大事なものから捨てなさい メイコ流 笑って死ぬための33のヒント [Kindle]

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  • 中村メイコさんの死生観に共感した。私もこうありたいなぁという見本が一つできた

  •  
    ── 中村 メイコ《大事なものから捨てなさい ~ メイコ流 笑って
    死ぬための33のヒント 20210803 講談社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/B09B72FZHF
     
    https://twilog.org/awalibrary/search?word=%E4%B8%AD%E6%9D%91%20%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%B3&ao=a
    ♀中村 メイコ 女優/声優 19340513 東京 /神津 五月(旧暦0401生)
    http://www.enpitu.ne.jp/usr8/bin/search?idst=87518&key=%C3%E6%C2%BC+%A5%E1%A5%A4%A5%B3
     
    …… 79歳でトラック7台分を処分。でも、美空 ひばりさんとの思い出
    は棺桶に。婦人公論.jp
    >>
     今、終活としての断捨離や、親が元気なうちに親家片(おやかた。親
    の家の片づけのこと)を始める人が多いとか。一方、1934年生まれの中
    村メイコさんのご自宅にも榎本健一さんからもらったキューピー人形や、
    東郷青児さんが書いてくれた似顔絵など、たくさんの宝物があったそう
    ですが、79歳の時に決断。「思い出深いものから捨てないと人生の最後
    を身軽に生きられない」とトラック7台分のモノを手放したそうです。
    そんなメイコさんでも捨てられなかったものはあったそうで――。
     
    【写真】かわいい! 紅白歌合戦の紅組司会を務めた26歳の頃のメイコ
    さん
     
     田中 角栄さんからもらったお皿;捨てたり、あげたりして、あらゆ
    るものを手放してきたが、手放せないものもある。田中角栄さんからも
    らったお皿がその一つだ。ご自身のサインの上に「メイコちゃんへ」と
    書かれてある代物だ。
     
     角栄さんは昭和三十二年に戦後初の三十代の国務大臣として郵政大臣
    に就任して、テレビ局の放送免許を管轄するトップになった。ちょうど
    その頃、雑誌で対談していたら、いったん席をはずした角栄さんが興奮
    した顔で戻ってきて、「今、テレビの民放を認可した。メイコ、お前は
    記念すべき日にここにいた。テレビの申し子だ」と言われた。
     
     自分で言うのもおこがましいが、私と角栄さんとは気が合った。毀誉
    褒貶のある方だったが、私にとってはきっぷのいいおじさんで、魅力的
    なかわいい人だった。夫はよく「中村メイコと一緒に暮らせるのは、自
    分以外では角栄さんしかいない」なんて言っていた。
     
     異常な額のお年玉;子どもたちを連れ、目白の自宅まで年始の挨拶に
    行ったこともある。
     
    「ほら、カンナちゃん、ハヅキちゃん」と娘たちにお年玉をくださるの
    だが、その額が異常に大きい。
     
    「こんなにおカネをあげるなんて、子どもにとってよくないんですよ。
    これだけちょうだいします」と私がお札を一枚だけとって、残りを返す
    と「そうか。そういうものなのか。じゃあ、メイコちゃんにも用意して
    おいたんだけど、同じ額にしよう」と言われてしまった。
     
     今さら「いえいえ、大人はたくさんもらってもいいんですよ」とも言
    えず、焦ったものだ。角栄さんとの愉快な関係を伝えるものとして、お
    皿は手元に残しておきたいと思っている。
     
     徳川 夢声さんからもらった虫眼鏡で見たもの;徳川 夢声さんの虫眼
    鏡も手元に残してある。昭和十七年五月、私は徳川夢声さんの一座と興
    行で九州に向かっていた。その途中、乗っていた列車が爆撃を受けた。
     
     九死に一生を得た私たちがなんとか下関に着き、門司港で汽船を待っ
    ているときのこと。ちょうどその日が私の誕生日で、いつもだったら家
    でパーティをしてもらうのに、戦時下のわびしさに心がふさいだ。
     
     そんな私の気持ちを知った夢声さんが私を街に連れ出して買ってくれ
    たのが、銀色の携帯用虫眼鏡だった。私はもっと女の子っぽいかわいい
    ものが欲しかったのでふくれっ面をしていると、夢声さんはこんなこと
    を言った。
     
    「虫眼鏡は何でも拡大して見えるんだよ。楽屋の畳のヘリでもアリンコ
    でも、見てごらん」
     
     その興行の間、私は何でもかんでも拡大して見た。それはことのほか
    面白く、私の世界を広げてくれた。
     
     後年、結婚の仲人を夢声さんにお願いしたとき、私はこんなことを言
    った。
     
    「先生にいただいた虫眼鏡で拡大してよく観察した結果、この人と結婚
    することに決めました。つきましてはお仲人をお願いできないでしょう
    か」
     
     虫眼鏡は小さな品なので、捨てずに残してある。今でもときどきその
    虫眼鏡で、家の中のいろいろなものを拡大して見て楽しんでいる。
     
     正反対だったからこそ気が合ったひばりさん:そしてなにより、美空
    ひばりさんとの思い出の品々も手放すことはできないものだ。手紙や小
    さな時計などかさばらないものばかりなので、「私が死んだら一緒にお
    棺に入れてちょうだい」と長女に頼んである。
     
     ひばりさんと知り合ったのは、私が十六歳、彼女が十三歳のときだっ
    た。『月刊平凡』で彼女と対談した私は開口一番こう言った。
     
    「私たちもお休みのときくらい、ボーイフレンドとデートして、お揃い
    のセーターを着たり、腕を組んだりして歩きたいわよね」
     
     すると彼女は、しっかりした口調でこう答えたのだ。
     
    「私はそうは思わないわ。私たちは夢を売る商売なのだから、ファンの
    皆さんが嫌がることはするべきじゃないわ」
     
     なんて気味の悪い、憎たらしい女の子だろうと思ったものだ。
     
     その後は忙しくて顔を合わせることもなかったのだけれど、成人して
    再会すると、些細なことから意気投合して二人でお酒を飲み歩くように
    なり、親友になった。
     
     ひばりさんは年下だが、弟と妹がいるので「しっかり者のお姉さん」。
    一方私は「一人っ子の甘えん坊」。性格は正反対だったが、だからこそ
    気が合ったのかもしれない。
     
     ひばりさんが入院前日にかけてきた電話;昭和六十三年四月、大病し
    たひばりさんが東京ドームで復活公演をしたときは、このまま元気になっ
    てくれると期待した。ところが翌年、年号が平成に替わった二月から始
    まった全国ツアーは、わずか二回で中止になった。
     
     肝硬変が悪化したのだ。療養中のひばりさんは自宅で好きな絵を描い
    て過ごしていたようだが、再度入院することが決まった。
     
     入院前日の夜、私のもとに電話がかかってきた。
     
    「メイコ、今、試しに布団を被って、『リンゴ追分』を歌ってみたんだ
    けど……。ワンコーラス歌うだけで息が苦しいの。あの美空 ひばりが、
    だよ」
     
     電話を切った後、私は娘のカンナの部屋に行って一晩中、泣いた。
     
     ひばりさんがくれた宝物が道しるべ:ひばりさんが亡くなったのは、
    それから間もなくのことだった。亡くなったという知らせを受けて病院
    に駆け付けたところ、息子の和也さんから渡されたモノがあった。黒い
    サングラスと黒いハンカチだ。そしてそこには、ひばりさんの字で書か
    れたメモが添えられていた。
     
    「泣き虫メイコが来たら、これを渡してください」
     そのサングラスで隠し切れないくらいの涙を、私は流した。
     ハッピーに生きてきた私にとって、ひばりさんの死はいちばん悲しい
    出来事だった。
     
     でも、ひばりさんのおかげで死ぬことが怖くなくなった。だって死ね
    ば、美空ひばりに会えるのだから。
     
     ただ心配なのは、ひばりさんがちゃんと迎えに来てくれるかどうかと
    いうことだ。彼女も私もとんでもなく方向オンチだから。ひばりさんの
    くれた宝物が、道しるべになってくれるかな。
    http://a.msn.com/01/ja-jp/AAMGq1U?ocid=st
    <<
     
    ── 中村 メイコ《人生の終いじたく 20120510 青春出版社》
    http://booklog.jp/users/awalibrary/archives/1/441309543X
     
    (20210729)
     

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著者プロフィール

女優。作家の故・中村正常の長女として東京に生まれる。2歳8ヶ月で映画「江戸っ子、健ちゃん」でデビュー。1957年、作曲家・神津善行氏と結婚。長女・十月(カンナ)、次女・八月(はづき)、長男・善之介の一男二女の母。舞台、ドラマ、映画、ラジオ、執筆と幅広く活躍中。著書に『老妻からのラブレター』(家の光協会)『五月蝿い五月晴れ』(東京新聞出版局)など。

「2006年 『メイコとカンナのことばの取説』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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