことです、なにかふしぎと戦争体験に覚えがあったのです。想像できたのです、わたしが家を去っている、子どもたちをつれてでていく、どんな物を持っていくのか、母になんと手紙をかくのか。まわりでは、まだいつもの平和なくらしがながれていて、テレビではコメディ映画をやっていましたけれど。
     わたしたちにそっと教えていたのは、記憶……。わたしたちはいつも恐怖のなかで生きていた、恐怖のなかで生きるすべを心得ている。これは、わたしたちの棲息環境なのです。
     これにかけて、わが国民にならぶ者はいません……」

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「だれよりも気の毒なのは、農村の人たちです。なにも悪いことはしていないのに犠牲になった、子どものように。チェルノブイリを発明したのは農民ではない、彼らは自分たちなりに自然とかかわってきたのです。それは100年前、1000年前のように、信頼に満ちたもちつもたれつの関係なんです。神が意図されたとおりの……。だから、彼らはなにが起きたのかわからず、司祭を信じるように、科学者や知識人ならだれでも信じようとした。なのに、繰りかえし聞かされたのは「万事順調。心配なことはなにもない。ただ食事の前に手を洗いなさい」。わたしが理解できたのはすぐにではなくて、数年後……わたしたち全員が加担していたのだと……犯罪に……。(沈黙)
     支援物資や住民への特典として、コーヒー、肉の缶詰、ハム、オレンジなどが、汚染地に送られていましたが、すべて持ちだされていたんです。考えられないほどの量が。箱ごと、有蓋トラックごと。当時、このような食品はどこにもありませんでした。ふところを肥やしていたのは地元の店員たち、検査員の一人ひとり、全員が中なり小なりの役人でした。人間は、わたしが思っていた以上に悪かった。そして、わたし自身もまた……自分が思っていた以上に悪い……。いまはそれがわかっている……。(考えこむ)もちろん、お話しします……。わたし自身にとっても重要なことですから……。また一例ですが……ある集団農場に、まあ、五つの村がはいっているとしましょう。三つは「きれい」で、二つは「汚れている」。村と村のあいだは2、3キロ。二つの村には「棺桶代」(補償金)が払われているが、三つの村にはない。「きれいな」村に畜産総合センターが建てられているんです。きれいな飼料が運ばれてくるのだと。そんなもの、どっからとってくるんですか。こっちの畑からあっちの畑へほこりを運んでいる。おなじ土なんです。センターの建設には書類が必要です。それに署名するのは委員会で、わたしは委員のひとりなのです。どの委員もわかっている、署名をしてはいけない。犯罪だと! 結局、わたしは自分にいいわけをみつけていたんです、きれいな飼料の問題は、自然保護監督官の仕事じゃないわ。わたしは小さな人間だもの。なんいもできない、と。
     一人ひとりが自分にいいわけをみつけていた。弁明を。そのような経験を自分でしていました……。そもそも、わたしはわかったんですーー現実では恐ろしいことは静かにさりげなく起きるのだと……」

    「かつて、わたしは英雄たちがうらやましかった。偉大なできごとに参加した人たち、時代の変わり目、転換期にいあわせた人たちが。わたしたちは、あのころそんな話をし、そんな歌をうたっていた。歌はうつくしかった。(中略)わたしたちの歌って、歌詞がうつくしかった。あこがれていたの! 残念だったわ、なんでわたしは、1917年や41年に生まれなかったんだろうって……。でも、いまは考えかたが変わった。歴史を生きたいとは思わない、歴史的な時代を生きたいとは。わたしの小さな命は、そういうとき、たちまち無防備になる。偉大なできごとは、小さな命に気づかず、それを踏んづける。立ち止まりもせずに……。(じっと考える)わたしたちのあとに残るのは、歴史だけ……。チェルノブイリが残るんです……。わたしの生きた証はどこなの。わたしの愛した証は」

    「わたしの友人は医者や教員です。地元のインテリたち。(中略)大の親友がふたりすわっていて、ひとりは医者。ふたりとも小さな子どもがいます。
     Aさん。「あした両親のとこに行くの。子どもたちをつれだすわ。あの子たちが病気になったら、ぜったいに自分を許せないから」
     Bさん。「新聞にでてるわ。数日後に状況は正常になるって。あそこには軍隊がいる、ヘリコプター、装甲戦闘車が。ラジオでそういってた……」
     Aさん。「あなたもそうしなさい。子どもたちをつれて、でていきなさい! かくしなさい! 戦争よりもっとこわいことが……なにか起きたのよ……。わたしたちには想像もつかないことなのよ、それがなんなのか」
     思いがけずふたりの語気があらくなり、けんかになってしまいました。相手を責めながら、
    「あなた、母性本能はどこにいっちゃったの。わからずや!」
    「あなたは、裏切り者よ! 一人ひとりがあなたみたいなことやってたら、わたしたちはどうなってた? 戦争に勝てたと思ってんの?」
     わが子をこよなく愛している若くてうつくしい女性がふたり、いい泡剃っていた。なんだかおなじようなことが繰りかえされていた……。聞き覚えのある言葉……。
     その場にいた全員が……とりわけわたしが感じたのは、その音楽が不安をもたらしている。わたしたちの平静をうばっている。わたしたちが信頼することに慣れていたすべてのものへの信頼をうばっているということ。待つべきなのです。指示があるまで、発表があるまで。Aさんは医者で、人より多くを知っていた。「自分の子どもも守れないでどうするの! あなたたちをおどす人なんて、だれもいないんじゃない? それなのにやっぱりおそれているのね!」
     あのとき、わたしたちがどんなにAさんを軽蔑したことか、憎みさえしたんです。わたしたちの集いをぶちこわしてしまったと。わたしのいっていること、わかりにくいですか。わたしたちにうそをついていたのは、政府だけではないんです、わたしたち自身もほんとうのことを知りたくなかった。どこか……潜在意識の奥底で……。もちろん、わたしたちはいまそれを認めたくない、ゴルバチョフの悪口をいうほうが好きなんです……共産主義者の……。悪いのはあの人たちで、わたしたちはよい人間。被害者なのよって。
     つぎの日、Aさんは町をでていき、わたしたちは子どもに晴れ着をきせて、メーデーの行進につれだしました。行ってもよかった、行かなくてもよかった。どちらでも好きにできたんです。強要する人も要求する人もいませんでした。しかし、わたしたちは自分たちの義務だと考えていました。そりゃそうでしょ! あのようなとき、あのような日……全員がいっしょにいるべきです。わたしたちは通りへいそいだ、群衆のなかへ……」

    誰かの言葉をうのみにせずに疑うためには知識がいる。でも、その知識が偏った教育の賜物でしかなかったとしたら。教科書に書いてあるから、新聞に書いてあるから、政府要人が発言しているから、正しい? どれも間違っている可能性があるし、どれもウソがまぎれているおそでがある。できるだけ広く深く、世の中を、自然を、科学を、テクノロジーを知る。「自分の子どもも守れないでどうするの!」。善意だけでは、自分の子どもも、自分の家族も、自分の身も守れない。知識を。聞く耳を。疑う心を。考える力を。

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「われわれ全員がこの体制の一部だった。信じていたのですよ。高い理想を信じていた。われわれの勝利を! チェルノブイリに勝つんだ! 身体を張ってやればーー勝てると。暴走する原子炉を鎮めようとする英雄的な闘いの記事をむさぼり読んだものです。政治学習会がおこなわれていた。理念をもたないわが国の人間とは? 大きな夢をもたないわが国の人間とは? それもまたおそろしいものだ……。ごらんなさい、いまなにが起きていますか。崩壊。無政府状態。ばかげた資本主義……。しかし……判決は下された、過去に対して……われわれの全人生にたいして……。残ったのはスターリンだけだ……。収容所群島と……。あの時代の映画はすばらしいものでしたよ。しあわせな歌でしたよ。おしえてください、なぜなのか。わたしに答えてください……。少し考えて、答えてください……。なぜいまはあのような映画がないのですか。なぜあのような歌がないのですか。人を鼓舞しなくてはならない、士気を高めなくては。理想が必要なのです……。そうすれば強い国家になります。ソーセージは理想にはなりえない、満杯の冷蔵庫は理想ではない。メルセデスも理想ではない。必要なのはかがやく理想なんですよ! わが国にはそれがあったのです。
     新聞で……ラジオで、テレビでさけんでいた。真実を、真実を! 集会で要求していた、真実を! 悪い、ひじょうに悪い……。ひじょうに悪い! われわれはもうじきみんな死んでしまう! 民族が消えてしまうと! 真実がだれに必要ですか、このような真実が。フランス国民公会に群衆がなだれこんで、ロベスピエールの死刑を要求したとき、彼らがほんとうに正しかったといえるのですか。群衆にくみし、群衆になることが……。われわれは、パニックを許してはならなかった……。私の仕事……務めだ……。(沈黙)わたしが犯罪者だというのなら、なぜわたしの孫むすめは……。わたしのあの子は……。あの子も病気なのです」

    真実がこんなに酷いと知ってたらブルーピルを飲んだのに。モーフィアスに騙された、というサイファーのゆがんだ他人事感も人間くさいが、こんな酷い真実はふせておいたほうが人民のためだというときにの「人民」からは、つねに自分を除外していることの矛盾に気づけない人は、その謎の「上から目線」が信用ならないんだということに、一生気づかないのかもしれない。なぜ自分は知ってよくて(知るのが当たり前で)、他の人は知ってはいけないのか。情報の非対称性は持てるものと持たざるものを選り分け、持てるものにはつねにパワーが宿ることを、みんなうすうす気づいている。その情報がだれの手にわたってもよいかを決めるのは、少なくとも、おまえではない。

    「あんたの研究所の放射線測定員はなんだね、町を走り回って、パニックの種を撒き散らしておるじゃないか! わたしはモスクワに指示をあおいだんだ、インリン・科学アカデミー会員に。ここは万事順調だ……。決壊箇所には軍隊、軍用車、軍用機が投入されている。原発では政府委員会、検察庁が活動している。あそこで解明している……。冷戦中だということを忘れるな。われわれは敵に囲まれているんだ……」
     わたしたちの大地にはすでに、数千トンのセシウム、ヨウ素、鉛、ジルコニウム、カドミウム、ベリリウム、ホウ素、量不明のプルトニウム(チェルノブイリ原発のようなウラン・黒鉛原子炉RBMK型では、原子爆弾の原料となる兵器用プルトニウムがつくられていた)が積もっていたーーぜんぶで450種類の放射性核種が。これはヒロシマに投下された原子爆弾350個に相当する量です。物理学について話す必要があった。物理学の法則について。ところが、話されていたのは敵のこと。敵をさがしていたのです。
     この責任は早晩とることになるのです。「あなたはいつの日か釈明することになりますよ」。わたしはスリュニコフにいった。「自分はトラクターは作れるが(彼はトラクター工場長だった)放射能にはうとかったんだと。だが、わたしは物理学者なんです、結果がどのようなものかわかっているのですよ」。しかし、これはいかがなものか。一介の教授、物理学者らが党中央委員会にあえてもの申すというのは。いやいや、彼らはギャングの一味ではなかった。どうみても無知とコーポラティズムの結託。彼らの生活方針、機関で身につけたことはーーでしゃばらないこと、ご機嫌取りをすること。スリュニコフはちょうどモスクワへ栄転することになっていた。それも近いうちに! 電話があったのでしょう、クレムリンの……ゴルバチョフから……。きみたちベラルーシ人は、そっちでパニックを起こさないでくれたまえ、ただでさえ西側が騒いでいるのだからと。ゲームのルールはこう。うえにいるおえらがたの気に染まぬことをすれば、昇進はストップし、割りあてられるのはべつの旅行クーポン、べつのダーチャ……。気に入られなくてはならないのです……。もしわが国が、以前のように閉鎖体制のまま、鉄のカーテンに囲まれたままだとしたら、住民はいまだに原発のすぐとなりでくらしていただろう。極秘にされていただろう! 思い出してください、キシュティム(ウラル地方にある核廃棄物貯蔵所、1957年に核爆発事故が起きた)、セミパラチンスク(旧ソヴィエト連邦カザフ共和国の核実験場を……。スターリンの国。依然としてスターリンの国なのですよ……。
     核戦争危機対応マニュアルでは、ただちに住民にたいしてヨウ素剤予防投与を実施するように指示されています。危機のときに、ですよ! ところがいま……毎時3000マイクロレントゲン……。しかし、彼らが心配しているのは人びとのことではなく、政府のこと。政府の国であって、人びとの国ではないのです。国家の優先性が明白だ。人の命の価値がゼロにされていた。方法はあったのですよ! わたしたちは提案していた……。公表なしで、パニックなしで……。飲料水がとられている貯水池にヨウ素剤をいれるだけ、牛乳に添加するだけ。まあ、水の味……牛乳の味がちょっと変だと感じるかもしれないが……。ミンスクには700キログラムのヨウ素剤が準備されていた。倉庫に眠ったままだ……。貯蔵庫に……。上からの怒りのほうが原子よりも恐怖なのです。一人ひとりが電話や命令を待っていたが、自分からはなにもやらなかった。個人責任という恐怖です」

    オーディブルはスヴェトラーナ・アレクシエーヴィ『チェルノブイリの祈り』の続き。

    「わたしは技師として化学繊維工場で働いていて、そこにはドイツの専門家グループがいました。新プラントの調整をしていたのです。わたしは、よその国の人、ほかの民獄がどうふるまうかを知ったのです……ほかの世界の人たちが……。彼らは事故を知るやいなや、すぐに要求した。医者をつけてくれ、線量計を支給してくれ、食事の検査を毎回やってくれ。彼らはドイツのラジオを聞いていて、どう行動すべきかを知っていた。もちろん、なにも与えられなかった。すると、トランクに荷物をつめて、帰国の支度をした。切符を買ってくれ! 帰国させてくれ! ぼくらの安全が保証できないのなら帰国する、と。ストライキをし、電報を打ちはじめた、自国の政府に……大統領に……。彼らは闘っていた、ここでいっしょにくらしている妻と子を守るために。自分の命を守るために! で、わたしたちのほうは? わたしたちのふるまいはどうだった? おやおや、ドイツ人ってなんて人たちなの、ヒステリー持ち! 臆病! ボルシチの放射線量を測っている、ハンバーグの……。よほどの必要がないかぎり屋外にでない……。ああ、ゆかい! そこへいくとわが国の男たちは、これぞ男! さすがロシア男子! 命知らずよ! 原子炉と格闘中! 捨て身で立ちむかっている! 溶けた屋上にのぼっている、素手あるいは防水布のミトンをはめて(わたしたちはすでにテレビでそれを見ていた)。子どもたちは小旗をもってデモ行進に行ってる! 退役軍人たちも……。古つわものよ! (じっくり考える)けれど、これもまた一種の無知なんです。わが身にたいする恐怖心の欠落というのは。わたしたちはいつも「われわれ」といい、「わたし」とはいわない。「われわれはソ連人のヒロイズムを誇示しよう」「われわれはソ連人の気質を見せよう」。全世界に! でも、これは「わたし」よ! 「わたし」は死にたくない……「わたし」は恐れている……。
     いま自分や自分の気持ちをたどるのは興味深いことです。それがどう変化していたか。分析するのは。だいぶ前に、まわりの世界により注意深くなっている自分に気づいたんです。自分のまわりと内なる世界に。チェルノブイリのあと自然にそうなっている。わたしたちは「わたし」で話すことを学びはじめた……。「わたし」は死にたくない! 「わたし」は恐れている……。でも、あのときは? わたしはボリュームを大にしてテレビをつける。生産性向上競争に勝った搾乳婦たちに赤旗が授与されている。でも、これってここのこと?」

    「ときどき住人をみつけることがある……。でも、彼らが話すのはチェルノブイリのことじゃない、自分たちがだまされたということです。もらうべきものをぜんぶもらえるんだろうか、ほかの人はもっとたくさんもらうんじゃないかと、彼らは気が気じゃない。わが国の国民は、だまされているという思いをいつも抱いているんです。長い道のりのあらゆる段階において。一方では、ニヒリズム、否定、他方では宿命論。権力を信じない、科学者も医者も信じない、そのくせ自分ではなにもやろうとしない。無邪気で周囲に無関心な人びと。苦悩そのもののなかに意味といいわけがみつかる。それ以外のすべてはたいして重要じゃないみたいです。農地にそって「高放射能」の立て札が並ぶ。農地が耕されている。30キュリー……50キュリー……。トラクターの運転手たちは吹きさらしの運転席にすわり、放射能のほこりをすっている……。10年が過ぎたのに、いまだに機密運転室付きのトラクターがないんです。10年もたったんですよ! わたしたちってなに者ですか。汚染された大地に住み、畑を耕し、種をまいている。子どもを生んでいる。それならわたしたちの苦悩はなんのためだったんだろ。この頃これについて友人たちといろいろ議論するんです。たびたび意見を交わしています。なぜなら、立入禁止区域というのは、レム、キュリー、マイクロレントゲンのことじゃない。これは国民。わたしたち国民のことだから。チェルノブイリは、わたしたちの、一度は死にかけた体制を「たすけて」しまった。また非常事態なーんちゃって……。分配。配給品。「あの戦争がなかったら」とかつて頭にたたきこまれたように、いままたすべてをチェルノブイリのせいにする手がでてきたんです。「チェルノブイリがなかったら」と。すぐに目をうるませるーー悲しんでいるかのように。ちょうだい! わたしたちにちょうだい! 分けるものがあるように。えさ箱よ! 避雷針よ!」

    「これは用意された未来なんです。しかし、未来にパラシュートでおりることはできない……。住民は原始人に変えられてしまった……。地べたにすわって待っているんです、飛行機が飛んできて、バスがやってきて、支援物資が運ばれてくるのを。チャンスが与えられたことをよろこべばいいのに。自分は地獄から抜けだせた、家がある、きれいな土地がある、だから、血液にも遺伝子にもすでにチェルノブイリがはいりこんでいるわが子を救ってやるんだ、と。彼らが待っているのは奇跡……。教会に通っている。神さまになにをお願いしていると思いますか。おなじことーー奇跡……。神さま、どうか健康を、どうか自分でなにかをやりとげる力をください、ではないんです。頼むのに慣れている……外国に頼んだり、天に頼んだり……。
     彼らはこれらのコテージに住んでいる、檻のなかに住むようにして。それらはくずれかけている、ばらばらになりそうです。そこでくらしているのは自主性をもたない人間。命運のつきた人間。うらみと恐怖のなかでくらし、自分ではクギも打とうとしない。共産主義を望んでいる。待っている。汚染地に必要なのは共産主義……。そこではすべての選挙で「強硬な腕」に投票し、スターリン体制をなつかしんでいる、軍事体制を。それは彼らにしてみれば、公平の同義語なのです。そこではくらしも軍隊ふう。警察の監視所、軍服を着た人びと、検問制度、配給品。支援物資を分配する役人たち。箱にはドイツ語とロシア語で書かれている。「交換禁止。販売禁止」。たいていいつも売られているんです。どこの民営販売店でも……」

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