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感想・レビュー・書評
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エンタメ界の産業革命に備えよ
産業革命から200年続いた変化の潮流が変わろうとしている。それに伴いエンタメ界、コンテンツ産業も変わり始めている。日本のエンタメ界はどう戦うか
■概要
1章 アニメ界の特殊構造、製作委員会とその構造、そして鬼滅が起こした変化
・テレビはライブ提供のハコ。視聴者にコンテンツを同期させて楽しませるツール。Amazon primeやNetflixらOTTにはない
> テレビはもはや貴重な映像の初出しプラットフォームではなく、ツイッターを片手にライブを楽しむ
アーカイブプラットフォームになっていくのでは、という未来を予見したような事件であった
・巨大アニメも放送では稼がなくなって認知拡大のツールとしている。版権/MD等々で回収
2章 ユーザーは消費者から表現者へ
・受信リテラシー⇒発信リテラシー。
ゲーム実況、ゲーム内で成立するカップル、#半沢直樹でひとこと、、、
・商品は提供ではなく「運営」で儲ける発想へ
3章 米国と中国の地政学
大再編の米国とテンセントらが突き抜ける中国
日本は恒温動物的で生命維持に強いが変化ができず、ゆっくり衰弱していく
→職人と町工場のクリエイト、その特性をどう活かして何を変えるべきか
4章 キャラクターの特性
東洋と西洋の違い、「見る」と「聞く」。文字にも表れており(アルファベットvs漢字)、宗教でもアジア(特に日本)は偶像崇拝→信仰心が芽生える。西洋は偶像崇拝禁止。
自然を愛でる心→「推し」の発想へ
■感想
鋭い洞察と根拠のあるデータや出典で納得できるのだが、"っぽいこと"をあたかも事実の様に言われて違和感が残った。要は、ぽいぽいのピー。
ミレニアル世代やZ世代はかくかくしかじかー、と言ってくる人は基本信用できない。確かにデジタルネイティブだとか、失われた30年世代とか色々あるにせよ、類型化が雑すぎてる根拠が確立できていない)この世代論を持ち出されると一気に冷める。
一方で、近世ヨーロッパの芸術史や産業革命→近代化の「史実」や貨幣経済といったマクロ視点と、近年のコンテンツ産業を絡めた洞察は面白かった
・違和感あり、エッセイ
言葉の定義が曖昧だし雑。一回?が出るので立ち止まってしまう。また仮説は仮説で鋭い指摘もあり良いのだが、検証なく根拠も提示されない。筆者の感想に留まっており、「なるほど!でもそういう見方もある程度よね」にで終わってしまう
★推し文化とスポーツ
- 差はある
現実と離れているどうでもいいコンテンツ、例えばゲームだからこそ没頭できる。一方でスポーツは、現実を投影できるからこそ夢中になれる。
⇒あなたを投影する鏡でありたい、勝ち負けがゼロサムのスポーツゆえにリアリティーがある
- コンテンツの対価→応援へ
この考え方はまだスポーツに浸透しきっておらず、エンゲートなどがあるものの、割合は極小だ。ただいずれここでブレークスルーした者が新たなrulemakerとなる可能性は高く、押さえておきたい考え方
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ほんとうの発見とは、新しい土地を発見することではなく、新しい目で見ることだ。
マルセル・プルースト -
ふむ
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ァンは、単なる消費者ではなく表現者である。ファンを中心において、メディアの役割、海外と日本のモノづくりの違いなど、さまざまな角度からマーケットを眺める。
> エンタメの世界は、歴史上ほとんどの変化は事業者側ではなくユーザー側によって引き起こされている。
一気読み! -
読了。日本のエンタメ業界に対する複数の視点による考察と提言の書。特に第3章のエンタメの地政学はとても興味深く読んだ。米国、中国のような大国がもち得ない、マンガやアニメの玉石混淆的ななんでもありの自由度や、仏像すらキャラクターにする文化的背景を持つ日本の強みを活かした進むべき方向性には納得。エンタメだけでなく他の業界でも参考となる良書。
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オタク創世記の作者による最新版、アニメ、ゲーム、映画のビジネス産業分析。製作委員会のビジネスモデルが、その収益配分やリスクテイクモデルまで噛み砕かれ、分析されている。ハリウッド映画と日本のアニメ制作を比較し、脚本家や原作者の高い地位、チームによる原作編成、制作関係者に対する収益配分など、制度の違いがどれだけ収益構造に反映されているかの分析も見事。ソニーがなぜ映画と音楽で米国進出して成功し、パナソニックは失敗したかも経緯を含めて分析される。
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今、エンターテイメントのファンの間では、「萌もえ」に代わって「推す」という行動が広がっている。なぜか?この変化の背景、そして「推し」の経済効果を考察する書籍。
2020~21年、エンタメ業界は劇的に変わった。アニメやテレビ番組は多チャンネル構想を推進し、映画は配信へのシフトに挑戦している。この変化の背景には、ユーザーの変化がある。今のユーザーは「消費者」というより、「表現者」のようにコンテンツと付き合う。その行動変容の基軸にあるのが、キャラクターやタレントを「推す」という行為である。
ファンの心理は、内的な「萌え」から、外的な「推し」へと変化した。これは「家族」関係の変化に伴うものだ。家族形成が幸せへの道ではなくなった今日、その役割からの自由・解放を求める行動といえる。独身でも幸せでいられる時代に、「推し」は人々の感情のスキマに入るようになったのだ。
今日、エンタメコンテンツは若者の教養である。皆が見ているものを見て、皆が話すように話したい。これがミレニアル世代のメンタリティだ。コンテンツは自分がどんな人間かを示す表現財となり、他人からの視線によって選ぶものになった。
推しエコノミーの象徴的な事例が、2021年3月公開の映画『シン・エヴァンゲリオン』だ。4月の緊急事態宣言で、多くの劇場が閉じ、興行収入が伸びなくなった。だが、「100億円に到達させるぞ」という「物語」がファンを動かす。彼らは再び劇場に殺到し、公演打ち切り直前に100億円の目標を達成した。
キャラクターに関する自分の趣味嗜好の顕示は、誰もが親和的な気持ちで受け入れてくれる安全な自己表現となりえる。つまり、「推し」とは消費ではなく、表現なのである。 -
"ユーザーがファンになる瞬間や、ファンがファンで居続ける心地よい関係を維持するために、価格から提供時間、商品内容までなめらかに調整すべき時代になってくる"
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これまでのエンタメ(全般というよりは、アニメ・ゲーム系のオタク系のコンテンツがほとんど)のありようを考察しつつ、これからのエンタメのありよう、商売の仕方、客の巻き込み方等が語られている。
正直、一部理解不能な表現はあったが、全般的にはわかりやすく、かつ切り口等が目新しく、面白く感じた。
基本的には商売の観点でのエンタメ論ばかりで、文化に関する考察や言及は少なかったが、その少ない文化に関する考察をもっと深めていけば、もっと面白い観点でのエンタメ論が読めるかなと感じた。