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感想・レビュー・書評
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ずっと気になってた作品、映画が公開される前に読みました。
平野啓一郎氏の作品は初読み。
夫が事故死の後、しばらく経って夫の実家に連絡すると、義兄が「これは弟ではない。別人だ」と言われ困惑する妻。
夫は誰だったのか。
依頼された調査をする弁護士・城戸が主人公。
彼は誰なのか調査する人物をXと名付け、弁護士としての様々な案件をこなしながらXについて深く嵌まり込んでいく。
彼は特に気にしていたわけではないが在日3世である。
調査のためにあちこち出向くとヘイトスピーチやどちら側からも差別感情に行き当たることもある。
ミステリー要素もあるけれど、社会問題や震災後の支援する気持ち、死刑制度反対など城戸は自分の考えと妻の考えの違いを深く見つめようとするし、登場するいろんな立場の人の感情と生き方とか、難しいことを難しくなく考える過程を見せてくれていて、それがとても面白く読めました。
描写が、特に人の容姿とか丁寧でイメージしやすい。映画のキャストを見たら妻夫木聡が城戸の役だとわかって、彼をイメージしながら読んだ。
久しぶりに読み耽った。読んで良かった。
映画も観る!!
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映画版を先に観てしまったが、原作も読んでみた。
率直に言ってこの原作のほうが圧倒的に良かった。
何より、登場人物の人間関係というのがやはり映像では表現するのが難しいためか、原作のほうが深みがある。
また、映画版では、原作に出てきた問題含みのセリフは避けられている。
まず読み始めて思ったのは、作者の平野啓一郎氏は世間というものをよく知っているなあ、というものだった。そこに感心した。
典型のようなものをよく知っている。
ちょっとトルストイの小説の登場人物を思い出した。
そう書いて改めて思ったけど、平野小説は倫理的だ。ただし、その倫理の枠というものををいくらか踏み越えようとする運動から成り立っている。そこに批評性がある。
登場人物の心性は典型的。しかし彼ら彼女らは倫理の境界を行き来することで、それぞれが何らかの悟りを得る。
文学の効用ということも匂わせつつ、私小説的なものにも目配せしつつ、『変身物語』や芥川の短編をうまく使ってちょっと教養も織り交ぜつつ、恋愛小説的な設定もありで、とてもバランスのとれた語りになっている。
いちおう、作家である「私」が城戸さんという人からバーで聞いた話という設定になっている。
が、本編では三人称。この城戸さんの視点が中心にあるものの、ときどき視点が依頼者の里枝などに移る。
この視点のバランスは映画版でもわりと踏襲されていたように思う。
もうひとつ。原作と映画版の違いは、原作では、城戸が帰化した在日韓国人3世であるという出自と複雑な心情がより深く掘り下げられていること。映画版を思い返してみて、どうしても「逃げたな」と思ってしまう。
それをいちばん感じたのは、城戸と小見浦が横浜刑務所で対面するシーン。小見浦が城戸の出自について挑発的な発言を繰り返すのだが、映画版では、城戸はその挑発に対して、声を荒げてしまうのである。
しかし原作では違う。そんな挑発に激昂しそうになるも、おもてには出さない。ここに帰化したけれども日本人になりきれず、かといって韓国のことを何も知らないがゆえに韓国人にもなりきれない、宙吊りの立場、ダブルバインドが表現されている。
城戸に声を荒げさせた映画版の表現は思慮に欠けていると言わざるを得ない。しかし、ここで怒りを露わにさせなければ、あまりに倫理的配慮に欠けるだろうという映像表現における「怯み」が働いたのだろう。それが裏目に出た。 -
過去を含めて1人の人間が他人から判断される時、悪意なら尚更その重荷はその人にとって憎しみや悲しみであろう。
まっさらな人生に切り替え、より誠実に丁寧に生きたいと願い、ささやかな幸福を手にできたら生きる事の喜びはそれで十分と誰よりも実感できるかも知れない…
新しい自分を“生き直せたら”私はどうするかな。
ただ自分はあまりに平凡すぎてそこまで望んでいないことは確か。“今”で十分かも。 -
『自分は一体なにものなのか?』
表面的には戸籍偽造という社会問題ミステリーです。が、こうありたい、こうなりたい、という人間の願望。他人への卑屈。こうした感情を通じて人間真理を面白い角度で追求していて紙をめくる指がとまりません。
芥川賞受賞作家さんらしい、言葉遊びも絶妙。一方で直木賞風と思える筆致も心地よいです。 -
愛して結婚した男の死後、実は彼が姓と過去を偽っていたと分かったら?
彼と過ごしてきた過去が何もかも偽りのように感じて信じられなくなるかもしれない。
ストーリーの中で徐々に男の正体や生きてきた過去が分かってくるのが面白かった。宮部みゆきさんの「火車」を彷彿させた。 -
生き直したい人はけっこう多いのかも。
その人がその人である理由は、本人や周りの記憶でそれ以外に証明できる事って無いのかもと思った。前に脳科学関連の本を読んで記憶=自分のイメージがあって、確かにやっぱりそうなんだと改めて思った。記憶が積み重なっていくからお互いがお互いをその人だと思って一緒に生きて行くんだろうな。
父親がもし殺人犯だったらと想像しただけで、吐き気と頭痛がしてくる。周りの全てが信用できなくて怖い存在に変わって、誰も信じられなくなる。幸せなって良いのかとか、なれるはずないとか、生きていて良いのかとか、否定的な言葉しか出てこない自分になってしまう。
違う誰かになって生き直す。犯罪なのは分かるけど、それでしか救われない人は確かにいるんだろうと思うと、気付かれずに最後まで生きて欲しいなとか思ってしまった。
ちょっと身近な事に置き換えると、今いる環境で自分を変えたいと思っていても難しくて、周りから思われてるイメージに自分自身が縛られていたりするから、環境を変える事は大切かもしれない。
平野さんの文体が自分には少し独特で読み進むのが遅くなった。でも、その独特の文体が話全体を良い意味で重くしている感じもした。
また平野さんの作品を読んでみよう。 -
亡くなった夫が、全く別の人間の戸籍でなりすまして生きていたことを知る妻。
原誠と名乗った、谷口大介という男、この男が一体何者なのか、何故戸籍を変えてまで人生を生きなくてはならなかったのか、調査した在日朝鮮人3世の城戸弁護士が紐解いていくのだけど、城戸自身もこの件に関わっていけばいくほど、「自分は何者であるか」を見つめ直すキッカケとなる。
登場人物とその過去や生い立ち、なかなか深い作品だった。 -
愛した人が実は別人だった。
ミステリアスな展開と緊張感が張り詰めた物語は、一人の男の過去を辿る。個人のアイデンティティを形作るものは過去の記憶か。それとも何を為すのかという現在か。
深淵な問いに思い至りつつ、里枝と子どもたちのそれからを読みたいと思った。
本作を読んで「マチネの終わりに」の過去は変えられるという命題を思い出し、そこから、世界を変えるのは認識かそれとも行動かと問うた三島の「金閣寺」を思い浮べた。平野さんの小説を読むと、三島作品が通奏低音のように響いていると感じる。